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贄の森
夕暮れ時から降っていた雨は、木々が鬱蒼と生い茂った森をしとどに濡らし夜半過ぎ頃には去っていった。
雨は好きではない。と、マリユスはベッドの上から窓の外の木々を見やり、ため息をつく。
壮年を過ぎ、初老にも見えるマリユスは、いつ頃からか雨に気分を左右されるようになっていた。雨が降る前触れは決まって頭重感と憂鬱な気分に襲われる。降っている間は肌にまとわりつく湿気にうんざりしていた。
「やっと止んだか……」
ため息交じりに呟いた時、外から無数の鳥たちの羽ばたきと鳴き声が聞こえてくる。
「なんだ?」
おそらく屋敷の周りに棲みついているカラスたちだが、こんな時間に騒ぐのは珍しい。いつまで待っても止みそうもない鳥たちの喧騒に、マリユスは眉をひそめた。
屋敷の主の眠りを妨げるつもりであれば、一羽も残さず捕まえて丸焼きにしてしまおう。
雨上がりの頭痛が残るマリユスは、眉間にしわを寄せてベッドサイドの燭台を手にとり、マントを羽織った。
屋敷の大きな玄関扉を開けることに躊躇した彼は、炊事場に設えてある勝手口から出て、屋敷の門をくぐり抜けた。
カラスどもは依然としてけたたましい声で鳴き続け、羽音を響かせている。
音の発生源へ目をこらすと、鳴き飛びまわるカラスの群で影ができていた。何かを取り囲み、攻撃しているようである。
「ネズミか何かか?」
大方、小動物を見つけて食おうとしているのだろうが、こんな時間に騒がれたのでは眠るに眠れない。
マリユスはカラスたちを黙らせようと、群れの方へと歩んでいった。
その時、かすかだが確かに人のうめき声のようなものが聞こえ、彼は足を止める。
「……ぅ、あ……ぐ」
耳をすますと、はっきりと痛みと恐怖に苦しむ小さな呻きを聞きとった。
マリユスはすぐさま脱いだマントを片手に持ち、バサバサと派手な音を立てて大きく振り回しながらカラスたちへ向かっていく。
「散れ!」
マントの大きな影と屋敷の主人の怒鳴り声に、鳥たちは大仰に羽音をたてて飛び去っていった。
カラスの羽が散乱した地面にうずくまっていたのは、これまた黒い人影である。頭からフード付きのローブを纏った人影が、丸くなって小刻みに震えていた。
「おい、怪我はないか?」
駆け寄って声をかける。
フードの端から整った鼻筋と青ざめた唇が見えた。その様子から察するに、若い男のようだ。
日が暮れてから森をさまよっていたのか、ビロードのローブは水を吸って重くなり、フードや頬にかかる色素の薄い髪の先から雫が滴っている。
「こんな時間になぜこんなところにいる?」
思わず鋭くなったマリユスの声に、青年が弱々しく息を吸った。
「届け物があり、この森を抜けようとしたところ道に迷ってしまいました。あげく雨に降られ、やっと見つけたお屋敷の前でカラスにつつかれていた次第。どうかお許しください」
マリユスに向き直り深々と頭を下げる青年に、彼は手を差し出す。
「立てるか?」
青年が顔を上げ、マリユスを凝視した。マリユスもまた青年の顔を直視する。雲間から出てきた月の光に照らされたその顔はきめ細やかで美しく、瞳はとろりとなめらかな蜂蜜のように輝いていた。
「来い。そのままでは風邪をひく。届け物もできなくなるだろう」
マリユスの言葉に青年は頬を緩め、差し出された手を取る。青年の指先は氷のように冷たい。マリウスは青年の濡れた背を支え、急いで屋敷の中へ迎え入れた。
屋敷に戻ったマリユスは急ぎ暖炉に火を入れ、湯を沸かした。
一晩眠れる場所を借りるだけでいいという青年から雨水の滴るローブを剥ぎ取り、暖炉の前に置いた椅子へかけ、手を引いて風呂場へと連れていく。ローブの下は、どこにでもいる村人の服装だった。近くの村から出てきたに違いない。カラスにつつかれて傷になっていないかと気になっていたが、ローブのおかげで青年の肌は綺麗なままだ。
薄暗い浴室に佇む青年は所在なさげに俯いて、腕の中に抱えたままの包みを大事そうに抱え直した。その間も浴室の中央に据えた白い陶器製のバスタブからは温かな湯気がせわしなく逃げていく。
「湯が冷める。さっさと脱げ」
マリユスは青年から包みを預かろうと手を伸ばした。
「っ……!」
ところが、彼は肩をすくめて包みを守り、マリユスを拒絶する。
「少しだけ預かろうとしただけだ」
青年は包みを抱きしめ、すまなそうに視線を彷徨わせた。
「……すみません。どこかへ置かせていただけませんか?」
大事なものなのか、彼はその包みに触れさせようとしない。
「この椅子の上に置いておけ」
部屋の隅にあった椅子を引き寄せてやると、青年は素直にそこへ包みを載せる。両手が自由になった彼は湿った服を脱ぎ始め、若く引き締まった肌を惜しむことなく露わにした。
マリユスは彼をバスタブの中へ誘い、蝋燭の明かりを受けて柔らかく輝くブロンドに湯をかけて洗ってやる。青年の髪は、日に焼けることの多い村人のものとは思えないほど繊細で艶やかなものであった。
青年が湯の中で深い安堵の息を吐き、それに伴ってまつ毛が震える。
マリユスは訊ねた。
「夕暮れ時に森へ入るなど、どこまで行く気だった?」
おそらく、大事に抱えていた包みが届け物なのだろう。重そうには見えないが、よほど大事なものと思える。
しかし、なぜ日暮れ前の山の中へ入る必要があったのか。夜明けに森に入れば、日が暮れる前には森を抜けられるというのに。
「村を急いで出たものですから……」
マリユスの問いかけに青年はためらいがちに答え、椅子の上の包みへ目をやる。マリユスもつられて包みを見た。
「あの包みが気になりますか?」
青年に訊ねられ、マリユスは苦笑する。
生成りの古ぼけた布には、おそらく球体の何かが大事そうに包まれていた。特に気になるのは、マリユスはアレを知っている気がするのだ。青年があの包みを屋敷に持ち込んでから、知っている香りが鼻に纏わりついている。
一体何を包んでいるのだろうか。
「気にならないと言えば嘘になるな。あれをどこへ届けるつもりだ?」
「あれは届け物ではないのです」
丁寧に背を流してやっていたマリユスの手が止まる。
「届け物ではない?」
「はい。……あれは僕にとって大切な……ものなのです」
「だろうな。俺に触れられるのも嫌なのだろう」
そう言って、改めて青年の首筋を見る。
透けるように真っ白だった肌は、湯の熱でほんのり紅く色づいていた。
吸い付くような肌だ。
久しく触れていない、香りたつ若い男の肌。
椅子の上に置かれている包みが纏っていた香りが再び鼻先を掠めた。同時に、かつての知り合いの横顔が脳裏をよぎる。
あの男が去ってどれほどの月日が流れただろうか。
別れたあの日を昨日のことのように思い出すが、数十年は昔のことだ。
「俺はマリユス。お前の名は?」
「ジルと申します……」
「そうか……。ジル、タオルはここへかけておく。あがったら暖炉の部屋へ来い」
マリユスは清潔なタオルを椅子の背もたれへかけ、浴室を出た。
浴室から戻ってきたジルを暖炉の前に座らせて、温かいスープの入ったカップを与える。暖炉の火に照らされるジルの横顔は見るほどに美しく、灯に透けたまつ毛が橙に染まった頬へ影を落としていた。
彼はぼんやりと火を眺めながらスープを啜っている間もその腕の中に包みを抱えたままで、手放そうとはしない。気にしないように視線をそらすが、考えぬようにすればするほど、どうにも気になってしかたがない。
「ジル、そろそろ……」
寝室へ案内しようと青年を見れば、彼は背もたれに体を預けて瞼を閉じ、ゆっくりと安らかな寝息を立てている。
起こすためにジルの肩を叩こうとした時、彼の手元から包みが転がり、ゴトリと音を立てて床に落ちた。
無意識にその包みを持ち上げると、布の合わせ目が解け、その中身と目が合う。
「……ギュスターヴ……?」
中から現れたのは、何十年も前に別れたきりの男の首だった。
若かりし頃の面影を残しながらも年老いて青ざめた顔。その中に埋まったギョロリとした目がマリユスを凝視している。
包みが解けたのと同時に、甘ったるい淫靡な香りが部屋中に広がった。
(なぜこんなものがここに……)
ジルを見上げると、いつの間にか目を覚ましていた青年の目がマリユスを射るように見つめている。
「貴方はその人を知っていますか?」
「よく知っている……いや、知っていた」
この数十年、思い出すたびに忘れようともがき、恋い焦がれていた男だ。
それがこんな形で、手の中にあるとは。
ジルの口の端に鋭い笑みが浮かぶ。
「それが、欲しい?」
「……手放す気などないのだろう?」
彼は先ほど言っていたではないか。『大切なもの』だと。
困惑の表情を浮かべるマリユスに、ジルが蠱惑な笑みを向ける。
「差し上げてもいいです。貴方が僕を壊してくれるのならば」
ジルの手がマリユスの腕に伸び、細くしなやかな指が手首に巻きつく。
「この時を待っていました」
マリユスの腕を掴んだジルは、その手を自身の首筋へと誘う。
指の腹が、ジルの薄い首の皮膚に触れた。きめ細やかで滑らかな感触が、マリユスの心へ甘い痺れとなって流れてくる。
「貴方は人を味わってから喰らうのだそうですね。さあ、この身、一つ残らずその肚の中へ納めてください」
「お前……は……?」
ジルの蜜のような琥珀色の瞳から目が離せない。
なぜ、ギュスターヴの首を持っている?
疑問と困惑が渦巻くマリユスの脳内に、甘く柔らかな唇の感触が広がっていく。
久しく遠ざけていた肌と体温。そして、忘れもしないあの淫らな香り。
マリユスはジルの手を引き、床の上へと仰向けに押し倒す。
「どうされるのかわかって言っているのだろうな?」
トロリと溶けた蜜のような瞳と紅潮した目尻が緩慢にマリユスを見上げ、小さくうなずいて真っ白な首筋を差し出した。
肌の香りが鼻腔をくすぐり、マリユスの肉欲が溢れ出す。
彼はジルの真っ白な首筋に吸いつき、歯を立てて舌で愛撫した。
「っ……はあ……」
鼻から抜けるような色を含んだジルの吐息が漏れ、マリユスの理性を侵していく。
強く噛みついた痕に血が滲み、吸いついた肌には紅い痕。それを熱く肉厚な舌でなめすすり、鎖骨から胸へと愛撫の手を広げていく。
ジルの感度は良いようで、マリユスの唇や指に応えて体を震わせた。その一つ一つの仕草がマリユスの胸奥をくすぐり、血を湧き立たせる。
「ふっ……あぁ……」
「快い声をあげるな……っ……慣れているのか?」
「ひっ……ぁ……」
硬く尖りきった乳首を爪で弾くと、ビクビクと肩を震わせた。その様に気を良くし、マリユスは膨らみ始めたのがはっきりとわかるジルの下腹部へと手を伸ばす。熱く息づいて張りつめているのが、布越しにもわかるほどだ。
「もうこんなにして……」
「んん……」
ズボンのウエスト部分に手をかけて、太ももまで引きおろす。
熱く猛った肉の棒が待ちかねたように外へ飛び出し、欲情の蜜を垂れ流しながら天を仰いだ。
「森の奥まで来て脚を開いているんだ。ただの好き者ではないのだろう?」
マリユスはジルの耳元で囁きつつ、蜜を纏って震えているジルを手のひらに包んで愛でる。
「ひあっ……! ふぅ……んぅっ……」
「なぜギュスターヴの首を抱えていた? それもご丁寧にあの香りを染み込ませて」
「はああ! ああ、……あ、もう……で……」
紅色に染まった耳のそばで囁くが、ジルの口から漏れるのは吐息と懇願の言葉である。
マリユスは、手の中で今にも爆ぜそうなジルの根元をきつく握った。
「イかせてもらえると思うか?」
「ひぐっ、や……はあ……」
ジルの欲望は直前でせき止められ、彼の細い腰はもどかしげに揺れる。堪えきれずに溢れ出た肉欲の蜜が、ジルの肉棒を伝ってマリユスの手まで濡らしていた。
「出したいか?」
「したい……出したいっ」
マリユスの腕に絡みつくジルの手が、もどかしさを紛らわせようと爪を立てる。
「ならば答えろ。お前はギュスターヴのなんだ?」
「ふっ……ぼくは、あの人の、息子です」
熱い吐息とともに、途切れがちな告白が吐き出される。
「ほお……」
息子。
あのギュスターヴに息子がいたのか。
マリユスはジルの根元から手を離し、とろとろに濡れそぼった彼の裏筋を人差し指で撫であげる。
「ひっ! うう……う……」
ジルは大きく肩を震わせ、真っ白な液体をほとばしらせた。若い肉体から放たれたそれはジルの白い腹を惜しみなく汚し、濃密でいやらしい雄の匂いを放つ。マリユスはそれを人差し指で掬い、口に含んで味わう。
久しく忘れていた、男の味。
しかし、それはかつてとは違い、どこか味気なく虚しい。
マリユスは、ジルの顎を掴んで彼の瞳の奥を見据える。
「お前は本当に奴の息子か? 顔立ちも髪の色も、精の味すらまったく面影がないぞ」
「親子といえども所詮は他人。似るとは限りません」
「ふん。では、後ろの味はどうだろうか」
「あっ」
ジルの柔らかな臀部を撫で、その割れ目に隠された蕾へ指を沿わせる。そこは何人も通すまいと固く閉ざされていた。ジルは敏感なのか、襞を指の腹で撫でるたびに声を漏らして体を震わせる。
「なんだ。まるで生娘のような反応をして。存分に味わえと言ったのはお前の方だぞ」
「ひぅ……、ふ……」
威勢のいいことを言っていたため、男とすることに慣れているかと思ったがハッタリだったようだ。ジルの体は後ろを弄るマリユスの指に怯え、固くなっている。
初物の体を貪るのは嫌いではない。
かつてのマリユスは、性に対する未知と痛みに対する恐怖で怯える青年が徐々に溺れていく様を見るのが好きだった。何も知らなかった体が、下腹を疼かせ快楽に溺れていく。その様はなんとも美しく味わい深い。肉欲に沈め、堕ちるところまで堕とし、最後に食べてしまうことがマリユスの快楽だったこともある。
あの男が……ギュスターヴがこの屋敷を訪れるまでは。
「前は快くても後ろは怖いか?」
「……こわ……くない……」
ジルの言葉とは裏腹に、体全体が強張り、蕾も固く閉ざされたままだ。これではいつまでたっても指一本すら挿れられない。
「怖くないなら力を抜け」
首筋を舌で舐めれば、ジルの強張りが緩まる。マリユスはジルの腹の上に残る白濁を指に纏わせ、そのとろみを帯びた指を蕾にあてがった。ぬめり気のある指の腹で襞の上を二、三度往復し、滑りを良くして中指の先を内側へと押し込む。
「っ……!」
指が、きゅっと締めつけられた。
「力を抜けと言っているだろう?」
「ひっ……」
柔らかな腿の裏を平手で叩けば、窄まった蕾がヒクついて一瞬緩まる。その隙に一気に奥へと押し込んだ。
「ふっ……は……」
「力を抜いて大きく息を吐け。俺の指に意識を集中しろ」
息を継ごうと苦しげに口を開け続けるジル。口元からは唾液がこぼれ、頬も紅潮している。
「いい子だ。この指がもう二本入ったら、お望み通り俺のものをくれてやる」
ジルは懸命に力を抜いてマリユスの指に応えた。マリユスはジルの茎の根元をなだめながら、まだ初々しい蜜壺の中に指を増やし、中をかき回す。
「はあ……あっ……」
ジルの細い指が縋るものを求めてマリユスの手に触れる。心細さと快感にジルの指は冷たく震えていた。
「マリ……ユス……っあ……」
ジルの目がこのもどかしいのをどうにかしてほしいと訴える。
マリユスは己の欲望が十分すぎるほどに下腹へ集まったのを感じていた。
熱い。こんな気持ちになったのはギュスターヴと過ごした夜以来だ。
興奮で乾ききった喉が、潤いを欲する。
マリユスのものも、肉の壁を味わおうと涎を垂らして待っていた。鈴口は透明な蜜で濡れ、あふれたそれが糸を引いて垂れていく。
(この匂いのせいだ……)
ギュスターヴの首が纏った淫靡な香りといやらしい精の香りが混じり、マリユスの脳内をかき回した。
「ジル……」
指を抜いて、柔らかく広がった蕾にぬめりを帯びた先端をあてがう。
「あつ……っい、ひっ……」
戸惑うジルの声をマリユスが唇で奪い取った。
***
ギュスターヴとの最後の逢瀬は、きっと死んでも忘れない。
あの晩、星空に君臨する満月は、屋敷の寝室に潜んでいた二人を隠すことなく照らし出していた。
「マリユス……ああ……はあ……」
ギュスターヴの吐息を含んだ声が甘く響き、マリユスの胸の奥を掴む。チャコールグレーの髪の隙間から、潤んだ鳶色の瞳が縋るようにマリユスを見ていた。
ギュスターヴの中は熱く柔らかく、繋がりあったそこから二人は溶けて混じり合ってしまいそうだった。
「ギュスターヴ……俺は……っ」
帰したくないと口走りそうになるのを飲み込み、喘ぎを漏らす艶やかな唇を噛みつくように塞ぐ。
明日の朝には彼を村へ帰さなければならない。
このまま溶け合ってしまえば、彼を帰さなくてすむのに。
そんな想いとともに、ギュスターヴを強く抱いた。
部屋には、淫靡な甘い媚薬の香りが漂っている。
気持ちを高めるために香油として焚き、ギュスターヴの身の内を柔らかくする薬として用いた。明らかに度を越した量の使用でマリユスの脳内もぼんやりとかき回され、ただ欲望だけを求める野獣のような気分を味わう。それでも、ギュスターヴを村へ帰すことだけは頭の中にこびりついていた。
紫色の夜明けを眺めながらぼんやりとした頭を覚醒させていると、シーツの上で疲れ切った様子のギュスターヴがマリユスの腕を引く。
「マリユス、このまま俺もここに残るよ」
「それはダメだ」
「なぜ?」
帰さなければ、ギュスターヴもろともこの館は焼かれてしまうからだ。
マリユスとギュスターヴは同じ村で育った幼馴染だった。
とはいえ、ギュスターヴは領主の息子で、マリユスは村のはずれに捨てられていた孤児だ。村の者たちは二人がともにいることを快く思わなかった。村の周辺をうろついて生き延びているマリユスに村人は厳しく、汚らしい身なりのマリユスがギュスターヴに食べ物をたかっているのだと騒いでいた。
身寄りのないマリユスは教会の炊き出しや森でとった食べ物で飢えをしのいでいたが、ある時、森の神への貢物として献上されることになる。
その前年から、天候不良で作物が満足にとれなくなっており、森に棲む神へ生贄を差し出すことにしたのだ。とはいったものの、自分たちの家畜や将来働き手となる子供たちから生贄を出すのは惜しい。そこで村人たちはマリユスを差し出すことにしたのである。
マリユスはギュスターヴの家へ連れていかれ、温かな湯で清められ、清潔な服を着せられて、美味い料理をたらふく振る舞われた。ギュスターヴと共に過ごしたその時間はこの上なく幸せで、瞬く間に過ぎ去ってしまった。
「洗って服を着せれば見られたもんじゃないか」
マリユスを森の中へ送り込む晩、村人たちはそう言って笑った。
「いいか、マリユス。夜が明けるまでに、森の奥にある神様のお屋敷まで行くんだ。絶対に引き返してはいけないよ」
その言葉が嘘だと知りつつも、マリユスは村の長老の言葉に頷く。
彼が森へと歩き出した時、ギュスターヴがマリユスに駆け寄り、耳元でこう囁いた。
「マリユス、きっと助けに行くからね」
ギュスターヴの言葉にマリユスは頷きながらも、無理なことだとわかっていた。
子供ながらにこれがただの口減らしであり、自分が浮浪児だからこそ捨てられるのだとわかっていたからだ。綺麗な服もご馳走も、これから死んでいくマリユスに対する最後の施しだったのだろう。
「戻りなさい、ギュスターヴ!」
彼の母が、厳しい表情で子供を連れ戻しに来る。
「マリユス!」
ギュスターヴは母親に抱きかかえられ、マリユスの名を何度も叫びながら連れていかれた。
暗い森の闇の中を行くことは辛く恐ろしいことではなかった。マリユスにとって森は自分の庭のようなもので、夜道だって歩き慣れていたのだ。
ただし、その夜は違った。生贄として森の中へ送り出されたということは、「二度と村へ戻って来るな」ということでもある。
もうギュスターヴには会えない。自分の居場所はあの村にはないのだ。
そう思うと辛く寂しく、ギュスターヴの言葉を思い出しては涙をこらえた。
どこか眠れる場所はないだろうかと、半ば諦めてあてもなく森の奥へ進んでいくと、マリユスの目の前に一軒の屋敷が現れた。ギュスターヴの家も敵わないような洋館だ。作り話だと思っていた「神様のお屋敷」のような建物が突如現れ、マリユスは驚きつつも足を踏み入れる。
しかし、中にいたのは一人の老年の男とマリユスと同じ年頃の少年たちであった。そこには生贄の口実で森に捨てられた子供たちが集まっており、男のもとで集団生活を送っていたのだ。幸いなことにマリユスも彼らの元に迎え入れられ、寝る場所と食べ物に困らない日々が始まった。
そこで字の読み書きや生活の仕方を学んでいったマリユスだが、十の齢を過ぎた頃、ある異変に気がつく。
どうやら子供が順に消えていっているのだ。
数自体にあまり変動はない。というのも、屋敷にやってくる捨て子が常にいるからである。
子供は年長者から消えているらしく、気がつけばマリユスが一番の年かさになっていた。はじめのうちは、成長して屋敷を出ていったのだと思っていたが、それにしては出ていくのが早すぎる。
不審に思い続けていたある日、マリユスは初老の男に呼ばれた。招かれるまま彼の部屋へいくと、シンプルな飾り棚へ綺麗に磨かれ金を刷かれた子供の頭蓋骨がいくつも並んでいた。真っ白な陶器のように加工され、側面に花や蝶の模様を施されたものもある。おそるおそる男を振り返ると、男は笑った。
「今日からここがお前の部屋だ」と。
その日から地獄が始まった。
男はマリユスから服を剥ぎ、部屋の中へ閉じ込めて毎晩のように犯した。肉体同士の交わりから、薬や器具を用いたものまで、男は様々な手でマリユスをいたぶった。
その男は、ある一定の期間子供を弄んだあと、食肉として加工し屋敷の食材にする。マリユスの腹の中にも、すでに数人分の子供の肉が入っていた。
マリユスの他にも男の相手をさせられている子供が何人かおり、彼らは順番に殺されていった。それに気が付いた時、マリユスは決意する。
いつ殺されるかわからない。
ならば殺される前に自分が殺してしまおう。
ある満月の晩、マリユスは男の胸に燭台を突き立てた。
動かなくなるまで何度も抜いては刺し、その手と腕は血にまみれた。
彼は屋敷の主人になりかわり、年長者として屋敷の子供達を束ね、男と同じように彼らを陵辱し、程よく育ったところで一人ずつ絞めて食していった。
捨て子を見つけては、屋敷の中へ招き入れ欲を満たす日々。
そんな中、思いもよらぬ人物が屋敷を訪ねてきた。
ギュスターヴだ。
美しい青年に成長していた彼は、マリユスにこう言った。
「俺がお前に食われてやろう。だからもう子供を食うのはやめだ」
いつのまにかマリユスは、捨て子ではない村の子供に手を出していたのだ。噂を聞きつけたギュスターヴは、次期領主として子供を食べてしまう「森の王」の調査にやってきたのである。
幾日にも渡るギュスターヴの説得に、マリユスは改心した。
その後の彼との生活は充実したものであった。しかし、村の者はギュスターヴを連れ戻そうと躍起になり、ついには返さないのであればギュスターヴごと屋敷を燃やすとまで言い始めた。
だからマリユスは、彼を村へ返して一人で森の奥にこもることにしたのである。
***
「彼はその後、村のレンガ小屋へ幽閉され、そこからほとんど外へ出ることなく、先日他界しました」
ジルが艶を帯びた胸の中へギュスターヴの首を抱き、その水気のない髪を撫でる。マリユスは彼の寒そうな肩へ毛布をかけ、包んでやった。
ギュスターヴは村に帰った後、元の生活に戻り妻を娶っていると思っていたが、結果的にマリユスは彼の人生を奪ってしまったようだ。
「俺のせいだな」
「いいえ。村の人々は貴方のもとで過ごした彼を穢れた存在として忌み嫌っていました。そんな中、村を出て行くことを選んだ彼を、領主が軟禁したのです。僕は貴方の代わりとして彼に拾われた孤児でした。彼は僕をマリユスと呼んで可愛がり、育て、最後まで僕に貴方を見ていました」
話を聞けば、二十年ほどのジルとギュスターヴの時間が、マリユスの心に重くのしかかる。
「彼は、最後まで貴方の名を呼んでいた。僕は僕を貴方の元へ届けにきたのです」
ジルは己を喰らえと迫った。
しかしマリユスは、彼を殺す気にはなれないのだ。
「あいつはもう死んだ。お前はお前だ。どこへなりとも行けばいい」
やっとギュスターヴの手から自由になれたのだ。村に帰るなり別の場所へ行くなり好きにすればいい。
「ダメです」
ジルの手がマリユスの腕を掴み、深く爪を立てる。
「村は焼き払ってきました。僕は貴方と彼に全てを奪われた。これから先の僕の命は、貴方に贖っていただきます」
ジルの濃い蜂蜜のような瞳が、マリユスを絡めとるように見据える。
まるで人の味を覚えた獣のようだとマリユスは思った。
了
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