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奈月の気持ち②

「あったかいの、淹れられなくてごめんな」  奈月に渡したのはグラスのジュースだった。本当なら寒い中を歩いてきてくれたのだから、あたたかい紅茶かなにかを出してやりたかった。けれどあまり時間がないのだ。店を弘樹一人にずっと任せるわけにはいかない。 「いや、もらっていいの」  バックヤードの小さな部屋。勧めた椅子に奈月はちょこんと腰かける。 「ああ。サービスってことで」 「……そう。ありがとう」  グラスを受け取って、なにか緊張している様子なのを飲み込むようにひとくち飲んだ。  游太はそれを見てから切り出そうとしたのだが、それより先に奈月が口火を切った。 「こないだはごめん」 「……え、なんか、謝られることあったか?」  謝られるのは予想外だった。  むしろこちらが謝るべきだと思っていたのだ。  奈月に驚くようなことを言ってしまって。混乱させてしまって。  游太の返事に奈月はちょっと首を振る。グラスに視線を落として、ぽつぽつと話した。 「じいちゃんに怒られたんだ。ホモっていうのは馬鹿にする言葉だって。乱暴な言葉だって」  游太の息が詰まる。  その点。  確かに『ホモ』という言葉は蔑称である。本来であれば『ゲイ』と表するのが正しいのだ。  でもまだ子供であるうえに、そういう知識もない奈月がそんなことを知らなくとも当然であるし、游太はその点を気にしてはいなかったのだ。  しかし奈月がそう言ってくれたこと、そしてそれを言いに来てくれたのだということは、かえって游太の心をほわっとあたたかくする。優しい子なのだと伝わってきて。  そしてそれを奈月に諭してくれた『じいちゃん』、つまり美森さんもどんなに優しいひとなのかということも。 「かまわないよ。知らなかったんだろう」 「そうだけど」  游太があっさり言ったからか、奈月は顔を上げる。ほっとしたような顔をした。  ただ、言いたいことはそれだけではなかったらしく、続きがあった。それに游太は驚いてしまう。 「それで、わからないからって馬鹿にしたらいけないって。理解しなくていいから、そーゆーひともいるんだってことは受け入れなさいって」  違う意味で游太の息が詰まった。熱いものが喉の奥から込み上げてくる。  奈月が美森さんから言われたからだけでなく、心から『そうしたほうがいい』『これからそうしたい』と思ってくれているのが伝わってくるから。優しい目元が真剣な色をしていることで。 「……美森さん、素敵なひとだな」  やっと言った。  そんな単純なことになってしまったけれど、今度は奈月がちょっと笑った。 「うん、じいちゃんは優しいひと」  その場の空気がやわらかくなる。落ちつけるように、奈月はグラスのジュースを飲んだ。オレンジジュースの鮮やかな色が、半分ほどになる。そうしてからグラスをぎゅっと握るのが見えた。  すぐに奈月は顔を上げて游太の顔を見た。じっと見つめて、言う。 「おれ、男同士で結婚とかはわからないけど、兄ちゃんたちは好きだよ。仲良くしてるとこ見たら嬉しいよ」  今度も心から『伝えたい』と思ってくれていることが伝わってくる。幼いながらに真剣に、たくさん考えてそういう結論を出してくれたのだろう。しっかり向き合ってくれたこと、そして伝えに来てくれたことが嬉しくてならない。  じわっと、游太の目元になにかが込み上げた。  あたたかな涙。  けれどここで泣くわけにはいかない。奈月に『自分の言ったことが間違っていた』と誤解させてしまうかもしれない。だから游太はそれを呑み込んだ。 「そう思ってくれるだけでじゅうぶんだよ」  代わりに言った。  声が震えそうになるのを我慢しなければいけなかったけれど、言った。  游太の気持ちはちゃんと伝わったようで、奈月は首をかしげて笑ってくれる。 「そう?」  それですべておしまいになった。そのあとぽつぽつと話して、奈月の手にしたグラスも空になって。 「あまり時間かけられなくて、悪かったな」  バックヤードにいたのはほんの十分程度だったろう。  仕事中だからといっても、大事な話だったのだ。本当はもう少し時間をかけたかったのだけど。  でも奈月は首を振る。 「ううん。お仕事、邪魔してごめん。じゃ、帰るね」  奈月がバックヤードから出て、店を出て、帰っていくのを游太だけでなく弘樹も近付いてきて一緒に見送った。  游太と奈月の様子から、なにかバックヤードでされた話は良いものだったと知ったのだろう。弘樹は、ほっとしたような顔をした。「また来てな」と奈月に言った。  そして奈月も「またじいちゃんとくるね」と言ってくれて、手を振ってオレンジから紺色になりつつある中をちょっと急ぎ足で帰っていった。  わざわざ学校帰りに寄り道をしてきてくれたのだ。本当に優しい子だと思う。  そして奈月がそんな子であるのは、游太たちが会ったことのない両親のためでもあるのだろうが、美森さんのおかげでも確かにあるのだ。  優しいひとたちに囲まれている。  そのことがまた游太の胸に染み入った。  また目元が熱くなってきたけれど、これも今にはふさわしくない。もう一度飲み込む。 「ヒロ。嬉しいこと言われたんだ。あとで聞いて」 「……ああ」  游太の顔が笑みだったからだろう。弘樹も、ふっと笑って頷いてくれた。  游太がやっと嬉しさからの涙をこぼしたのはそれから数時間後の閉店後だったけれど。  弘樹も泣きはしなかったが同じような気持ちになってくれたようで、その涙をそっと拭ってくれた。

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