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第18話 受験のススメ

「ケフン」  空咳が出て、喉の奥、喉仏のあたりを意識する。  上手くイガイガを逃がさないと、そのまま連続で咳が出てしまうから。 「ぅぁー……」  三日ほど前に急に空気が冷たくなって、いつものように熱が出た。  おれにとってはいつものことでも、迷惑と心配をかけてしまって、申し訳なくなる。  こっちに来てからは、熱を出すのは二回め。  解熱剤で動けないほどではないから大丈夫だと言ったけど、テルさんとシュンによって布団の住人にさせられている。  季節の変わり目は、苦手だ。 「いっくん、起きてる?」  学校から帰ったらしいシュンが、障子からひょこんと顔を出す。  そろそろかなと思っていたんだ。  退屈していたわけでもないけど、ちょっとだけ人恋しかったから、ありがたい。 「……ぉかえり」 「ただいま。熱、下がった?」 「んー……あとちょっとかな」 「まだ、声枯れてるね」 「咳、出てるから」  一緒に暮らしていてもおれは部外者だから、かわいいテルさんを見た夜から、関家の中でどういう話があったのかは知らない。  この家で見るテルさんはやっぱりしっかり者で、シュンは変わらずちゃんと学校に通っている。  最近、シュンは気を遣ってかおれの布団に入ってこない。 「宿題、ここでやっていい?」 「いいよ」  そういうとシュンは準備していたプリントを出して、問題を解き始める。  静かな時間。  熱があって寝ているときは、なんとなくすうすうと寂しくなるんだけど、今は違う。  窓ガラス越しに、青空が見えた。  今日はいい天気だったらしい。  しばらく手を動かしていたシュンは、ポイっと鉛筆を置いて、固まった。 「いっくん」 「ん?」 「前にさあ、テルちゃんはオレのこと好きって言ってたじゃん」 「うん」 「今でも、そうかな」 「そう思うけど……なんで、急に?」  枕に頭を置いたままのおれの横で、ゴロンと横になって、シュンは天井を眺める。 「母ちゃんがさあ、来いって言うんだ」 「どこに?」 「家。父ちゃんと母ちゃんのとこ。そんで、受験していい学校に行けってさ」  テルさんに教わった。  ご両親は健在だけど、テルさんの時は育てられる環境になくて、シュンの時は仕事が忙しくて。  どっちの時もそれなりの理由があって、寺の方に預けられたそうだ。  テルさんが独り立ちするころに、おばあさん――住職の奥さんがご病気になって、それをきっかけにこの家でふたりで暮らすようになったって。 「ふうん。シュンはどう思ってるの?」 「行きたくない。中学はさ、どこでもいいんだ。受験してもしなくても、特にこだわりないから。でも、あっちに行くのはやだ」 「何で?」 「なんか、今更って思うし……母ちゃん、テルちゃんのこと悪く言うからやだ。テルちゃんがいいっていうなら、こっちにいたい」  悪く?  首を傾げていたら、シュンがまっすぐの目でおれを見ていた。 「オレ、いっくんが好き」  はい?  何だ急にと思ったけど、ありがたいことだから、礼を言う。 「うん。ありがと。おれも、シュンが好きだよ」 「じーちゃんもテルちゃんも好きだけど、そうじゃなくて。いっくんは特別の好き。ずっと一緒にいて欲しい好きなんだ」  ……――え?  は? 「シュン?」 「テルちゃんとひーちゃんみたいに、仲良しにしたいって好き。って、母ちゃんに言ったら、テルちゃんがオレに悪影響を与えてるって言うんだ。だから、オレは母ちゃんのとこに行かなきゃいけないんだって。どう思う?」 「なんの冗談だって思う」  今、すごい情報がどかどかっと来たよ?  え、待って、今ちょっと頭の中ぼーっとしてて、受け止めきれない。 「冗談てなにが?」 「色々……」 「ふうん。でも、オレ、冗談言ってないから」  掛け布団を挟んで、おれの隣に転がって、シュンがオレを見る。 「テルちゃんの影響じゃなくて、オレの気持ちでいっくんが好き」 「そりゃあ、また……」  揺らぎのない、まっすぐの視線がおれに向く。 「いっくんが一人で泣くのは嫌だって、思った。オレが居て、安心してくれるのは嬉しいと思った」 「はい?」 「前に、いっくん熱出したじゃん。あのとき『シュン、手を貸して』って言った」  あー。  高校時代に寝込んだ時、何度かチュンに手を握ってもらったことがある。  どうしても寝付けなくて、手を握らせてもらってやっと寝付いたんだ。  春先に熱が出た時、おれはかなりグラグラで記憶はないんだけど、熱に浮かされてそう言ったんだろう。  『チュン、手を貸して』って。 「『ここにいて』『少しの間でいいから、手を握って』って、オレに言ってくれた。オレ……いっくんにしてあげられることがあるの、すごく嬉しかったんだ。いっくんがしんどいなら、いつでも手を握ってあげたい」  でも、シュン。  それは人違いだし、勘違いだよ。  お前は優しい子で、自分がそこにいていいと言って欲しい子で、だから、おれに惑わされてるんだよ。  そう言いたいのに、おれはバカで。  まっすぐのシュンの視線を嬉しいと思ってしまった。 「だから、オレはここにいたい」  ああ。  だけどさ、どうやったってお前は小学生だし、おれは大人なんだよなあ。 「だったらおれは、受験して来いって言うよ」 「いっくん?」 「だってお前まだ子どもなんだよ? まだまだこれから、育たなきゃ。いっぱいいろんな経験して、何がいいのかって言われたらちょっと困るけど、いい学校行って、いい男になって、おれを惚れさせてみろって、言う」  お前はいい子だから、おれになんて引っかかってちゃ、ダメだよ。  だから、何かをするのにもしないのにも、おれが理由でなんてダメだ。 「行っといでよ、シュン」  ごめん、テルさん。  おれ、シュンを突き放すのにこう言うしか、思いつかなかった。

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