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3 先生、仰せのままに
新学期が始まった。
平日は川上先生に萌え散らかし、休日は春馬さんに萌やし尽くされる日々。
付き合ってから3回遊んだけど、少しずつ慣れていくのかと思ったら、大間違いだった。
会えば会うほど糖度が増す。
電車に揺られながら、無表情で『好き』『可愛い』『こっち向いて?』とささやかれ続けるとか、そんなことある?
ありました。それが川上春馬という人物なようです。
「細胞は、核、細胞質、それらを囲む細胞膜から成り立っています。核と細胞質をまとめて原形質と呼ぶので……」
チョークを手に取り、丸で構成された簡単な図を描く。
「原形質が、細胞膜に包まれているということになります」
淡々とした授業。
理路整然とした話し方なので、ノートは取りやすいし、ちゃんと頭には入る。
ただ、ニコリともしない川上先生の抑揚のないしゃべり方は、楽しさとは無縁で、退屈に思っている生徒も多い。
夏休み前までの俺も、そうだった。
けど、いまはどうだ?
退屈どころか、川上先生の一挙手一投足に、目が釘付けだ。
よって、50分間に何回萌やされるかチャレンジみたいになっている。
「核の内部には、染色体があります。DNA、遺伝子という言葉を聞いたことがあると思いますが……」
春馬さんは元々男が好きだから、この世に遺伝子を残すことは考えていなかったと思う。
だから、BLでありがちな、『僕と付き合ったら君はもう子供が……』みたいな発言からの『いまさらそんなことで悩んでんじゃねーよ』みたいなだるい展開は経験しなくてよさそう。
春馬さんがどう思ってるかは分かんないけど、何にせよ、一生大事にすると言ってくれているので、それでよくない? と思う。
春馬さんの言う『一生』は、高校生同士の付き合いたてカップルが口にするそれとはわけが違って、文字通り、人生を賭けた決断だ。
教師が同性の生徒と付き合うなんて危ない橋を渡るのだから、俺としても、そういう腹の括り方をしないと付き合う資格はないのかなと思う。
……なんてちょっと堅苦しいことも考えたりするけど、基本的には、ただただ春馬さんという尊い攻めにキュンキュンするだけの簡単なお仕事だ。
あ、こっち見た。可愛い。
授業終了を知らせるチャイムが鳴った。
「お疲れさまでした。きょうは宿題はないので、各自、予習復習をしてきてください」
そう、川上先生は授業の終わりに必ず『お疲れさまでした』と言う。
でも、俺との電話の開口一番に言うのはこれとは全然違って、ものっすごいリラックスしてる。
そのギャップに毎晩やられてるんだけど、それにやられるためには、こうして普段の川上先生を摂取しておく必要があって……黒板を消すその背中さえ、尊い。
さっさと教室を出て行くその横顔をぼーっと見送ったところで、教壇のそばにいた女子が声を上げた。
「あー! 川上先生プリント丸ごと忘れてる!」
女子がわらわらと集まって、届けるか本人を呼んでくるか……みたいなことを話している。
うう、届けに行きたい。先生と学校で話したい。
けど、そんなことをしたら絶対にボロが出るので、我慢する。
いまだけ女子になりたい……とかバカなことを考えていたら、川上先生が教室に滑り込んできた。
「あー、先生! 忘れてますよ!」
「あった……良かった」
全速力で走ってきたのだろう。
前髪がふんわり斜めに分かれて、いつもは真っ直ぐなボブも、天然無造作ヘアになっている。
「ごめんね、ありがとう」
ちょっと恥ずかしそうに笑いながら、束を抱える女子に手を差し出す。
しかし女子は、固まったまま動かない。
「ん? あの?」
「……! あ、すいませんっ」
慌てて渡す。
束を受け取り、中をぱらぱらと確認した先生は、ほっとした表情を浮かべた後、トントンと角を揃えてバインダーに挟んだ。
「あー恥ずかしい。どうも、お騒がせしました」
苦笑いで頭を下げ、教室を出て行った。
その数秒後。
「川上先生が笑った……!」
「マジ、いや、笑えたんだねあの人」
驚きのあまり、お腹を抱えて笑い出す女子たち。
「え、てか、ちょっと可愛くなかった?」
「うん。奇跡起きてニュアンスヘアみたいになってたけど、あの方が絶対良い」
「あーなんか顔も、よく見たら系な気がしてきた」
「次の生物の時ちゃんと見よ」
先生本当に、何してくれちゃってんの……。
女子にバレてしまう。というか、ほぼバレた。
そうだよ。川上先生は普通に綺麗な顔してる。
雰囲気イケメンにうつつを抜かすお前らは気付かなかっただろうけどな!
いや、できれば、永遠に気付いて欲しくなかった。
新しいおもちゃを見つけたかのようにキャッキャしながら話す女子たちを見て、心底嫌になる。
もしも『川上先生が実はイケメン』みたいなのが噂になったら、これはBLでいうところの、女子が告ってきたりして当て馬になるパターンだ。
俺が最も嫌いなやつ。
その展開が出てくる作品を読むと、『女、邪魔だ! イケメンは至高なんだから容易 く触れるな!』……と憤慨してしまう。
もし買ったものがそのパターンだったら、地雷作品として2度と読まないくらいだ。
壁に張り出された時間割を見ると、あしたも生物がある。
しかも4限目だから、そのあとが昼休みで、ちょっと世間話をするくらいの時間はあるだろう。
気が重い。川上先生が女子に囲まれている場面なんて、死んでも見たくない。
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