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 北京市民が一般的によく飲むのは白湯で、次に茶葉を入れっぱなしの花茶(ホァチャ)(ジャスミン茶)だ。食堂でも白湯が一般的で、中国人と一緒のときにコーヒーを飲んだことは孝弘にはなかった。 「お湯を注ぐだけだからインスタントと手間は同じだけど、インスタントよりはおいしいよ」  じっと淹れるところを見ていると、ゆっくりとお湯を注いでいた祐樹がくすくす笑う。 「中国コーヒー思い出しちゃったよ」 「ああ、北京飯店?」 「うん。五つ星ホテルのカフェって初めて行ったけど、それであのコーヒーって」  こらえきれなくなったようで、声を上げて笑い出す。 「いい思い出になった?」 「ほんとだよ、一生忘れない気がするよ」  そのフレーズにどきっととした。  一生忘れない。そんな強く印象に残ったのか。 「なに?」  じっと見つめられて、孝弘は落ち着かない気分を味わう。 「上野くんて好奇心旺盛だよね。なんかいつ見ても、目がきらきらしてるっていうか、なんでも楽しもうって感じが伝わってくるよ」 「……目がきらきらって」  好奇心旺盛なのは確かだが、目がきらきらなど言われたことはない。思わず照れて赤くなる。 「高橋さんこそ、そんな顔して王子さまってかんじ」 「うーん。実際そういう柄じゃないんだけどね」  淹れてもらったコーヒーはミルクだけ入れて飲んでみると、たしかにインスタントより味も香りもよかった。 「でもモテるでしょ」 「そこそこだね。そんなにノリよくないから。学生時代にモテるのってそういう感じの子たちでしょ」  さらっと肯定したうえに謙遜したけれど、嫌みがまったくないのもすごい。 「ああ、まあそれはあるけど」   「とりあえず、お風呂どうぞ。ゆっくりでいいからね」  せっかくなので遠慮なくゆっくり入らせてもらう。  髪と体を洗ってから、湯船のなかで足をマッサージした。すこし筋肉が張っているが、それほどではない。  久しぶりに入る湯船に、体がのびのびとほぐれるのがわかる。  中国では水不足が深刻なので入浴の習慣はほとんどない。  一般家庭には風呂はないのが当たり前で、有料の公衆シャワー場があちこちにあるが、それも週に1回くらいという人がほとんどだ。  断水も多く、朝晩の炊事時間はだいたい出るが、昼間は強制断水していることもしばしばある。だから久しぶりの湯船は本当に気持ちがよかった。  風呂からあがってそんな話をして、祐樹に礼をいうと、なんだか複雑そうな顔をされた。 「え、なに? かわいそうになっちゃった?」  たまにそういう言い方をする人がいるから、あえて軽く訊いてみた。  日本の友人たちは、孝弘の留学生活を聞いて、よく言うのだ。  しょっちゅう水がでないなんて、停電するなんて、一人部屋がないなんて、テレビも電話もないなんて、そんな不便な国に留学するなんて、色々かわいそう、と。  孝弘自身はそんなふうに思ったことはないのだが、便利で清潔な生活に慣れた友人たちはそう思うらしい。まあ無理もないと思う。  孝弘だって北京に着いたばかりのころは、あまりの不便さや中国人の適当さに呆れたり怒ったりの毎日だったのだ。  しかし、祐樹は首をよこに振った。

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