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第1話

「やっちゃたぁ」と全身ずぶぬれで泣いてるのか、その時のリョウがあんまりきれいで、今すぐ彼を抱きたいと考える自分は変態なのか、そう考えさせるリョウが悪いのか。  リョウがケンジと付き合ってたことを知っていて、俺はケンジに手を出した。元来貞操観念がどうにかなってるケンジは簡単に俺の誘いに乗った。  俺は別にケンジが好きだったわけじゃない。  俺はリョウに会ったその瞬間にリョウにとらわれただけだ。俺が、メイカーズマークシングル、ハイボールで言ったとき、リョウは古い言い方だよね、それ、と俺の方を見ずグラスに付いたしずくを拭きながらふふっと笑った。リョウの差し出したグラスを、わざと彼の指を触るように取った。彼はちょっと口を開けて、その赤い舌を口からのぞかせて、ふざけたように「あと少しで上がるから。」と言った。 俺は店の外でリョウを待ち続けた。2時間ほどたったころ、リョウは出てきた。あ、待っててくれたんだぁ、ちょっと感動した、と言って酔っぱらって俺に抱き着いてきた。リョウは俺と同じぐらいの背の高さで、彼が抱き着いた時、ちょうど、彼の耳元のピアスが俺の口元に触れた。  彼は少し枯草のような、そういう感じの匂いがする。彼の部屋は非常に殺風景でベッドと冷蔵庫とレコードプレイヤーと古いボサノヴァのレコードが何枚か無造作に散らかっていた。彼はジャケットを脱いで床に放り投げ、「名前なんだっけ」と言いながら俺の方を向いた。振り向いた顔が幼い女の子の様で、去勢された中世のボーイソプラノ、カストラートの様で俺と同じ世界線に生きている人間のような感じがしなかった。 「まぁ、いいかぁ」 と、俺の目をまっすぐに見てキスをしたときに、きっと俺の生活とか人生とか道徳観とか、そういうのが全部なくなって、消え去って、そして、魂が焼かれたのだと思う。  俺とリョウは時々、正しくはリョウが俺を呼び出した時に会うようになった。会うといっても、結局セックスするだけで、会話も何もなかったのだが。  でも、今日は珍しくリョウは俺に触ろうとしなかった。俺はミネラルウォーターの入ったグラス越しにあいつの顔を見ていた。別にあいつの顔さえ見れたら俺は幸せだったから、俺はずっとあいつの顔を見ていた。あいつは手に持ってたグラスの、透明の度数の高い酒を飲みほして、泣き出した。あいつの目からこぼれ落ちる涙がそのグラスに入ってた透明の酒の様だと思った。俺はしばらくあいつの、この世で一番美しい涙を眺めていたのだが、あいつは不意に俺を現実に戻すかのように、 「ケンジね、帰ってこなくて」 そんなの、いつものことだろうと、言いかけてあいつの口元唇が少し切れていることに気が付いた。俺は頭に血が上った。「殴られたのか」 「しつこく、電話したから」と閉じた目からぽろぽろと涙がこぼれた。  リョウ、ケンジが帰ってこないの、俺のせいなんだ。俺がケンジといたんだ。電話があったのも知ってる。多分、お前だってわかってた。電話のコールに反応したケンジに、キスをしてたのは俺だ。  リョウ、ケンジとは別れてくれ、あんな奴、あんな誰とでも誘われれば寝るような奴、お前にはふさわしくない。  俺はリョウがケンジと別れてほしかった。それだけだった。でも、リョウは何度裏切られても、殴られても別れようとしないから、ケンジからリョウと別れるようにさせるしかなかった、と浅はかな俺は考えたんだ。  俺は何度もケンジと関係を持った。リョウと会わせたくなかった、こうしてケンジが俺の方を向いていれば、そのうちに、リョウはケンジに愛想をつかすかもしれないと思ったんだ。  そうこうしているうちにケンジが俺に本気になってしまった。  リョウと別れると聞いた時、俺は満面の笑みでケンジにキスしてやった。  ケンジがリョウに別れ話を切り出す日、俺は二人から見えないところで眺めていた。ケンジが何かをリョウに伝えたとき、リョウは崩れ落ちるようにその場に崩れこんだ。ケンジはリョウの頭を少し撫でて踵を返した。リョウはケンジ、と叫び、待ってとか、行かないでとか、そういうことを言い続けたけれど、ケンジはリョウを置いて歩き出した。リョウは立ち上がってケンジの腕をつかんだ。ケンジは少しリョウをみて、蔑むように、キタナイ何かを見るかのように見下した。そして、何か口にしたのだけれど、俺にはそれが聞こえなかったのだが、リョウの顔色が一気に蒼くなるのが分かった。  それからはまるで、映画のワンシーンの様だった。リョウがケンジ殴り、はずみでケンジが倒れて、リョウはケンジに馬乗りになった。そして、映画のスローモーションのように、リョウの長くて美しい指がケンジの首に巻き付いて、そのように見えて、一気に力を入れたのが分かった。人間の死がこんなに簡単にあっさり訪れるものだと思わなかった。多分、倒れたときに頭をぶつけて脳震盪を起こしてたのかもしれない。リョウはしばらく動かなくなったケンジの首を絞め続けていたのだが、「やっちゃったぁ」とぼそっと言った。俺はそのリョウの姿に見惚れていたのだが、リョウの言葉に現実の戻り、彼の傍に駆け寄った。 「やっちゃったぁ」 リョウは泣き出すと思ってたのだが、一粒の涙も流さず、顔が濡れていたのは涙ではなく、突然降りだした雨のせいだった。子供のように一言だけ「やっちゃったぁ」と言ったリョウの腕を掴んで彼を立たせ、彼の手を持ってその場から二人で走り出した。  ひとまず、リョウの部屋に行った。彼は何も話さず、今さっきケンジの首を絞めた彼の手をじっと眺め続けていた。  そして、一言、 『こういう結果がお前の筋書き?』 と言った。俺はリョウのその言葉に驚いたんだが、なんとなく、そういわれることは、わかってたような気もする。 『知ってたよ、ケンジはああいうやつだから携帯でもなんでもほったらかしで、誰でも簡単に見れるんだよ。お前の電話番号見たときは心臓止まりそうになったけど、でも、ケンジはああいうやつだから、もう、仕方ない。』  彼はテーブルの上の果物ナイフを持っていた。そして俺の方を見て、いつもの首をかしげるように俺を見て、 『俺、別にケンジのこと、そこまで好きじゃなかったよ。ただね、俺、情が深いんだ。一回好きになった男はそんな簡単に切れないんだ。』  俺は心中でその果物ナイフを俺の身体の奥深くに差し込んでくれることを望んでいた。リョウに俺の息の根を止めてもらって彼の与えた痛みの中で彼の美しい顔を見ながら死んでいきたい。 『おまえ、俺のことそれほど愛してたんだよね、知ってる、全部多分、お前が想う以上にお前は俺のこと好きで狂っていたんだよな。でも、俺、お前のこと、殺さないよ。そんで、お前のこと一生愛してやらない。一生俺のこと夢見続けて苦しんで苦しんで、生き続けな。』  そして、持っていた果物ナイフを深く深く首に潜らせそのまま横一線に赤いラインを引くように一気に首を掻っ切った。

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