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番外編『危険な寝相』
「ん……ん」
壱成は、左半身に重みを感じながら目を覚ました。そっと見下ろした先には、彩人の寝顔がある。壱成に腕枕をされるような格好で、すうすうと穏やかな寝息を立てているのだ。
二階に部屋があるとはいえ、壱成はたいてい一階にある彩人の部屋で眠っている。空を寝かしつけた後に食器洗いや洗濯をした後、ソファでまったりしている間に眠くなり、近場にある彩人の部屋で眠ってしまう――というのは建前で、単に彩人と一緒に寝たいだけなのだが。
壱成も昼間仕事がある上、空を寝かしつけるまでの家事育児。空の存在に癒されもするが、まだこの生活に慣れていないため体力気力を使うのだ。そのため、彩人が仕事を終えて夜更けに帰ってくる頃には、ぐっすり深く夢の中である。
――ここで寝ることにも慣れちゃって、彩人が帰ってきても気づかなくなったな……。
そんなことを思いながら、壱成の腕枕で眠る彩人の髪の毛をさらりと撫でた。
空が言っていた通り、眠っている時、彩人はそばにあるもに抱きついてしまう癖がある。しかも、去年まで一緒に眠っていた空にまで邪険にされるという状況だったらしい。不憫な兄貴だなと思いつつも、一緒に眠るようになって、空の苦労を理解した壱成だ。
彩人は壱成よりも体格がいいので、抱きつかれると重たいと言えば重たい。腕でしがみついてくるのみならず、脚まで絡みついているのだから余計に重いのである。こりゃ空くんも大変だ、と思わずにはいられない。
だが、さらりとした脚が絡まって、どちらかが身動ぎをするたびに触れ合う感触は……なかなかに、ぐっとくるものがある。気を抜けば興奮しそうになり、壱成は健やかな彩人の寝顔を見下ろして、ため息をついた。
「ん……」
壱成のため息に刺激を受けたのか、彩人がかすかに声を漏らした。こうして上から見ていると、まつ毛の長さに驚くとともに、きめ細かい白い肌にも感心させられる。
――かわいい……寝てる顔も空くんそっくりだな。
寝顔を見つめていると、つい最近、彩人から聞いた話を思い出す。
彩人は幼い頃、自分よりも大きなヒツジのぬいぐるみとともに眠っていたらしい。彩人の両親も多忙であったらしく、親の添い寝の代わりにと置いていたらしいのだ。『その癖が抜けないみたいなんだよなー』、と彩人は苦笑していたものである。
幼い彩人とぬいぐるみ、という取り合わせには萌えを感じずにはいられないのだが、壱成には多少気になることがあった。
「お前それ……修学旅行とか、どうだったの? まさか、そこでも誰かに抱きついてたりとか……」
「えーと……確か」
聞けば、小学生時代の修学旅行のとき、彩人は隣で眠るガリ勉真面目系男子にしっかりとしがみついて寝ていたらしい。だが相手の男子は彩人に文句を言うでもなく、寝苦しい夜を過ごしたようだ。申し訳なく思った彩人は「ごめんなぁ」と謝ったが、それ以降その男子に避けられるようになってしまった。
「迷惑かけたんだろーなぁ〜と思ってたんだよね」
「まあ、子どもが雑魚寝してるんだから、それくらい起こりうることだろうけどな」
「まぁねー。でも、そいつ普段からそんな絡む方じゃなかったし、いつの間にか忘れてたんだけど……卒業式の日、そいつに呼び出されて、『好きですって』言われたんだよな」
「ふーん………………へぇ…………って、え!!? 何それ告られてんじゃん!!?」
話のオチ方があまりにも急角度だったので、壱成は晩酌にと口にしていたチューハイを鼻から噴き出しそうになった。だが彩人は、けろっとした表情である。
「おう、そーなんだよ。『早瀬のこと好きなんだけど……中学別々になるし、よかったら』とかって電話番号渡されてさー」
「えっ!? え、それ、どーしたの!?」
「その時はまだ告白の意味とかよく分かんなくて、『うん? いーよ?』とかって適当に返事したんだけどな」
「……」
なるほど、十二歳の彩人には、そこにこめられた意味が分からなかったようだ。当時の彩人がどのような風貌をしていたのか何となく気になった壱成は、彩人の卒業アルバムを見せてもらうことにした。
……そして、納得する。
十二歳の彩人は、パッと目を引く美少年……いや、周囲の生徒よりも少し小柄で細っこいせいか、美少女と呼んでも差し支えないほどに、とにかく愛らしい顔立ちをしていた。あまりに空とよく似ていたこともあり、壱成は衝撃を受けた。
「うわっ……かわ、かわいい……」
「へへー、サンキュ」
「お前……っ、これ、これでよく何事もなく成長できたな!?」
背が伸び、ジムで身体を鍛えている現在の彩人には精悍さを強く感じるものだが、この頃の彩人の穢れのない可憐さときたらどうしたことか。よくこれで変質者に目をつけられなかったものだ。
だが彩人は笑って軽く手を振り、「いやいや、写真写りいーだけだから。俺、うるさくてサルみたいって女子によく怒られてたし」と言った。
「いやでも……こんなのにくっつかれて一晩寝るとか……相手の何かを目覚めさせちゃってるしさぁ……危険すぎじゃん」
「そーかぁ? あー……あと、中三の修学旅行でも……」
「まだあんの!?」
そして中学三年生の修学旅行。
彩人はまたしても隣に眠る同級生にしっかりと抱きついて眠ってしまった。相手は柔道部元主将・牛岡という大柄な男子生徒だった。
当時、壱成も同じクラスだったので、牛岡のことはよく覚えている。名前があらわす通り、牛岡は心身ともにどっしりとした男だった。年齢のわりに泰然自若としたところがあり、主将としての貫禄も抜群だ。席が近かったとき、壱成は時折漫画の貸し借りをしていたことがある。
「え、それで……まさか、また?」
「うん、まぁ」
「……」
ある日校舎裏に呼び出された彩人は、牛岡に『もう我慢できない、好きだ』と告白されたらしい。だがその頃の彩人はすらりと背が伸び始め、学校中の女子にモテてモテてモテまくった結果彼女もいた。そのため牛島の告白は成就しなかったらしいのだが……。
「ちょ、待って待って!! お前男にモテすぎじゃん!! つーかその抱きつき癖かなり危険じゃね!??」
「まぁ今思うと、確かに」
「はぁ……もう、怖ぇ〜」
聞けば聞くほど危機感を煽られる話だ。
ちなみに高校では何もなかったのかと尋ねてみると、高校二年生のスキー合宿では寝袋だったことと、高三の修学旅行は布団ではなくベッドだったため、そういう事故は起きなかったという。
「いや……多分これだけじゃない。もっとお前のこと狙ってる男いたと思う。小さい頃の彩人とか、空くんちょっとおっきくしたみたいな感じじゃん。めちゃくちゃかわいいし」
「えへ、そう? まあ俺、小学校まではチビだったしなぁ……。中学は中くらいで、壱成と同じくらいだったし」
「はぁ? どーせ俺は中くらいだよ今も変わらずな!!」
「まあまあ、そう怒んなって」
くわっとしかめっ面になった壱成の眉間を、彩人は笑いながら指でこすった。
その晩は何となく中学時代の懐かしい話で盛り上がり、その話題は終了となったのだった。
+
といった夜のことを思い出しつつ、指に絡みつく彩人の髪の毛を心地よく感じながら、壱成は少し笑った。こうして彩人の無防備な寝顔を見つめていると、共に暮らすようになった現状に、改めて幸せを感じるのである。
「……彩人」
呼ぶでもなく名前を呟いてみると、彩人が微かに身動ぎをした。閉じられたままのまぶたが微かに震え、ゆっくりと持ち上がる。
「……んー……」
胡桃色の睫毛の下に、澄んだ色をした瞳が覗く。眠たげに壱成を見上げた彩人は、ふわりと気の抜けた笑みを浮かべた。
「……おはよ」
「おはよ、彩人」
「……ふぁ〜〜〜……今何時?」
「えーと、六時。彩人、何時に帰ってきたの?」
「ん……三時すぎ、くらいかなぁ……。新人入ったから、ちょっとミーティングあって」
「えぇ? 全然寝てないじゃん。ごめんな、起こして」
ややかすれた声でそんなことを話しつつ、彩人は甘えるようにぎゅうっと壱成にしがみついてくる。そして、するりとシャツの中に忍び込んでくる彩人の腕が、壱成の腰を抱き寄せる。さらりとした肌の感触がどこか色っぽく、壱成はぴくりと震えた。
「ちょっ……くすぐったいって」
「んー……ちょっとだけ」
「何がちょっと……、あっ……こらっ」
そのまま腹の上を滑り上がってきた彩人の指先が、壱成の胸筋を淡く揉みしだく。見る間につんと芯を持ちはじめた胸の尖りをさらりと撫でられ、壱成は「ひぁっ」と声を上げてしまった。
「こらっ! なにしてんだよもう!」
「もうちょっとだけ。……壱成、いい匂い」
「っ……、もう、だめだって……」
すんすんと首筋の匂いを嗅いでいた彩人の唇が、肌に触れる。ちゅ、ちゅっ……と淡く吸いつかれながら胸元を弄られて、じんじんと身体に熱が篭り始めた。
「ばかっ……朝っぱらから、なにしてんだよっ……」
「今週まだ一回もしてねーだろ? 俺、壱成不足なんだけど」
「ん、んっ……」
するりと絡みついた彩人の太腿が、壱成の股座を割って上下に動き始めた。ここのところすっかり敏感になってしまった壱成の性器だ。ゆるゆると硬さを増し、もっと甘い刺激を欲しがってよだれを垂らし始めているのが分かる。
「ん、……ぁっ、あやと……っ、やめろよ……」
「そんなエロい声でやめろって言われても、余計興奮してきちゃうんだけど」
「ンっ……ぁ、ばか、……っ」
当然のごとく、壱成もまた彩人不足なのだ。こんなふうに気持ちの良いことをされてしまっては、ここ最近燻りっぱなしだった身体の熱が、容易く燃え上がってしまうというものである。
「こんなことされたら……我慢できなくなるだろ……っ」
「我慢……しなくてもいんじゃね? する?」
「ぁ……っ」
胸を弄んでいた彩人の指が、ゆっくりと腹の方へと降りてくる。そして、思わせぶりな動きで壱成のハーフパンツの中へと忍び来ようとしてきた、そのとき――
とたとたとた、と小さな足音が、ドアの外を走り回るのが聞こえてきた。そして、バタンとトイレのドアが開け放たれる音も……。
壱成は、がばりと素早く身を起こす。
「できるわけねーだろ!! ほら起きろ! 空くんもう起きてるぞ!」
「うう……切り替え早……」
「ったく朝っぱらからちょっかい出してくんじゃねーよ……はぁ、あぶなかった……」
空の気配を敏感に察知したためか、壱成の屹立はするすると大人しくなったようだ。だが彩人はまだ起き上がってくる気配はない。壱成はもぞもぞとベッドを出ながら「どーしたんだよ」と声をかけた。
「俺……シャワー浴びてから朝飯作るから、ちょっと待ってて」
「え? ああ……いいよ、俺が作るから」
「ハァ……こんなに性欲に苦しめられる日が来るとは。高校生かよっていう……」
どうやら、彩人の方はまだまだ身体が収まらないらしい。壱成は笑って、乱れた彩人の髪の毛に指を通した。
「ま、週末まで我慢だな」
「うう……分かってんだけど」
「つ……続き、楽しみにしてるから」
「えっ」
やや照れながらそう言うと、彩人がガバッと顔を上げた。そして目をキラキラ輝かせる。
「へぇ〜〜壱成そんなかわいいこと言ってくれんの!?」
「はっ!? 何が」
「うんうん、俺も続き楽しみにしてっから。はぁ〜〜楽しみだな、どんなことしちゃおっかな♡」
「……」
うきうきした口調で枕を抱きしめている彩人の尻を引っ叩いて、壱成はため息まじりにベッドから立ち上がった。するとベストタイミングで、空がバーン! と彩人の部屋の扉を開く。
「あー! いっせーここにいた! なにしてるのぉ!?」
「おっ……おはよ空くん! 俺は……俺はほら、彩人を起こしてたところだよ!!」
「あ、そっかぁ〜。にぃちゃん、いつもなかなかおきないもんねぇ」
空はぴょんとベッドに飛び乗り、彩人の上にまたがって「にぃちゃんあさだよぉ! ほいくえんいくんでしょー!」と容赦無く彩人を起こし始めた。「重い重い」と文句を言っている彩人とじゃれている空を微笑ましく見守りつつ、壱成は先にキッチンへと向かった。ちなみに、まだ身体の奥にひそんだ熱は燻ったままである。
「……はぁ……俺もまさか、性欲に悩まされる日がくるとはなぁ……」
ぶつぶつとそんなことを呟きつつ、壱成は冷蔵庫を開けて卵とベーコンを取り出す。
今朝のメニューはベーコンエッグだ。
『番外編・寝起きの話』 おわり
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