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相応しい男とは〈前〉
とある日。
マッサは彩人と共にジムで身体を動かした後、揃って店へと向かっていた。ジム内に入っているカフェで高タンパク低カロリーなランチを済ませ、昼下がりの街を並んで歩く。
一昔前ならば、彩人と時間を合わせて街を歩こうなどと考えることはなかっただろう。だが今は、もはやこれが当たり前の日常となりつつある。
もっと軽薄な男だと思っていたが、彩人は空や壱成に対してとても真面目だ。見かけによらず苦労の多い人生を歩んでいたというところでも話が合う。それに彩人は、忍とマッサの付き合いについて誰よりも理解がある男だ。それもあって、なんだかんだと付き合いが増えているのである。
「んでさー、俺の代わりに壱成が保護者会とか出てくれんだけど、もう他のママさんたちからの人気がハンパねーのなんのって」
「ほーん」
「俺が出てもみんな遠巻きにヒソヒソやってるだけだったのに、壱成が行くとなーんか話が弾むみたいでさ、ママ友めちゃくちゃ増えてんだぜ。すげーよな」
「ま、向こうはまともな会社勤めで見た目も爽やかやし、喋りかけやすいんやろ。それにあいつ、保護者会とかでも真面目に意見とか言うてそうやん。お前そういうのできひんやろ」
「確かに! マッサ俺らのことよく分かってんなぁ〜」
「……おい、ベタベタ近寄ってくんなうざいねん」
「またまたぁ、そんなツンツンしなくてもいーのに♡」
「……」
のほほーんとそんな話をしつつ、彩人は終始機嫌の良い笑顔だ。すれ違う女性たちが皆彩人の顔を見つめる気持ちも分かる気がする。
「んで? そっちはどーなの。忍さんと仲良くやってんの?」
「んー、まぁ……それなりにな」
と、クールに突き放して見せるが……実のところ、毎日がとても幸せでたまらない。
店でバリバリ場を仕切っている忍の凛々しさには以前から惚れ惚れしていたものだ。ボディガードがてら接待に付き合っていた頃も、忍がマッサに見せる顔はいつも『先輩』らしいものだった。隙があるように見せておいて実は隙のない忍の大人びた態度を、いつも格好よく思っていたものである。
だが最近の忍は、店では見せない表情を、マッサにはたくさん見せるようになったと思う。二人きりになった途端に『ああ疲れた』と言ってホストの仮面を外し、細い首に巻きついていたネクタイを緩めながら大欠伸をするくつろいだ姿であるとか。掃除が好きで、家では割と自炊派なところであるとか。ニュースを眺めながらブツブツ文句を言うところであるとか……数え上げたらキリがないが、これまでには見たことのなかった忍の一面一面が新鮮で、なんだか毎日楽しいのだ。
それに加え、セックスの時に見せる忍の色香に、マッサは完全にやられている。
見た目の割に経験値が低いことをやや気にしているのだが、忍はいつでもマッサの行為を全て受け入れ、全身で喜んでくれる。完全なる年下扱いをされることもしばしばだが、
忍から与えられる快楽に、すでに頭まで溺れている自覚はある。ほっそりして見えて筋肉質な身体は美しく、抱けば抱くほどにマッサの形に馴染んでゆく。しなやかに乱れる姿は妖艶で、声を抑えて喘ぐ姿はとても健気でいやらしくて、マッサの理性を完膚なきまでに破壊するほどに蠱惑的だ。
……といったことをつい思い出していたらしく、顔が緩んでいたようだ。隣で肩を震わせながら笑う彩人の声にハッとする。
「ふーんふーん。へー、そーなんだ、それなりにうまくいってんだ、へえ〜〜♡」
「なっ……なんやねんニヤニヤすんな気色悪いなっ!!」
「確かにさー、なんか忍さん、最近調子良さそうじゃん? 先月の売り上げもすごかったろ? 俺当分ナンバーワン無理そうだなって思ったし」
「それがどうしたんや」
「むふふー、決まってんじゃん。お前と付き合ってるから、忍さんの調子もいーんだろって話だよ♡」
キラッキラの笑顔でうりうりと脇腹を小突かれ、マッサはジロリと彩人を睨みつけた。が、彩人がマッサの目力に気圧されるわけもない。
忍から完全なる年下扱いをされることもしばしばで、それが多少歯痒い時もあるけれど、実際マッサは十も年下だ。初めに抱いた感情が『尊敬と憧れ』という類のものだったこともあり、妙なプライドは抱かずに済んでいるものの……もっと、頼られたいと思うこともよくある。
なので、自分の存在が忍を活気づけるものであるならば純粋に嬉しい。マッサはうっすら口元に笑みを浮かべつつ、「まぁ……そういうことなんかもしれんけど……」と言いかけたが……。
「……あっ」
ぴた、とマッサは足を止めた。
横断歩道の向こうにあるオープンカフェのテラス席に、忍の姿がある。
そしてその隣には……。
「あれ、忍さんじゃん。一緒にいる男、誰? すげぇイケメン」
赤信号に変わったばかりの横断歩道だ。幹線道路にはたくさんの車が勢いよく行き交っているが、マッサの視力は両目とも2.0だ。忍、そして隣にいる男の表情まで、クリアに見えている。
彩人の言う通り、忍の隣で悠然と脚を組む眼鏡の男はなかなかの……いや、かなりの男前である。
綺麗に整えられた黒髪が細面によく似合い、いかにも上品な雰囲気だ。身につけたブラックスーツや細身の革靴はキマっているし、さりげなく手首に巻きついた時計も明らかな高級品。そういうものが嫌味なく似合っているあたり、その男のハイスペックさがうかがわれる。落ち着いた雰囲気から見て、年齢は三十代後半といったところだろう。
ただ友人と会っているだけ……という場面だろうが、マッサ的に気になるのは、忍が男の手元に顔を寄せ、楽しげに笑っているというところである。すごくくつろいだ表情で、とても、とても親しげに……。
――な、なんやこの胸のつっかえは……。
眼鏡の男は笑っている忍をじっと見つめ、怜悧そうな瞳を優しげに細めて微笑んでいる。どうやら、ふたりで眺めているのはスマートフォンであるらしい。そうして、いかにもハイスペックな男と楽しげに言葉を交わす忍の姿は、自分といるときよりもずっと自然で、ずっと『対等』なような気がして……。
高校時代に付き合っていたお嬢様のことを、マッサはふと思い出した。
彼女がマッサをふった理由は、マッサが自分には『不釣り合い』だから、というものだった。その後彼女は、校内一金持ちだと噂される先輩と交際を始めた。そう、その先輩の父親は大企業の社長で大金持ち、広くてきれいな家に住んでいて――
「マッサ? 信号青だぜ?」
「あ……あ、おう」
「一応挨拶してくか? この後どうせ店で会うけど」
「いや……ええかな。なんか話し込んでるみたいやし」
「そー? ……てか、どした? 大丈夫か?」
とっくに克服したと思っていた過去に引きずられていたらしい。彩人に肩を揺さぶられ、マッサはハッと我に返った。気遣わしげにマッサの目を覗き込む彩人の顔が、すぐそこだ。
「えっ。だ、だいじょうぶに決まってるやろ」
「ほんとに?」
「ほら、行くで。……ちゅーか、そんな目ぇで見んなや。別に気にしてへんて」
「なら、いーんだけどさ」
何やら彩人には、動揺を悟られているようだ。気づけば青信号は再び赤信号へと色を変え、忍のいるカフェへの道は閉ざされている。
――そういや俺……忍さんのプライベートな付き合いのこととか、なんも知らへんな……。知る必要もないと思てたし、誰とおるとこ見ても気にならへんと思ってたけど……。
だが、今のように、忍と『釣り合いの取れた』男が隣にいるところを見てしまうと、妙に胸が苦しくなる。
マッサはふいと方向を変え、青信号が点灯しているほうの道路へ歩を進めた。
+
「忍ちゃん、なんか最近すっごく肌も髪もきれいじゃない? なんかいいことでもあったの?」
その数時間後、『sanctuary』の店内である。
ちょうど開店前の全体ミーティングが終わったところで、スタッフの顔にも程よい緊張感が浮かんでいる。
そんな中、ナンバー2のイケオジホスト・葛木が、ダンディにタバコを燻らせながら、隣に座る忍に向かって声をかけている。ソファ席の一つに座って脚を組み、予約帳をめくりながらナンバー入りホストたちと打ち合わせをしていた忍が、葛木を見て首を傾げた。
「そう?」
「そうだよ〜。いいなぁ、なんかスキンケア方法変えたの? 僕もさすがにここんとこ肌のたるみが気になっちゃってねぇ」
「スキンケアは特にしてないけど」
「えっ!? うそでしょ!? なにもしてなくてそのキメ細やかなお肌とかアリなの?! てっきり高級エステサロン通いしてるんだと思ってたよ!?」
「エステなんて恥ずかしくて行けないよ」
「てことは、天然素材でそれ!? はぁ……うらやましいなぁ。え、まさか彩人も天然素材!?」
「え? そーっすけど?」
しれっと返事をした彩人と忍を見比べて、葛木は「はぁぁ……」と重たいため息をついた。
「いいなぁ若いって。……まぁ、忍ちゃんはそう若くもないか」
「ふっ……。なに言ってんのぶん殴られたいの? それにね、言っとくけど、僕は葛木さんと比べりゃ相当若いよ」
「もう……こわいから笑顔で凄まないでよ。いいなぁ、みんな美肌で。ねぇマッサ」
「俺もまあまあ美肌ですけど。歳も葛木さんの半分以下やし」
「アッハハ〜〜もう、みんな遠慮がないんだからな〜! おじさん泣いちゃうよ? いいの? 泣いちゃうよ?」
「好きに泣いてなよ」
と、忍に冷ややかなとどめを刺され、葛木はフッ……と微笑み、背中に哀愁を漂わせ始めた……。
『sanctuary』立ち上げ当初からの付き合いであるため、忍も葛木には遠慮がない。すると彩人が「葛木さんカッコいいから大丈夫っすよ〜! いい感じに歳取ってる! よっ、イケオジ! 俺もそんなふうに歳取りたい!」とフォローに勤しんでいる。
すると忍が、ソファの向かいに座るマッサを見た。不意打ちの流し目は色っぽく、うっかりときめいてしまいそうになるのだが……。
なんとなく気まずくて、ふいと視線を逸らしてしまった。若干バツの悪さを感じつつ袖口のカフスを留め直していると、忍が小さく首を傾げる様子が目の端に見えた。だが、葛木との会話は続いている。
「まぁ……いいことはあったかな。プライベートが充実してきた感じで」
「ええええっ!? そうなのかい!? なんだよ、ついこないだまでそんな気配一切なかったのに!? ちょっと、そこ詳しく!!」
「それはまたいつか。……というわけで、今日もいっぱい予約入ってるから、みんなよろしく。VIPルームの団体さんには、マッサと彩人が入りがてら、新人くんたちの指導頼んだよ」
「はい」
忍のキビキビした声で、ミーティングは解散となった。すると忍は、隣でなおも哀愁を漂わせている葛木に向かって、聞こえよがしなため息をついている。
「で、急に肌がどうこうとか、どうしたの。若い彼女でもできた?」
「えっ……? な、何でわかるの……?」
「あ、図星? へぇ、良かったじゃない、おめでとうございます」
「えへへ、ありがと♡ でもね〜20も年下でねぇ。なんかこう、老いを感じてしまってさ。アッチのほうもなかなかね〜」
「ふーん、まぁ、頑張ってとしか言いようがないけど」
「もうっ! 忍ちゃんは冷たいなぁ」
「それに彼女さんだって、葛木さんに若さなんて求めてないと思いますよ。年の差気にするより、まずは彼女さんのことを大事にしなきゃ」
「ああ……うん。確かになぁ……うん、そうだね」
背負っていた哀愁が消え、葛木は目をキラキラさせはじめた。
接客中は、苦味の走った渋い顔立ちがいかにも大人の余裕を醸していて、すこぶるカッコいい葛木である。(と、新人時代は思っていた)……が、平常時はこれだ。もう見慣れた光景とはいえ、初めはずいぶんと驚かされたものだ。
忍に恋愛トークを始めた葛木の声を耳に挟みつつ、マッサは立ち上がってソファ席を離れた。ちょいちょいと心配そうな視線を送ってくる彩人の眼差しには気づいていたが、それもなんとなく気まずい。心配させてしまっていることに申し訳なさを感じるし、それが気恥ずかしくもあり、情けなくもあり……。
――はぁ……しゃんとせぇ俺!! べつに、疑うこともなんもないねんから、普通にしとったらええやろ……!!
と、自分を奮い立たせようとするも、それはなかなかうまくはいかない。いっそ早く接客に入って、ホストの顔になってしまいたいと思った。
そうすれば、過去の不甲斐ない自分のことなど、忙しさにかまけて忘れてしまえるだろうから。
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