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ケーキとナイフとクリスマス

――俺はクリスマスが大嫌いだ!  街は無駄にイルミネーションがキラキラして、人間たちは無駄に陽気になり、鶏肉を食う。あの日本人オリジナルルールは一体なんなんだ!  なぜクリスマスに恋人たちはディナーに出掛け、良いホテルでえっちするんだ! 最早意味がわからない!!  そして俺がなぜこんなにクリスマスを憎んでいるかというと―― ――その答えは俺の名前と家業(いえ)にある。  【聖夜(せいや)】なんてキラキラネームを俺に付けたのは、何を血迷ったか俺の母親である。  しかし、俺の誕生日は12月23日であってクリスマスイブには全く関係ない。繰り返すようだが、  そして俺の誕生日はクリスマスと常にワンセット。  23日の朝にプレゼントをサンタから貰う我が家は『全部まとめて一足(ひとあし)(さき)にシステム』だった。  まだ当時子供だった俺は何も知らず、我が家は世間様より特別に早くサンタクロースが来るのだと、自慢気に友達に話しては、数年後それを黒歴史の1ページに深く刻むこととなる。  タイムマシンがあればあの頃の自分に言ってやりたい!お前は両親から良いように騙されているだけだ!早くその口を閉じろ!傷が浅いうちに黙るんだと!!  我が家(ケーキ屋)にとってクリスマスは大事な稼ぎ時。ハロウィンが終わると同時に家族一丸でクリスマス商戦に精を出す。  家族全員が無事暮らせているのもケーキを買ってくれるお客さんがいるからだ。  頭でわかっていても俺だってまだまだ遊びたいお年頃。  だって、青春真っ盛りの17歳! ――いまだ彼女いない歴=年齢の童貞だけど……。  溜息をひとつ付くと到着音がなり、上りエレベーターのドアが開いた。  俺は近所にあるマンションの最上階にエレベーターで一気にあがると、端の部屋から順に、クリスマスケーキの予約チラシをドアのポストに投函し、階段を使って階数を走り降りては、それを繰り返した。  2階に差し掛かり最後の階段を降り切る瞬間、現れた人影に気付き、ぶつかる寸前でなんとか避けたが、相手が驚いて声をあげると同時に、買い物袋が壁に当たりグシャッと嫌な音がした。 ――やっちまった。  良い匂いがキッチンからふんわり漂う中、エプロン姿でキッチンに立つ、先程知った彼の名は、蔵元(くらもと) 稀世(きよ)。袋の中で半分ご臨終した卵を一緒に消化するお手伝いをして欲しいと彼に頼まれ素直に従った。  線の細さからせいぜい20歳(ハタチ)くらいだろうと思っていたが、実際は俺より6歳も上の23歳で、保育園の先生らしい。端麗な顔立ちをした彼はきっと、人気があるに違いない。 「本当にすみませんでした……」  手際良く料理中の彼に後ろから声を掛ける。 「いいの!いいの!卵なんてそんな高いものじゃないし、僕もぼんやり歩いてたし、気にしないで」 「俺が悪いんです、階段で走ったりして……。最悪怪我させるところでした。本当に、すみません」  彼はこちらに振り返ると、柔らかな笑顔のままじっと俺を見ていた。  俺は首を傾げてあのう?と伺う。 「君は本当に優しくて良い子だね。きちんと謝れて、お家の手伝いもして。本当に立派だよ」  正面向かって褒められたのが久しぶりで、俺は赤面した。嬉しいと言うより気恥ずかしい。 「お口に合えばいいんだけど――」  そう言って目の前に出されたのは、エッグベネディクト風パンケーキ。  こんがり焼かれた分厚いベーコンに、ポーチドエッグ。オランデーズソースたちが良い匂いを醸し出していた。 「美味そう!頂きます!」  俺は手を合わせると、ナイフとフォークでポーチドエッグごとパンケーキを割った。半熟の黄身がトロリと流れ出しソースと混ざる。俺は零さないように切り分けたものを口に運ぶ。 「んんん!すげぇ美味いです!こんなの初めて食べた!!」 「本当?良かった。嬉しい」  食後に稀世さんはコーヒーを淹れてくれた。すごく良い香りだったけれど、子供(おれ)の舌には少し苦くて、稀世さんはミルクを足してくれた。 「ご馳走様でした!本当に美味かったです!」 「お粗末様でした。お口に合ってなによりです」 「いや、本当に、料理上手でイケメンとか!完璧じゃないですか!」 「んー……、そうだと良かったんだけどねぇ……」  稀世さんは曇った面持ちだった。  俺は何か気に障るような事を言ったろうか……。  視界の奥のリビングで段ボールが積まれているのが見えた。 「……引っ越すんですか?」 「え、あ、うん。保育園に少し近いアパートにね」 「アパートって、ここからは遠いんですか?」 「そうでもないよ、ここから3駅くらいかな?」 「なのに引っ越し?なんのために?」  思わず口から出た純粋な疑問だった。  このマンションはまだ新しいし、3駅ならここから通うのも大して変わらないんじゃないかと感じたからだ。そこに一体どんなメリットがあるんだろう――? 「人生をリセットするため――、かな?」 「えっ?」 ――想像もしていなかった返事だった。  17の俺には到底理解できない大人の事情がそこには潜んでいた。  無神経に馬鹿なことを聞いたと俺は内心焦り、二の句が継げないといると、稀世さんが話の口火を切った。 「聖夜くんは、将来ケーキ屋さんを継ぐの?」 「あ、はい……。多分」 「多分?」 「やりたい事があるならそれをやりなさいって両親からは言われたんですけど、俺やりたい事とか今のところ何もないし。とりあえず製菓の道進んで、またそれからでも考えようって……俺、中途半端ですよね」 「どこが?ちゃんと明確に考えているじゃない」 「あ、ありがとうございます」 「聖夜くん、やっぱり良い子だね」 「あんまりガキ扱いすんのやめてください。すげー恥ずかしいんですけど!」  俺は照れ隠しに怒ってみせた。稀世さんはにこにこと笑ってる。 ――これが世に言う大人の余裕というやつなのか、畜生!  稀世さんは立ち上がり、おもむろにリビングに向かって歩いた。窓の前で立ち止まり空を見上げ、ポツリと呟く。 「今年のクリスマスは雪、降るかなあ……?」  小さい子供のようなその仕種に、一瞬ドキリとさせられた。かわいいって男にも当てはまる事あるんだなと、俺はしみじみした。 「早々降らないですよね。クリスマスに降り積もる雪なんてのは物語の中だけで……寒い地域に行けばあり得るんでしょうけど」  俺は稀世さんの隣まで行き、一緒に空を眺める。  リビングの壁には段ボールが並び、その横の本棚に何冊か本が残っている事に気付いた。 「あの本は捨てるんですか?」 「うん……、あれは僕のじゃないから。読んでも難しくてわかんないし」 「恋人……の、ですか?」 「どうだったかなぁ……」  窓に指先をコツンと当て、稀世さんははぐらかす。伏し目がちにしたその瞳には長い睫毛が影を作り、それはとても意味深な横顔だった。 「どんな人ですか?稀世さんよりも年上?年下?」  稀世さんは俺の声に不穏な目を向けるがすぐに逸らした。 「この話はもうおしまい!そろそろ帰らないとお家の人が心配するよ。引き止めてごめんね。今日は楽しかった、本当にありがとう」  逃げようとする稀世さんの背後から左手首を掴み引き寄せると、バランスを崩した体が反転して俺の胸にドサリと正面から倒れ込む。  成人してる筈のその身体はとても頼り無さげで、簡単に俺の身体に収まり、こちらを見上げる稀世さんの表情は不安げだ。  俺はなぜそんな事をしたのか自分でもわからなかった――。  初めて会った稀世さんが俺に何も話さないのは至極当然の事だし、6つも違えばガキ扱いもするだろう。  だけどそれのどれにも俺は納得出来なくて、腹が立って、あのナイフで卵を割ったように、この人の中身を知りたいと思った。切り口からその秘密を全て啜りたくなった。 「も……、やめ、て」  小さな悲鳴が俺の耳を掠める。    俺は稀世さんの顔を抱え込んで自由を奪った。瞼に、頬に、鼻にキスして最後に唇を塞ぐ。キスなんてした事なかったから全然うまく出来なかった。ズルズルと足から崩れる稀世さんを窓に押さえ込み、その唇をただ貪った。舐めたり吸ったり、息苦しさで開かれた唇を割って、舌でその中を犯す。  稀世さんは腕の中で抗っていた。その力が次第に弱まり、だらりと手が落ちる。唇を離すと窓に凭れたまま荒く肩で息を吐き、涙と唾液がその顔を濡らしていて、俺はそれにすら興奮した。 ――俺、男なんて好きになった事なかったのに……。なんで俺、こんなに……。 「ねぇ、恋人ってどんな人……?」  まだ少し息が荒いままの稀世さんは怪訝な顔だ。 「なんで……、そんな事、知りたいの……?」 「稀世さんの事知りたいと思ったから」 「会ったばかりの僕のことを?……なんで?」 「わかんない……直感?」  呆れたと言わんばかりに稀世さんは大きくため息をついて、口の周りを拭った。 「こんな悪い子だとわかってたら部屋になんかあげなかった」 「ごめんなさい」 「そこは素直に謝っちゃうんだ?もう……、なんなの?小悪魔なの?」  稀世さんは膝を抱え、ぎゅうっと小さくなる。 「――恋人と呼ぶには罪深い相手だよ」  観念したように稀世さんは続けた。 「よくあるって言っちゃなんだけど、園に通う子供の父親と付き合ってた」 「ばっ!ちっ!」  謎の言語が俺から飛び出た。 ――男の保育士と父兄の不倫はよくあることでは無いような気もするが……。 「ここはその人が借りてくれたマンション。保育園から少し遠いし、彼の家からも遠いんだ」 「別れた……の?」 「奥さんにバレて、園にいられなくなった。もちろん彼とも終わった。彼はあっさり家庭を選んだ。当然だよね、僕とは遊びなんだから……」  胸を刺すような儚い声で稀世さんは微笑んだ。   「……だから、人生をリセット?」 「そう。彼のことも前の職場のことも忘れて、新しい職場と住処で新しく生活を始めるんだ」 「……そこに俺は入れないの?」 「聖夜くん……」 「俺、稀世さんを好きになった。さっき初めて会って、男なんて今までそんな対象にした事もなかった!けど稀世さんは違うんだ!見てるとドキドキするし、すごくかわいいって思うし、キスしたくなるし……チンコも勃つ……」 「チ……?!」  声を失いながらも稀世さんが俺のアソコを見て怯んでいるのがわかった。 「僕23だよ?6歳も上のおじさんだよ?わかってる?男なんだよ?脱いだら同じものが僕にも付いてるの!胸もないんだよ?」 「でも好きになっちゃったんだ!それじゃダメなの?俺が嫌い?」 「ズル過ぎるよ!そんな甘えた声で、捨てられた仔犬みたいな目してさ!傷心中の年上(ぼく)に向かって、嫌い?だなんて、僕のこと殺す気なの?」  稀世さんは両手で顔を覆って足をパタパタさせた。 その仕種があまりに愛おしくて額にキスすると、かわいく目を覗かせ睨まれた。 「ねぇ稀世さん。今年のクリスマスは俺と過ごそう?俺ね、好きな人とクリスマスなんて今まで過ごしたことないんだ。一緒に過ごそう?うちのケーキ持って行くよ!チキンだって買って行くよ!」 「――ダメって言っても玄関の扉の前で待つ君が容易に想像できるよ」 「うん、俺待つよ。雪に埋もれたって待ってる!」 「もう、なにそれ」  ようやく稀世さんは笑ってくれた。笑うと少し幼くてかわいらしくて、胸の奥がじんわり温かくなった。 ――予感がした。俺は稀世さんのいるクリスマスをきっと好きになる。

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