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第三章『 彼の怪 』 - 01 /02
そうしてあの桜の木の下で先生に出会ったのが、今から四年前の事だ。
そして、あれから四年経った今も、あの場所は変わらず穏やかで、今年も美しく桜が咲き誇ったのだった。
もちろん、あの付喪神も変わらず穏やかに過ごしている。
だが、僕はといえば――相変わらずは相変わらずだが、全く穏やかではないというのが現状だ。
桜も散り、遅咲きの桜が開花を始めた頃になっても、僕はそう、“相変わらず”先生に心臓を揺さぶられる日々を送っているのだった。
だがそんな日々を大きく変えるきっかけとなった日がある。
それは、とある休日の事だった。
― 第三章『彼の怪』―
その日は休日という事もあり、僕はお気に入りの大きな書店へと足を運んでいた。
そして、そこで目当ての文庫本を見つけるなり迷わず購入し、次にとある場所へと向かったのだった。
《なんだ、機嫌が良いじゃないか》
そうして満足のゆく買い物をした僕が次の目的地に着いた時、ふと脳内に優しく響く“声”が聞こえた。
僕はそれに少し安らぎのような感覚を抱きながら、心の中で言葉を返す。
(うん。ずっと読みたかった本が買えたから……)
僕がそう“思いながら”目の前の桜を見上げると、そんな桜の木の前にゆっくりと彼が現れた。
実は、四年前のあの出来事があってからというもの、僕はより一層この広場が好きになり、学生時代はほぼ毎日のようにここへ通っていたのだ。
それゆえ、当然のようにこの桜の木に宿る付喪神とも随分親しくなっていた。
そしてそんな彼との交友のようなものは、僕が大学を卒業してからも変わらない。
また、教授の助手という事もあり、大学の関係者でもある僕がこの大学に足を運ぶの別段不思議な事ではない。
そういった事から僕は、卒業生となった今でも、休日を利用してはこの広場に足を運び、彼に挨拶をしてはここで読書を楽しむというのが一週間のルーティンの中に入っている。
《そうか……。お前の心が明るいと、お前の気も良い味になる。今日もゆっくりしていくと良い》
(うん。ありがとう)
僕は彼の言葉に礼を返し、ゆっくりとベンチに腰掛ける。
すると、彼もまた僕の隣にやんわりと腰をおろした。
彼はこうして読書をする僕の隣に座り、僕の“気”を味わうのが好きなのだそうで、読書をしている間はずっと隣にいる事が多い。
きっとこれが人間相手の事であったなら、妙に緊張したり、気が散ってしまうのだろう。
だが、どうしてか彼の場合はこうして手元を覗きこまれるような距離にいたとしても平気だった。――というよりもむしろ心地良さすら感じるのだ。
僕は毎度その事を不思議に思うが、その心地良さを気に入った僕は、ある時期から深く考えるのをやめた。
また、今ではそうして彼に身を委ねるようにしながら読書をするのがお気に入りにもなっていた。
それゆえに僕はその日もいつも通り、そのまま日が暮れるまで読書を楽しんだのだった。
《――ところで瑞尊 。お前はまだ八廣 に想いを伝えていないのか》
「え!?」
そうしてすっかり日も暮れ、空が顔を赤らめ始めた頃の事。
読書を満喫した僕がゆっくりとベンチから立ち上がろうとすると、彼が僕に妙な事を訪ねてきた。
そしてそんな妙な問いに対し、僕は思わずはっきり声に出してリアクションをしてしまった。
僕はそんな自分の声にも驚いてしまい、慌てて周囲を見渡す。
因みにだが、“八廣”というのは、先生の下の名前だ。
《ははは、安心しろ。誰もおらん》
そんな僕をおかしそうに笑った付喪神は、そう言って意地悪そうな顔をした。
《相変わらずお前は八廣の事となると面白い反応をするな》
僕は、そんな彼の言葉に動揺しながらもなんとか文句を言った。
(そりゃそうだよ! そんな事言われたらびっくりするに決まってるだろ! 大体“まだ”って、僕は告白する気なんてないんだってば!)
すると彼は、その意地の悪い表情のまま楽しそうに言った。
《それでは何も変わらんじゃないか。お前たち人間の命は短いのだ。――想い人がこんなにも近くにいるのに行動しなくてどうする》
(そ、それは当たり前だよ……。もし変に告白なんかして嫌われたらどうするんだよ……)
すると彼は、そんな僕の言葉に不思議そうに首を傾げる。
《嫌われる……? なぜ嫌われると思うのだ……。お前はまだ八廣には何も言っていないのだろう? 今だって特に嫌われているわけでもないのに、なぜ嫌われると分かるんだ?》
僕は、彼のそんな率直な疑問に対し、少しひるみながらも弱弱しく答えた。
(確かにやってみなきゃ結果は分からないけど……でも、嫌われる可能性もあるから怖いんだよ。先生はいつも優しいけど、でもそれは僕に対してだけじゃないから……。それに、こんなに一緒にいても先生の事で分からないことも多いんだ。だから……恋愛対象が男って事ですら、知られるのが怖いんだよ……)
《……ふむ》
僕がしまいには項垂れるようにして正直な気持ちを伝えきると、彼は短くそう言い、少し考えるようにしてから言った。
《なるほどな。――確かにお前たち人間は、誰に恋をするのかを性によって区切る風習があるゆえ、同じ性をもつ相手への恋心は理解されにくい。――そんな風習の中で生きていれば、そんな恐れもあって当然か……》
「……」
僕はそんな彼の言葉を聞き、人間のそんな風習さえなければ良かったのにと改めて思った。
まだ子供だった頃にも、初めて男相手に実らぬ恋をした時、性別がこんなにも障害になる人間社会を恨んだものだった。
そんな事もあり、一時期は人間社会ではなく、“彼ら”の世界の住人になりたいとも思ったりもした。
《だがな瑞尊。この俺がそんなお前に良い事を教えてやろう》
感謝するんだぞ――とでも続きそうな様子でそう言った彼は、すっと立ち上がり僕の前に来ては髪を撫で、穏やかに言った。
《お前が男に恋をするという事を知っても、八廣はお前を嫌いになったりする事はない》
僕はそんな彼の言葉に驚き、はじかれるようにして彼を見上げる。
「え?」
また声を出してしまったが、それを気にかける事すらできないほどに僕は困惑していた。
そんな僕の髪をまた優しく撫で、彼は続ける。
《八廣が恋する者に性別は関係ない。あれも男の恋人がいた時期もあったのだ。だから、お前が男に恋する者であろうと、それで八廣に嫌われることはない》
(ほ、本当に?)
僕が縋るようにしてそう問うと、彼はゆっくりと頷いた。
《だが、あれにも問題はあってな。――八廣は人よりも我々に魅了されやすいのだ》
(どういう事?)
そうして続けられた言葉の意味が分からず、僕がそう尋ねると、ううむ、と唸った彼は続ける。
《お前、八廣の髪や瞳の色が気になった事はないか》
(髪や瞳の色……? それなら確かに不思議だったけど……。――でも先生は元々色素の薄い体質だったんでしょう? だから地毛とか瞳の色が明るいんだって聞いたけど……)
僕がそう言うと、彼はやや目を細めるようにしてからゆっくりと言った。
《八廣の色が抜けているのは、生まれつきでも血のせいでもない。――あれは、“色をとられた”せいなのだ》
(……とられた?)
《そうだ》
僕は先ほどから驚く事ばかりを知らされ混乱の絶えない脳内で必死に情報を処理する。
そして、その中で思い至ったのは――先生はかつて、何かしらの怪異に魅了された果てに、その怪異に色を“盗られた”――という事。
《我々の同族の中には、色を喰う者もいてな。八廣は幼い頃、その類の者に近付き色を喰われたのだ。――幸い、あれの親が助け、全ての色を喰われる前に事は済んだらしいがな》
彼が言う、“色を喰らう怪異”については僕も少し聞いたことがある。
確か、古びた物や写真などが色褪せていくのもそんな怪異の影響である場合があるらしい。
なんでも、彼らが付喪神のように物などに憑くと、彼らが徐々に色を喰ってゆく事で、その物の色素が失われてゆくのだそうだ。
そして先生は幼い頃、不運にもその中でも人間の色素を喰らう怪異に遭ってしまい、色を食われたのだ。
ただ、先生は古くから魔祓いの力を持つ家系の子供であった事から、先生が色を食いつくされる前に、先生の両親の手により救われた――という事なのだろう。
《まったく……それが八廣の初恋だというのだから呆れる》
(……え? 初恋?)
《あぁ……》
彼は今度、ひとつ呆れたような溜め息を吐いては続ける。
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