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第四章『 探り合い 』

       とある日、僕はあの大きな桜の木に宿る付喪神からとある課題を出された。  それは、八廣(やひろ)――つまりは先生の――心の解を求めてみよ、というものだった       ― 第四章『探り合い』―      僕はかれこれ四年ほどの片想いを経て、今年で五年目の片想いをしている。  因みに、どうしてそんなに長い片想いをしているのかについては理由がある。  一応のこと、告白の機会がなかったわけではないし、先生も僕に悪い印象を持っているわけではないと感じていた。  だから告白は、しても良い状況下にはあったのだ。  だが、それでも僕は先生に告白をしなかった。  その理由として、まず第一に、先生が同性からの恋心を受け入れてくれるかどうかどころか、そもそも許容する事ができるかがわからなかったという事がある。  そして、もし許容すら出来ないような感性を持っていた場合――学生時代の僕であれば距離を取られ、今の僕であれはここをクビになるだろう。  ただ、クビになるだけならまだ落ち込む程度で済む。  僕にとって一番恐ろしいのは、先生に嫌われ、先生の嫌悪の目を向けられる事だ。  だから僕は、その最悪の事態を避け、片想いを続けながら、その想いを墓まで持っていく方がマシだと考えたというわけだ。  だが、そんな僕の考えを揺さぶったのが、あの付喪神の言葉だった。  先日、あの付喪神から知り得た先生の真実は、僕にとって衝撃的な事ばかりだった。  そして、その中で最も衝撃的だったのが、先生は僕に対し、恋愛感情を抱いてくれている可能性がある、という事だ。  ただ、あの付喪神が言うには、先生はその事を自覚できていないらしく、更には僕に抱いているその感情がどういったカテゴリーに属すものなのかすら判断できていないという。 ――八廣もそこまで気が回るクセに自分自身の事にはまったくもって無能だ  僕はあれから、そんな付喪神の言葉を度々思い出している。  実のところ、先生が自分の事をあまり気にしないという事は薄々気付いていたが、まさか鈍感と言われてしまうほど重症とは思いもしなかった。  これは恐らく、僕が先生に盲目的に恋をしてしまっているからという事と、憧れによるフィルターがかかった事により気付けなかったのだろう。  それにふと思い返してみれば、大学の同じゼミに属する女性陣もそのような事を言っていたが気がする。  やはり女性陣のアンテナは侮れないようだ。  そして現在の僕はといえば、そんな女性陣のアンテナに酷く頼りたい気持ちになっていた。  その理由はただ一つ。 (先生の事……やっぱり全然わかんない……)  そう。あの日からかなりの日が経ち、遅めの梅雨入りすら迎えてしまった今もまだ、付喪神から出された課題の進み具合は最悪なのである。――というより数ミリたりとも進んでいないというのが現状だ。  あれからというもの、僕は先生をこれまで以上に観察し、ちょっとした仕草や僕に対する反応に至るまでをも注意深く見ては課題の成果を出そうと努力してみたのだが、結果は惨敗。  必死の努力も虚しく、その度に僕の心臓が早めのお祭りを開催するだけで、課題自体には全く成果が出なかったのだ。  因みに、その事を踏まえ、かの付喪神サマにご助言を賜りにいったところ、 (そのような表面上の行動で分かるわけがないだろう。八廣はすでにお前に恋をしてしまっているのだぞ。変化などあるものか。――それに、お前は悲観的にな思考をもっている上に、八廣には盲目的だ。しかも八廣と話すだけで心が騒ぐのだろう? それでは表面上から解を導くのは無理に等しいのは分かり切っているはずだが)  と、厳しいご評価を頂いた。  そして、そこで賜った有難いご助言はというと、 (そんなに表面上の変化から知りたければ、いっそ色仕掛けでもしてみたらどうだ。あれも人並みに性欲はあるぞ)  という、まったく何の役にも立たないようなもののみであった。    「はぁ……」  その日、一通りの業務を終えた僕は、帰りの支度をしながらこれまでの事を思い返し、小さく溜め息を吐いた。 「おや、何かあったのかい?」   一応、同じ室内にいる先生に気付かれまいと思って小さくついた溜め息だったのだが、どうやら先生には気付かれてしまったらしい。  僕はその事に驚きつつも、慌てて訂正する。 「あ、いえ! 何でもないです!」  先生の相変わらずの観察力にも感服しつつ僕がそう言うと、先生は首を傾げた。 「そう? それならいいんだけど、何か困った事があったら言ってね」 「は、はい! ありがとうございます!」 「あぁそれと、疲れている時も、無理しないこと」 「は、はい!」  すると、まったく何もごまかせていない僕の反応に対し、先生はひとつおかしそうに笑んでから、思い出したように続ける。 「そうだ、それからね――」 「は、はい」 「ちょっと急なんだけど、来週の一週間は休みにさせてもらっても大丈夫かな」 「えっ」  僕は文字通り急な事に驚き、やや混乱しながら尋ねる。 「えっと……先生がお休みをされるという事でしょうか」 「あぁ、えっとね、俺も休みを取らせてもらうんだけど、それと同じく、瑞尊(みこと)君も来週いっぱいはお休みって事だね。――もちろんその分のお給料が減るわけじゃないから安心してね。だから君も、特別な臨時有給だと思って自由に過ごしてくれたらと思ったんだけど……」  先生はそこまで言うと、僕の表情を伺うようにして言葉を区切る。 「な、なるほど」  そして、僕はそれだけを声に出し、必死で頭を整理する。  今、どうして僕がこんなにも混乱しているかというと、僕が何かまずい事をしてしまったから休みを言い渡されたのかもしれない、という不安と、もしかしたら先生や先生の身内に何かあったのではないか、というよからぬ憶測が僕の脳内を満たしていたからだった。  また前者に関しては、ここ最近の僕は例の課題の事で頭がいっぱいで、もしかしたら気付かぬうちにミスをしていたのかもしれないとも思ったのだ。  実は、あの日から今日まで、細かな記憶がない部分もあった。  つまりここ最近の僕は、今まで以上に先生の事しか見ていなかったのだと思う。  だから、何かミスをしていたとしても気付けなかったのかもしれない。  僕がそのようにして考えを巡らせていると、次いで先生が僕に問うた。 「もしかして、何か都合が悪かったかな?」  僕はそれに対し、再び慌てて首を振る。 「い、いえ! 違うんです、えっと……と、突然だったので、先生に何かあったのかななんて考えてしまって……」  そして僕はとりあえず先の憶測の片方を答えた。  すると先生は、そんな僕に安心させるような笑みを作り、優しく言った。 「ごめんごめん。変な心配をさせちゃったね。何か大事があったとかじゃないんだ。ただ単純に忘れていただけで……」 「“忘れて”?」 「そう。――実は毎年この時期には東京を離れて、一週間ほど京都の方に行ってるんだけど、これまでは一人で仕事をしていたから伝える事がまだクセになっていなくて……。――変な心配をさせてごめんね」 「い、いえ全然! そういう事だったんですね」  僕がそう言うと、先生はうんと頷いて再び笑む。  僕はそんな先生の笑顔にまたドキドキしながらも、確かに毎年のこの時期は、先生の講義が休講になっていた事を思い出した。 (そっか……あれって京都に行ってたんだ……)  そして、僕はそう思いながら先生に言った。 「でも毎年京都に行くって、なんだかいいですね。僕、京都には行ったことがないので憧れます」  すると、そんな僕の言葉に先生は意外そうな表情をした。 「そうなのかい? 修学旅行は別のところだったの?」 「あ、えっと、中学生の時の修学旅行は京都だったんですけど……ちょうど風邪を引いちゃって行けなかったんです」 「そうだったのか……」 「はい」  僕は子供の頃、あまり体が強い方ではなかったのだ。  それを今になって改めて思い出し、なんとなく情けないと思いつつ苦笑すると、先生が言った。 「――それなら、瑞尊君も一緒に来るかい?」 「………………え?」 「車で行くから長時間の移動にはなってしまうけど、瑞尊君がそれでも良ければ」  先生はそう言って首を傾げるようにして微笑む。  そんな先生の穏やかな笑みに反し、僕の心では花火大会が開催されていた。 「え、えっと……そ、それは、ご迷惑ではないですか……」 「まさか。俺が誘ったんだから全然迷惑じゃないよ。ただ、宿泊する旅館が新幹線や電車ではちょっと手間のかかる場所でね。――だから車なんだけど……。多分休憩も入れて六時間くらいかかってしまうから、それさえ問題ないなら、かな」  僕は、花火の音でかき消されそうになる先生の声を必死で聞き取りながら、震えそうになる声を制し、言った。 「せ、先生さえよろしければ……お、お願いします」  先生はそんな僕の返事を聞くと嬉しそうに笑んだ。 「こちらこそ」  そんな先生の笑顔は、いつもより少しだけあどけなく見えたような気がした。  だが、その時の僕には心の余裕がなく、そのいつもと違う先生の笑顔を分析する事はできなかったのであった。        そしてその日の晩。  帰宅してから夕食や風呂を済ませた頃に、先生から一通のメッセージが届いた。  そのメッセージには、明日の待ち合わせについてや、京都でのスケジュールが丁寧に記されていた。  僕はそんなメッセージを見ながらドキドキと騒ぐ心を抑え、お礼の返信を打ち、ひとつ大きく息を吐いた。  明日から約一週間もの間、一日中先生と行動を共にするのだという事を考えると、すでに落ち着いてなどいられなかった。  そんな僕はそこでふと、先ほど見た先生のあどけない笑顔を思い出した。  これまでの日々で、僕は先生にあどけなさというものを感じたことはなかった。  だが、今日見た先生の笑顔は、確かにあどけなさを含んでいた。  僕はそんな発見に対し、これは何かのヒントになるかもしれないと思い、あの笑顔を思い出しながら、その事について冷静に分析してみる事にした。  ――なんて事はまったくできず、その夜の僕はその後、そんな先生の新しい一面を何度も思い返すうちにじっとしていられなくなり、結果ひたすら枕に顔を押し付けてはベッドでばたついたまま、眠りに落ちたのであった。                

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