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第15話

 不覚にもドキッとしてしまった天は、いつかと同じく撫でられた髪に指先を持っていき、やや頬を染めて視線を逸らした。  歳上の余裕とはこういうものだと知らしめるような動作は、何度されても慣れない。  あっけらかんと胸の内を明かした天に対し、豊の表情は何となく曇っている。 「吉武が性別を嫌っているのは知ってるし、理解しているつもりだ。 だがこう言っちゃなんだけど、その性にしか出来ない、感じられない事もあるだろ?」 「……俺は嫌なんです。 そんなの経験しなくていい」  優しい上司は、天を庇うどころか厚い情まで持ち合わせていた。  彼の言う通りだとは思う。  世の中がもう少し寛大であったなら、天もここまで自身のΩの性を否定しなかったかもしれない。  おおっぴらに出来ない、むしろあらゆる場面で迫害に近い待遇を強いられる男性のΩは、それとして生きていても何も良いことがない。  何故、番を見付けなければならないのか。  それはαであれば女性でも男性でもいいわけだが、見目的にも身体的にも明らかなのは天が組み敷かれる側であるという事。  前回のヒートで思い知ったのだ。  貫かれたい。  誰かにめちゃくちゃにされたい。  腹の奥の奥まで、性を送り込んでほしい。  秘部が疼いた分だけ、突き付けられた。  目を背けていても確実に性は天を苦しめる。 ……それを、思い知ったのだ。 「お前それって……番を見つけるつもりはないって言ってるのと同じだぞ」 「その通りです。 俺は独りで生きていくんです。 番なんて必要ないし、何にも経験したくないし、出来る事ならどんな被害を被ってもいいからβになりたいです」 「…………吉武……」 「無理なんですけどね、そんな事は」  さらりと言い放った天は、ジョッキに残ったビールを飲み干した。  強がりにも見えるその一気飲みを前に、豊も言葉を失っている。 「……次もビールでいいか? 焼酎いっとく?」 「いえ、ビールでお願いします」 「オッケー」  テーブルに設置されたタブレット端末を操作する豊の指が、ビールの画面を二回押した。 ピッチの早い天に合わせて、彼もおかわりを頼んだらしい。  つまみは?と問われたが、今もテーブル上には所狭しと一品料理が並んでいて、天は首を振って遠慮する。  豊がタブレットにて注文をしているわずかな合間、何気なくスマホに目をやるとスリープ状態から立ち上がり、LINEの通知を知らせた。  相手は潤からだった。 "まだ飲んでる? ちゃんと帰れる?" 「……俺の事いくつだと思ってんだ」  週末だというのにバイトは休みなのだろうかと要らぬ世話を思いながら、独り言を呟いて「帰れるよ」と返信した。  豊の手前スマホはポケットにしまい、不意に届く潤からのメッセージに知らず笑みが溢れる。  既読スルーしないで、と言われた翌日から、暇さえあればメッセージを寄越す潤は相当にドタキャンを恐れているようだ。  未だプランは教えてもらえないが、映画の好みや好きな食べ物を事細かにリサーチしてくるところを見ると、……自ずと察する。 「なんだ、またニヤニヤして」 「えっ? ニヤニヤ……してました?」 「あぁ。 リア充の笑顔だぞ、それは」 「り、リア充っ!? ないない、それは無いです。 明日会う方から連絡きただけなので」  潤からのメッセージを見ていると、どうしてかニヤついているらしい自身の口元に触れてみたがあまりよく分からない。  元気な声と共に華奢な女性店員が軽々と大ジョッキを二つ運んできた。 そのため一度口を閉じた天は、ポケットの中で振動を感じてまたニヤつく。  天にその自覚はない。 「明日って例の?」 「そうです、例の」 「どんな奴?」 「どんな奴って……見た目は、なんか……見た事ないくらい爽やかな青年ですね。 すごく人懐っこい」 「青年? 何歳なんだよ」 「あ、それは……、あの……聞いてないです」  さすがに、相手は高校生です、とは言えなかった。  相手が歳下だと知った豊がどんな反応をするのか分からず、さらに「高校生ならやめとけ」と追い打ちをかけてきそうだ。  礼をしたい。 天の目的はその一点なので、潤には悪いがその後は徐々に疎遠にしていくつもりである。  「それっきりなの?」などと先手を打たれたからにはうまく付き合いを絶たなければならないが、学生である彼には彼の世界があるだろうからその点はあまり心配はしていない。 「は? やべぇだろ、それ。 身元確かな奴なのか? 身分証見せてもらった?」 「えぇっ! 身分証なんてそんな……」 「危ねぇなぁ。 絶対に薬飲み忘れるなよ。 緊急のアレも肌見放さず持っとけ。 いいな? 何かあったらすぐに連絡しろ」 「……時任さんに?」 「そうだ。 ヤバイと思ったらすぐにな」 「そんな事にならないから大丈夫ですよ。 でも……ありがとうございます」  ビールの泡が消え去るまで、その日の豊は愚痴を溢さずこんこんと天の心配をし続けた。  ちょうど発情期真っ只中で薬が手放せず、副作用がツラいと漏らした天を心底案じているのが伝わって妙に嬉しい。  帰り際、いつものように代行タクシーに乗り込む豊は天の頭を撫でた。  「今日もありがとな」と真っ赤な顔をして、最後にはやはり心配気な表情を浮かべていた。

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