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第17話

 潤が触れてきたあの瞬間、得体の知れない何かが天の体内を走り抜けた。  たちまち消えた感覚を、体だけは覚えているが言葉には到底出来ない。 とにかく突然で、一瞬の出来事だった。  カフェに到着するまで会話らしい会話が無かったのも、天同様に何かを感じ取ったらしい潤がしきりに手のひらを気にしていたからで、天と潤の気持ちは図らずも同じであった。  あれは何だったのだろうか。  二人同時に瞬発的に一歩後ろへと下がり、熱なんてないよと潤の手を払い除ける間もなかった。  思い当たるとすれば、そう……午前中の陽が昇りきる手前、しかもこの時期は肌寒く乾燥する時節だ。  ビリビリっと瞬く間に体内を走り抜け、カッと目を見開くほどの衝撃で数秒意識を奪われ、思わず呼吸を忘れてしまったあれは──。  きっと、静電気だ。 そうに違いない。  得体の知れない "何か" が怖くなり、天は無理やりそう結論付ける。  先程までのだるさや眠気が嘘のように無くなっている事には目を瞑った。 なぜならそこまで考え始めると、この謎がいよいよ迷宮入りしてしまい一層怖くなるからだ。 「……ここだよ、Brise (ブリーズ)」  そう言って立ち止まった潤にならい、天も歩みを止める。  まず目に入ったのは、カラフルなチョークで今日のランチメニューやオススメのデザートが書かれた小洒落たボードと、観葉植物。  開放感溢れる大きな窓から店内を覗くと、オープン間もないというのにほぼ満席のように見えた。 「わぁ、やっぱお洒落だな。 潤くんにピッタリ。 しかもめちゃくちゃ流行ってるね」 「そうだね、土曜日だから……あ、そこ段差あるから気を付けて」 「うん」  入口は自動ドアではなく、先回りした潤が重たいガラス扉を恭しく開けて通してくれた。  段差に躓く事なく入店すると、深紅のサロンを腰に巻いた女性店員がすぐさま近付いてくる。 「いらっしゃいま……あっ、潤だ! どうしたの!?」 「おはよう。 今日はお客さんだよ」 「そうなんだぁ。 今日明日休み取ってたもんね! お隣は……弟さん?」 「………………」 「えっ、いや違うよ。 お友達」 「そうだ、だって潤の兄弟はお兄さんだけだったもんね?」  心外な台詞にいつもは少しだけムッとして見せる天だが、気に留めた様子はない。 初めてのカフェに興味津々でそれほど広くはない辺りを見回していて、親しげに言葉を交わす若い二人など眼中に無かったのである。  あまり不躾にキョロキョロしては駄目だと分かってはいるが、眠気の飛んだ天は早くも楽しくなってきた。  いくつかある広めのテーブル席はすべて埋まっていて、あとは隅の小さな丸テーブルとカウンターしか空いていない。  開店直後から少しずつ席が埋まってゆく様を想像すると、ワクワクした。  明るく暖かな店内には芳しい香りが漂い、話し声やキッチンからの物音、カウンターにずらりと並んだ大きなマグカップに心をくすぐられる。  コーヒーや紅茶を手に語らう皆々が、やけに天には眩しく映った。  まるで知らない世界に迷い込んだかのような気分で、潤から優しく背中を押されて席に通されてもまだ、カウンターに置かれたコーヒーサイフォンに釘付けだ。 「ご注文は?」 「モーニングのセット二つ。 天くん、飲み物はどうする?」 「………………」 「天くん?」 「んっ? なにっ?」 「飲み物、どうする?」 「あ、あぁ……何がある?」 「コーヒー、美味しいよ」 「……うん? よく分かんないから潤くんに任せるよ」 「じゃあカフェラテをホットで二つ。 チョコソースをちょっとだけ足してくれる?」 「はーい、了解。 ではごゆっくり」  注文票を手に笑顔で去って行った店員は、さらに違う席でも声を掛けられていて忙しそうだ。  潤のバイト先というからには挨拶くらいはしなければならなかったが、天はカフェそのものに夢中でマナーをすっかり忘れている。 「潤くん、店名のBriseってどういう意味か知ってる?」 「Briseはフランス語でそよ風、だったかな。 お店気に入ったの? 天くん、キョロキョロしてたね」 「うん……俺初めてなんだ、カフェって」 「えっ? あぁ、そうなんだね。 いつでもおいでよ。 天くんの仕事終わりだったら、僕ちょうど居るよ」 「あー、潤くんが働いてるとこ見たいかも!」  店名までお洒落なこの店で、あの女性店員のようなサロンを巻いた潤はさぞかし映えるだろう。  柔らかな微笑みを浮かべた潤が、「どうぞ」と大きなマグカップを差し出してきた日には女性客が大層色めき立つに違いない。  丸テーブルを挟んだ向かいで、そんな看板店員にジッと見詰められた。 「……天くん、その……ごめんね」 「何で謝るんだよ」 「僕……天くんの優しさにつけ込んでるなぁと思って。 今日だって、別に後日でも良かったじゃん。 でも天くんは真面目だから、体調悪くてもドタキャンはダメだって思ってくれたんでしょ?」 「それは……」  そんなにも気にしていたのかと、呑気にカフェを楽しんでいた天も顔を曇らせる。 あげく、潤の働く姿を見てみたいなどと妄想まで膨らませていて申し訳なくなった。

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