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第28話

「───まんま看板店員じゃん」  女性客を虜にする颯爽たる働きぶりと、穏やかな人柄が滲み出ている声、そしてなんと言ってもあの見た目だ。  未だにβなのが信じられないほど、柔和で今時の俳優然とした容姿を持つ潤はαオーラをあちこちに……いや店内中に振り撒いている。  αのオーラというのは、天が勝手にそう言っているわけではない。  本当のそれはΩにとっては少々威圧的に感じる事があり、服従心に近い屈服感を味わう。 そのためαとΩは相対的に見て互いを認知しやすい、……と教科書には大袈裟に書いてあったが、βだと名乗った潤からは確かにそのような仰々しいオーラは漂ってこない。  将来が安泰そうな成功者を思わせる見目と、年相応ではない余裕に満ちた雰囲気だけでαのようだと言った天は、教科書とは違った観点で潤を褒めた。  二十時のアラームが鳴るまでずっと、隙をみて話し掛けに来てくれる潤をべた褒めし、「そんな事ないよ」の台詞を何度引き出したか分からない。 「……天くん、電話? お友達?」  忘れ掛けていたそれがポケットの中で振動し、天は約束を果たすため外へと向かっていた。  テーブル席の片付け途中だった潤が、店の外へ出て行こうとする天が荷物を持っていやしないかと視線を鋭くする。 「あ、いや違う。 上司」 「……ビーフシチュー用意してるから早く戻って来てね」 「えっ? あぁ、いや、気持ちは嬉しいんだけど、俺ごはんは家で……」 「お願い。 今日は九時で上がるんだ、僕。 一緒に帰ろう?」 「……うん、……?」  外で食べるなんて勿体無いからという意味で断った天に、お伺いを立てるような潤の言葉とは裏腹にその視線は有無を言わさなかった。  普段優しい顔の男が無表情になると、とても距離のある他人行儀なものに感じた。 「潤くんどうしたんだろ」  よく分からないが、無下に出来ない天は「分かった」と即答してコートのボタンを留める。  スマホを耳にあてがい寒空の下へ出てみると、行き交うのは疲れた顔で帰宅するサラリーマン達ばかりで、店内のやわらかなムードが一変する光景に現実に返る。  そんなサラリーマン達とはかけ離れた暮らしをしているにも関わらず、ほんのニコールで電話口に出た憧れの上司も世の夫らと何も変わらない。 『おー! 吉武じゃないか! どうしたんだ、こんな時間に』  待ってましたと言わんばかりの芝居くさい応答に、反射的に笑いを堪えて手のひらで口元を隠す。 「八時ピッタリにかけられなかったです。 ごめんなさい、時任さん……ていうか笑っていいですか」 『ダメに決まってんだろ! 先方の指定通りに企画案作ってくれ!』 「……俺、企画案なんて作った事ないですよ?」 『しょうがないなぁ! 吉武は土曜日有休取ってて居なかったもんな! 明日教えてやるからとりあえず今日はもう帰れ!』 「はい、了解しました」  豊はハツラツと、天の噛み合わない返答をうまくそれらしい会話として成り立たせた。  そばで聞き耳を立てているかもしれない妻の姿がよぎる。  この電話で、浮気などではなく部下からのヘルプを待っていたのだという証明になるのかは分からないが、何としても疑惑を晴らしたい豊は必死だ。  一通りの会話は済ませたと思い、天は左手にスマホを持ち替えた。 『……あ、ちょっと待て。 まだ切るな』  待ったの声に動きを止めた天は思いがけず、部屋を移動しているらしい豊のプライベートな生活音を耳にする。  何年の交際を経て結婚に至ったのかは分からないけれど、豊とその妻は番というやつなのだろうかとふと思った。 『はぁ……。 吉武、ありがとう』 「ぷぷっ……! 奥様、隣に居たんですか?」 『いやキッチンからジッとこっちを見てた。 冤罪もいいとこだぜ』 「でも時任さんわざとらしかったから、まだ疑いは晴れないかもしれないですね。 週末の飲みもしばらく許してもらえないかも」 『何っ? それは俺の今後のモチベーションに関わってくるぞ』 「あはは……っ。 時任さんって嘘吐いた事ないでしょ? こんなに誤魔化しが下手な人初めて見ました」 『この野郎〜〜っ、昼も夜も俺を蔑ろにしやがって!』 「蔑ろになんてしてませんよ」 『明日の昼メシ何がいいか考えとけ! じゃあな!』 「はーい、お疲れ様です」  いい大人が、これほど大っぴらに拗ねていると逆に可愛く思えた。  暖かな店内へと戻る最中に気付いたのだが、天に礼を言うためにわざわざ部屋を移動した事で、豊はさらに妻から追及されるのではないだろうか。  たった今交わした会話が何の意味も成さなくなり、明日の昼も今日と同じような苦い表情を浮かべているかもしれない上司を思うと、笑い事ではないがついクスッと笑みが溢れる。 「はい、当店自慢のビーフシチューだよ。 ……そんなに楽しい電話だったの?」 「えっ? あぁ、電話もだけど明日が楽しみで」 「ふーん……」  着席してすぐに潤が運んできてくれたのは、雑誌等でキラキラな加工をされて載っていてもおかしくない、見た目にも美味しいお手本のようなビーフシチューとバケットだった。  ありがとう、と言いつつ潤を見上げると、こちらはまだ無表情が継続中である。  彼の能面の意味などまるで読めない天は、今頃我が上司は追及を免れているだろうかとそちらの心配をしていた。

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