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第34話 ─潤─
自身の性別や世の中の区別を嫌う潤も、αである自覚は持っている。
だからこそ、Ωのヒートに遭遇しても狼狽えないように、意図せず出てしまうα特有の威圧的オーラが出てしまわないように、性に振り回されたくない一心で漢方薬を手に入れ服用しているのだ。
その効能とは、αの本能に直結するΩのフェロモンに対する耐性をつけつつ、体内から滲み出てしまうαのフェロモンやオーラを抑えるもの……らしい。
潤はそれをまだ実感した事がないので、漢方薬の効き目が充分かどうかは正直なところ分からない。
だがいくら探そうとも「αの抑制剤」が無かった。 仕方なくインターネットで散々検索して探し当てた、怪しげな路地裏に店を構える漢方薬剤師に潤は毎月世話になっている。
純血ではないという劣等感も当然あり、学校外ではβを名乗って日々を送っていた。
バイト先でももちろん性を偽っているが、───。
『潤って本当にβなの? α様の貫禄あるよね』
『こんなに圧倒されちゃうβは、今まで見た事ないよ』
『とても私達と同じ性とは思えない』
等々バイト仲間や客からまさしく称揚され、何度同じような台詞を聞かされた事だろう。
αは特別扱いだ。 面白いほどに、優遇される。 校内ではそれが顕著だ。
これがΩであったら、きっとそうはいかない。
予期せぬΩ客のヒートにより、急遽店内に設けられたΩ専用の個室を見る度、潤の中に不満が溜まる。
その場に居なくて良かった、とはとても思えなかった。
混乱を招いてしまったΩ男性は、恐らく今もBriseに対して申し訳なさを覚えていて、自責の念に駆られているに違いない。
周りはそこまで考えない。
"迷惑をかけられた"、 "Ωである自覚を持ってほしい"、 "男なのに" ………ただひたすら、性の特徴を誹謗していた。
しかしそれを聞いて胸を痛め、内心だけで憤っている潤は無力だ。
間違いなくこの世のどこかに居る潤の "番" 相手が、こうしている今も性 ─Ω─ の悩みに苦しんでいるかもしれないと思うと、自分に出来る事が自衛のみである事実に項垂れたくなる。
性の差別などくだらない。
けれど世の中がそう思わせてくれない。
ならば自らだけでも信念を貫こうと、潤はβの道を模索している。
優遇され、祭り上げられ、ピラミッドの頂点でふんぞり返り、Ωを支配する立場となるαの道になど、絶対に進みたくない。
駅前のコンビニに居た潤の視界の先で、小柄な青年がキョロキョロと辺りを見回す様を見ると、近頃は強くそう思う。
彼と同じβで居れば、至極平穏で居られる……と。
「───天くん!」
潤の声に振り返った天が、ぱたぱたと走り寄って来る。
四日ぶりに会ったけれど、毎日声を聞いていたおかげで久しぶりな気がしなかった。
天は潤の目の前で立ち止まり、下から上へとジロジロとなめ回すように見て、最後にニッと笑いかけてきた。
「潤くん、今日も順調にお兄系だな」
「お兄系?」
「服装のこと」
「僕の服装、お兄系って言うの?」
「知らないで着てたんだ?」
あはは、と軽やかに笑い歩き出した天の背中を、つい凝視してしまう。
私服だと本当に歳上に見えない。 スーツ姿も見た事はあるが、あれは着せられている感が強かった。
母親を助けたいという気持ちも分かるが、天は望んで現在の会社で働いているのだろうかと要らぬ世話を思う。
「お腹空いたなぁ」
「今日はパスタだよね」
潤と天は会わなかった四日の間、今夜のディナーに何を食すかあれこれ意見を出し合った。
結果、天が昨夜の電話で呟いた「パスタ食べたいな」を聞き逃さなかった潤が、近隣で評判の良さそうなイタリアンの店を調べ上げ、予約を入れた。
知らない店なので、味は保証できない。
何分潤は、こういう事が初めてだからだ。
「そうそう。 お店選びはまた潤くんに任せちゃったけど、今日こそ俺が払うから!」
お腹を擦る動作をした天が、「任せとけ!」と潤を見上げて息巻いた。
「それって、あの時のお礼したいって事だよね」
「うん。 お礼出来てないから気持ち悪くてなぁ」
「律儀だなー。 僕は天くんの役に立てて嬉しかったんだから、お礼なんてもう気にしなくていいよ」
「そういうわけにはいかないんだよ。 あ、潤くん、ごめん……会って早々申し訳ないんだけど、トイレ行きたい。 電車乗ってた時からずっと我慢してて……」
「それは大変! お店すぐそこだから、行こ」
ドレスコードの要らない雰囲気の良さそうなイタリアンの店は、待ち合わせの駅から徒歩で数分だった。
潤は慌てて天の手を引こうとしたが、すぐにハッとしてやめる。
アミから触れられても何とも無かったそれが、天だと何故か百発百中で起こってしまい、発電人間の二人は共に "触れ合うの禁止" 令を出していた。
「すみません、お手洗い貸していただけますか」
「いらっしゃいませ。 どうぞ、突き当りを左でございます」
目的の店の外観を楽しむ間もなく、天は「ありがとうございます」とウエイターに頭を下げてそそくさとトイレへと向かって行った。
よほど我慢していたようだ。
潤はというと、腕時計を確認した後ウエイターに声を掛ける。
「十八時に予約していた時任です」
「時任様でございますね、お待ちしておりました。 こちらへどうぞ」
「連れが戻ったら席まで案内をお願いしていいですか?」
「かしこまりました。 メニューはこちらです」
混雑を避ける為、潤はやや早めの時間帯に予約したのだが正解だった。
こういう時に飲食店で働いていると、流れが分かって都合が良い。 人気の店ならば、十九時前辺りから予約客で店内のテーブルが埋め尽くされるだろう。
朝一番で予約の電話を入れた際も、この時間しか空いていないと告げられて「やっぱりね」となったものだ。
「ふぅ。 なんか緊張する……」
洒落たレースのテーブルクロスが引かれた丸テーブルに、縦長のメニュー表が重ならぬよう置かれているのをジッと見詰めた。
潤の心持ちは、まるで、初デートだった。
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