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第41話

… … …  『勤務後にBriseに来てほしい』という潤からのメッセージを受け取った天は、店の入り口に飾られたイルミネーションツリーに目を奪われていた。 「きれい……」  天と同じような背丈のツリーは決して大きくはないが、様々な色のLEDライトによってキラキラと輝いていて、これ一つ在るだけで幻想的だ。  立ち竦んだままポツリと呟いた天は、すっかりクリスマスイベントに染まったBriseの店外や店内のデコレーション、果ては街全体の明るい雰囲気に少しだけ心が浮つく。  本格的に防寒具が必要な模様となり、真っ白な吐息が夜風で舞い上がる度、ただでさえ小柄な天の身を一層縮ませた。 「うー……寒っ」  店内に入れば暖かなのは分かっていたけれど、華やかになった街並みを天は久しぶりに穏やかな気持ちで眺められている気がして、もう少しだけ……とツリーを見詰める事にする。  チカチカと綺麗なライトを目で追い掛け、両手を擦り合わせて凍えているとやがて店の扉が勢いよく開いた。 「……天くん! 何してるの、早く入りなよ! 寒いでしょっ?」 「あ、潤くん。 お疲れー」 「お疲れ様! ほらほら、ここ座って」 「ありがとう」  白のカッターシャツに黒のベストとスラックス、そしてサロンを腰に巻いた潤が血相を変えて天をカウンターへと案内した。  店内は今日も十割が女性で全席埋まっており、大層賑わっている。  何よりこの中は暖かい。  潤が何やら大慌てでウィンナーコーヒーを天の目の前に置いたが、手がかじかんでいてすぐにカップを持ち上げられなかった。  それを見た潤がさらに語気を強める。 「もうっ、いつから外に居たのっ?」 「え? んー……どれくらいだろ。 十五分前くらい?」 「なっ、十五分!? 風邪でも引いたらどうするの!」 「大丈夫、大丈夫! 俺めったに病気しないから」 「そういう問題じゃない!」 「ええっ……? 潤くん、俺なら大丈夫。 落ち着いてよ」  客の手前声は潜められているが、まるで天は叱られている気分だった。  ただでさえ防寒具はコートだけだというのに、指先から凍えるほどの寒さでイルミネーションに見惚れていた幼子のような自分が恥ずかしい。  毎年必ず訪れる光景が、今年はやけに目についた。  自身の性の悩みは少しも薄らぐ事はないが、何故か生まれて初めてイルミネーションを "綺麗" だと思えたのだ。  はは、と笑ってみせた天に、潤は尚も眉をハの字にして心配気な視線を寄越した。 「ごめん……。 僕が気付かなきゃいけなかったのに……ごめんね、天くん」 「いやいや、謝るなよ。 ツリーに見惚れてただけだから。 ガキみたいだよな」  そんな事ない、という風に小さく首を振った潤は、テーブル席から声が掛かってオーダーを取りに行った。  満席となった店内は相変わらず忙しそうだ。  今日は、天が訪れるといつも居るアミと、潤、そして新しく入ったのか見た事のない女性店員がもう一人居た。  忙しなく、だがとてもそんな素振りを見せない都会のカフェ店員の働く姿を眺めつつ、天はようやく温まってきた指先を動かしてマグカップを手に取る。  潤が作ってくれた甘い生クリーム入りのコーヒーが、体の芯から温めてくれるようだ。 「慣れるもんなんだなぁ……」  クリスマスカラーに装飾されたカウンターを見詰め、生クリームをスプーンで掬って舐め取る。  スーツ姿でカウンターに腰掛けていても、自身の中ではここに居る違和感がなくなってきた。  はじめは気後れして一人でBriseに入店する際はとても緊張したが、この席に座るのももう五度目。  潤と出会ってからは一ヶ月半ほどだろうか。  天の日常にすんなりと馴染んできた人懐っこい潤のおかげで、日々に若干の張り合いが生まれているのは事実だ。  必要ないと毎回断っている朝のモーニングコールから始まり、日中は数回メッセージのやり取りをして、天がウトウトする頃を見計らったようにして「おやすみ」の電話がくる。  近頃の "友達" は密にやり取りをするんだな、と天が笑うと、その度決まって潤は「天くんだからだってば」と拗ねた。  彼にとって天は、秘めていなくてはならない大切な想いを吐露出来て、弱音を吐ける唯一の相手なので気を使われている気がしないでもない。  だがそれでも、こんな自分が誰かの役に立てているという充足感はこれまで感じた事のないものだった。 「あ、……」  マグカップをソーサーに戻した天が、いつも現実に引き戻されるある場所を見て立ち上がる。  寄って行った先の扉には、『専用個室』とだけ表記してあるがここはΩ専用の、別名『隔離部屋』だ。  本来なら天も、この中で飲食をしなくてはならない。  隔絶された小さな個室は、一見上客用のそれにも見える。 ところが実際は何の変哲もない、天の恐れる差別空間に過ぎない。 「……天くん? どうしたの」  足音までスマートな潤が、切ない扉前で佇む天の背後から声を掛けてきた。 「……いや、なんでもない」 「…………?」  小首を傾げる潤を見上げ、そそくさと席へと戻った天は何食わぬ顔をしてスマホを取り出した。  今日から約二ヶ月後、また発情期がくる。  耳を塞ぎ、現実から目を背けたくなるほどの焦燥感がやってくる。  見慣れた周期カレンダーの窓を閉じ、天は辺りを見回した。  皆が皆、花のように微笑んで接客する潤に釘付けだ。  「αっぽい」のは豊だけではない。 どちらかと言うと、潤の方がそれを強く感じる。  けれど彼は、性の区別に疑問を抱いていた。  その象徴となる個室が存在するこの店で働く矛盾を、彼はひどく気に病んでいる。

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