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第62話
「……超絶イケメン……って、多分潤くんの事だよな」
「潤くん! そうそう、そんな名前だった! あの子とお母さんねぇ、電話番号の交換しちゃったぁ!」
「はっ!? なんで!?」
「天の事が心配だから、お母さんが帰る時に入れ違いでここに来るって言ってたよ。 看病したいって。 友達思いねぇ」
「え、───えぇぇっ!?」
病院で潤と空が落ち合ったという経緯までは分かる。 超絶イケメンと形容したくなるのも激しく鈍感だ。
だが、番号交換をしたあげくに潤がこのボロアパートへ来る事を勝手に了承したとは何事か。
まずは風呂に入ろうと立ち上がった天は、平然と言い放った空の発言にめまいを覚えた。
「だ、ダメダメダメダメ! こんな部屋に潤くん呼ぶなんて!」
「あんたが実家に帰らないって駄々こねたからでしょ。 おとなしく実家に帰るって言えばちょっとは安心なんだろうけど、寂しい独身男のひとり暮らしは心配されて当然」
「うっ……!」
二度もヒートを起こした天をひとりにはしておけないと、潤ならばそう言うだろう。
母親に迷惑を掛けたくない一心だったはずが、今度は潤に多大なる迷惑と心配を掛けてしまっている。
これだからΩは厄介なのだ。
誰かの手を借りるか、誰かを煩わせる事しか出来ないΩ性がやっぱり嫌いだと改めて思う。
ヒートを起こすと体が言う事を聞かなくなる。 思考回路を性欲が支配し、子孫を残すための動物的発情によって体内のあちこちが自分のものではないような感覚になる。
恐ろしいと言う他ない。
ヒートとは無縁だとたかを括っていた半年前の自分は、何と愚かだったのだろう。
今までが順調だからと、これからも何事もなく生きていけるはずがないのだ。
─── "Ω" だから。
「……あらやだ、もうこんな時間! お母さん仕事行ってくるね!」
「えっ、もう行くの!?」
「今日と明日の分のおかずは作っといたからね、ちゃんと食べて、薬飲んで寝てなさいよ。 あ! あけおめ〜!」
じゃあね!とハツラツと出て行った空の痕跡は、炊飯器にセットされた米と冷蔵庫に入ったいくつかのおかずのみだ。
一月二日。 世の中は初詣や家族と過ごすために費やす時間を、空は「秘密の貯金」の目標額達成に向けて朝から仕事に出掛けた。
「息子が目覚めて十分で仕事行く母親……。 変わらないなぁ……」
思えば彼女は昔からあんな調子であった。
天に苦労をかけまいと朝から夜遅くまで働いて、それでも疲れた顔を見せずにいつも元気いっぱいだった。
しかも空は、片親で一人息子を育てあげなくてはならなかったからなのか、人一倍義理人情にうるさい。
人への感謝を忘れるな。
受けた恩は倍で返せ。
ツラくても泣き言は言うな。でも大好きな人になら言っていいんだよ。
どこの青春映画かというほどしつこくこれらを刷り込まれた天は、生きていく上で空の言葉を信条に生きている。
誰にも迷惑を掛けたくないけれど、天の性別上どうしても「仕方のない時」がある。
ついうっかり泣き言や本音を語ってしまった潤へ、以前のお礼とプレゼントの手袋も含めた何倍ものお返しをしなくてはいけないが、こんなところにやって来るとなるとお返しなどでは足りなくなる。
あんなにも身奇麗でスマートな潤を、隣の物音が筒抜けなこのようなおんぼろアパートには来させてはならない。
どうやって断ればいいかを思案していると、空が出て行ってものの五分足らずで布団の上に転がったスマホから着信音が鳴り響いた。
慌てて画面を見てみると、もちろんそれには潤の名が表示されている。
「ぅわっ……! もう連絡取り合ったのかっ」
まだ朝の五時過ぎだぞ!と呟き、出るかどうかを一瞬迷う。
けれど潤はしつこく何度もかけてくるだろう。 毎朝のモーニングコールでそれを経験してきた。
「もしも……」
『天くん!? おはよう!?』
「え、あっ、おはよ。 潤くん、……ほんとごめん。 また迷惑かけたみたいで……」
『そんな事より、今から向かうね! 何か欲しいものはあるっ?』
「今からってそんな……! 来なくていいよ、大丈夫。 母さんがご飯作ってくれてるみたいだし、俺も動けそうだから心配しなくて……」
『僕の好きにさせて!』
「えっ!? ちょっ、潤くんっ?」
大慌てな声色と、バタバタと支度をする物音が電話の向こうから聞こえていた。
通話時間、ほんの二十秒。 来なくていいという説得さえ出来なかった。
天が目覚めたら空と潤が看病を交代する手筈になっていたのは本当らしく、二人は迅速にそれを遂行したのである。
それにしても、潤の声が起きてすぐだとは思えないほど焦っていた。
「お、怒ってんのか……? いや、ていうかマジで潤くんがここに来るの……?」
はぁ、と溜め息を吐いて、とりあえず天は狭い浴室でシャワーを浴びる事にした。
天の住所は、おそらく潤にはとっくに知られている。 何しろ彼には空が味方に付いている。
いくら拒もうとも、天の性別を知った潤のスーパーマンっぷりは今から容易に想像がついた。
最高の理解者となった潤の手を煩わせる事はしたくないが、本人がそうでないと言い張るならば天にはもうお手上げだ。
実際に二度もヒートを目撃され救ってもらった大きな感謝を胸に秘めつつ、彼の思う通りにさせるしかない。
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