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第66話

 潤は天の発情を治してやるだけでなく、炊事洗濯まで喜んで手伝った。  狭いボロアパートの一室にはこれまで誰一人として立ち入らせず、今回のような事が無ければ空にさえ言わないでおこうとした天の質素な暮らしぶり。  まともな給料を貰えて、雨風が凌げて、普通の食事を摂れて、抑制剤に困ることなく、空に仕送りが出来れば何も苦では無かった。  しかしながら、キラキラした潤をそう何日もこのオンボロアパートに留まらせるのは悪い。  二日に渡ってムラムラを抑えてくれた感謝と罪悪感は半端ではなく、看病という都合のいい名目であれもこれも潤にさせてしまっているのがだんだんと心苦しくなってきた。  今も洗濯物を干しながら微笑みを絶やさない潤へ、天はいつ「もう帰っていいよ」と告げるかタイミングを図っていた。 「……なんかいいね、一緒に暮らしてるみたい」 「ま、まぁな。 ほとんど潤くんがしてくれてるけど」  それくらい自分でする、と立ち上がった天に「僕のもあるから」などと手を出しづらい台詞で断られてしまい、意味もなく潤の周りをウロウロした。  発情期真っ只中で抑制剤の効果も充分とは言えない今、潤からは外出禁止を言い渡されている。  徒歩で数分のコンビニにも潤は一人で行き、足りない食材があると往復三十分かけてスーパーに買い物まで行った。  いくら何でも、してもらい過ぎなのである。 「なぁ潤くん、俺マジでもう大丈……」 「看病に来たんだから僕がするのは当然でしょ。 ていうか、自分で言うのも何だけど僕って結構お買い得なんだよ? 家事は全部出来ちゃうし、これでも頭いいからお給料たくさん貰える会社に入れると思うし、好きな人には尽くしてあげたい質だって分かったし……どう?」  話の流れ的に今が件のタイミングだと踏んだのだが、饒舌な潤に遮られて顔を覗き込まれた。  背の高い潤が天にそうする際、やや屈んで首を傾げる。  今の高校生はすごい。 天の表情を伺うためだけに、色気の垂れ流しをする。 「う、うん。 お買い得かどうかは分かんないけど、潤くんと結婚する人は幸せになれると思うよ」  潤に見詰められると気持ちが落ち着かなくなる天は、洗濯カゴを奪ってその場から逃げた。  ドキドキする。 こんなに変な動悸は経験が無い。  Ω性だとバレてしまい、彼の離れ家に連れ帰られてからというものずっと、胸がザワザワするこの感じを味わっている。  洗濯カゴを持ったまま立ち竦み、動悸を落ち着かせようと息を吐いた背後で、潤の揶揄うような声がした。 「……天くんにぶい。 にぶ過ぎる」 「え、急に毒吐いた?」 「ほんとの事だもん。 昨日は二回も僕の手でイってくれたのに……」 「あーーッッ! コラコラコラコラ! 素面の時に言わないでよ、お願い! めちゃめちゃ恥ずかしいんだぞっ」  自身の掌を見詰めて揶揄ってくる潤に、やめろよ!と天は足踏みをして騒いだ。  自慰行為に不慣れな天の性処理まで手伝ってくれているからなのか、潤は目に見えて遠慮が無くなってきた。  恥ずかしいところを見せている側の天は、とても平静でいられない。  なぜ他人のものを握る事に躊躇いが無いのか、それさえ聞く事が出来ないで居るのだ。 「……そう言われてもね。 天くんのアソコはもちろん、イくときの顔とか声とか、僕もういっぱい見ちゃってるよ」 「頼むから忘れて! この通り!」 「嫌だよー。 どうして忘れなきゃなんないの」  焦り、狼狽えているのは天ばかりだ。  昨日を最後に、もう泊まらなくていいよと告げるタイミングを早くも失った。  空が作ってくれていたおかずが底をつき、本日の夕飯の支度を潤がウキウキと始めてしまったからだ。 「そうそう、天くん。 発情期治まるまで仕事はお休みするんだよね?」 「あぁ! それ上司に報告しとかなきゃだった。 でもなぁ……俺の性別知ってるの上司だけだし、発情期だからって休むわけにいかないんだよなぁ……」 「休まないなら僕が会社に電話するよ。 フェロモン振り撒きながら仕事する気? そんなの許さないよ」 「いやそんなつもりないけど……」 「嫌な言い方してごめんね。 でも僕、天くんのフェロモンは誰にも嗅がせたくないんだよ。 誰かに触られるかもなんて、考えただけでおかしくなっちゃう」 「なんで潤くんがおかしくなるんだよ」 「にぶちんな天くんは分からなくていい」 「何だよ、にぶちんって!」  先程から毒舌が過ぎる潤に目くじらを立てつつも、すっかり忘れていた現実的な問題に頭を悩ませる。  この発情期は周期的なものではなく、しかも抑制剤の効き目が不安定なためいつどこで発情が起こるか分からない。  潤から「絶対に外出ちゃダメ」とキツく言われているのもそのせいで、 "誰にも迷惑を掛けたくない" が先に立つ天も会社には行き渋る。 「とりあえず上司に電話してみようかな」 「えっ、僕の前で?」 「うん。 あ、外行こうか?」 「ううん! ここで話せるならそうして」 「…………?」  スマホを手にした天が潤に気を使うと、手招きされて足元を指差された。  隣に居ろ、という事らしい。  手早く野菜を切っている潤を横目に、あれから夫婦仲がどうなっているのか分からない豊へ発信してみた。  妻の誤解を深めては大変なので、まずは着信だけを残しておき続けて文章を送る気でいた。  しかし豊は、驚きの早さで電話口に出る。 『お、どうした?』といつもと変わらない様子で、近くに妻の気配がないのかと勘繰ったほどだ。 「すみません、今大丈夫ですか?」 『あぁもちろん。 あけましておめでとう』 「あっ、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 で、あの、……ちょっとご相談があって」 『ん、なんだ、どうした?』 「実は…………」  何食わぬ顔をした潤が、きちんと一から十まで説明しなさいとでも言うように隣で聞き耳を立てている。  よく分からないが、見えない圧力を感じた天は洗いざらいを豊に話した。  一度目のヒートの状況と、名前は伏せたがそれを救ってくれた潤の存在、その翌日の二度目のヒート、突発的な発情期について、そして……今現在は潤が看病に来てくれているという事まで、すべてだ。

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