93 / 132

第93話 ─潤─

 言葉を失った豊の呆気にとられた表情を見る限り、潤のマウントは無事成功した。  同じオフィス内で毎日天と顔を合わせ、しかも豊は既婚であるにも関わらずやたらと天を気に入っている。  現に昨夜、酔いに任せて天の事を「可愛い」と叫んでいた。  その好意の意図が分からないだけに、牽制しておかなければ心配……というよりもいっそ不気味なのだ。 「Ωの吉武くんはうなじがピンク、αの潤は鎖骨に赤い点……! 潤、おめでとう!」  豊への牽制のつもりが、何故か美咲の方が前のめりである。  両親に聞かれてはマズイと、先刻の絶叫の教訓から小声で祝われた潤は微笑むだけに留めた。 「はぁ? ぶっ飛び過ぎだろ。 おめでとうってまるでもう番になったみたいじゃねぇか」 「二人は運命の番なんだよ! こんなに興奮する事ある!?」 「運命の番かどうかは分かんねぇじゃん」  物珍しい "運命の番" に大興奮の美咲と、どこか信じたくないような豊の反応が両極端である。  性別を知っても、天の気持ちを受け止めても、潤には自分たちがそれだという認識は無かった。  いつかそうなりたいと思ってはいるけれど、これまでもひたすら彼のうなじを守ってきた潤は、番に対する天の思いを最優先に考えてきた。  「潤くんには支配されてもいい」などと、潤にも確かに在るα性の支配欲を疼かせるような発言をした天も、少し前までは「αに支配されたくない」と言っていたのだ。  慎重にもなるだろう。  実際に体を傷付ける事になり、かつ彼の人生を丸ごと潤のものにしてしまう。 それはβ性同士、α性同士の婚姻関係とは訳が違う。   "番" の重さは、性別の葛藤を抱いてきた天と潤には一際大きな問題だった。 「……美咲さん、なんで僕らが運命の番だって思ったの?」 「いくつか説はあるんだけど、二人ともにそれが体に出ちゃってるからよ! Ωのヒトにはしるしが表れやすいけど、潤にもしるしが出るなんて運命としか考えられないじゃん!」 「僕のこれもしるしなの?」  潤はそっと、いつから浮かび上がっていたのか分からない赤い点のある箇所に服の上から触れた。 「あくまでも噂なんだけど、αのしるしは、こめかみ、鎖骨、左の脇腹、右の足首のどこかに真っ赤な点が表れるんですって」 「美咲……お前なんでそんなに詳しいんだよ……」 「ちなみに、相手の体触ってビリッときたりした? 出会ってすぐくらいからお互いを潜在的に認知するまで起こるらしいんだよ。 どうだった?」 「…………そういえば、……あった」  思い返せば初めの頃、天に触れると静電気が頻発していた。  乾燥するこの時期なので深く考えた事は無かったけれど、静電気ならば衣服の上からでもそれが起こるはずだ。  しかしビリッときた際は必ず天の素肌に触れた時だった。  両者が発電人間だと笑い合った事まで思い出すと、美咲の語ったそれが本当なら心穏やかでいられない。  α性とΩ性、それぞれの性が希少である昨今、出会う確率も相応に低い "運命の番" かもしれないとは、……引き締まった頬がついつい緩みそうになる。 「キャーーッッ! これマジもんだよ! ヤバッ! 本物の番だ!」 「だから叫ぶなっつの! 親にはまだ言いたくねぇんだよっ」 「……え? 僕は別に話してもいいかなって思ってるよ」 「やめとけ! 吉武の気持ちも考えろ。 αとΩの番関係は一生ものなんだ。 潤と吉武の関係性が、吉武が望まない形でハッキリするんだぞ? お前はよくても、吉武の負担を考えたら番になんてなるもんじゃない」 「………………」 「潤、お前はまだ十七歳だ。 番がどうとか考える年齢でもない。 吉武もそうだ。 一時の感情に任せて人生を決めてしまうのは早計だと思う」 「………………」  美咲が心配そうに、豊と潤を交互に見ている。  畳み掛けてくる豊を黙って見下ろしていた潤は、これほど心が動かないものかと内心で驚いていた。  天の一番は、潤が貰った。  出会ってそれほど月日が経っていない事は百も承知で、想いに気付いてからはもっと日が浅い。  けれど天と潤は、性別こそ違えど抱える葛藤は似ていた。  そもそもの二人の出会いが運命的なものであるなら、これまでの潤の行動の辻褄が合う。  性別に嫌気が差していた潤だから、涙ながらに打ち明けてきた天の苦悩を理解してやれた。  潤は、天と番になりたいという高望みの前に、ただ『恋をしたい』だけだ。  『そばに居たい』だけだ。 「それは僕と天くんが決める事だよ。 ……αとΩは普通に恋もしちゃいけないの? 僕が気を付ければいいだけだよ。 僕はその自信があるよ」 「……潤……まだ抑制剤やら訳の分からない漢方薬やらを続ける気なのか」 「兄さんから言われるまでもなく、僕は天くんを傷付けないように好きでいたいと思ってる。 αだから制御出来ないんだって思われたくないから。 ……嫌われたくないから」  天がいくらそれを望んでも、潤は彼を支配したいとは思わない。  二人の間で、性別はそんなに重要ではないのである。  芳しいフェロモンが互いから放たれてしまう事だけは、他の性とは違うかもしれない。 それも今や、二人にとっては刺激的なスパイスになる。  抑制剤も漢方薬も、継続するか悩みどころではあるが天のためを思うならば使用し続けた方がいい。  体の不調はいくらかマシにはなってきたものの、全快とは言えない。  それでも、天のそばに居たい潤は恐らくやめない。  しるしがあっても、想いが通っても、性別の垣根を越えても、天を傷付けてしまう可能性がほんの少しでもあれば自身さえも犠牲にする。  容易いのだ。  天の笑顔が見られるなら。 「潤……」 「素敵〜……!」  リビングへと向かう背後で、兄夫婦の呟きを耳にした潤は、知らず薄っすらと微笑んでいた。

ともだちにシェアしよう!