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第95話 ─潤─
決定的なしるしを告げたら、天はどんな反応をするのか。
潤を浮かれさせる事しか言わない天の事だ。
調べ尽くしたであろうしるしを知ればもっと、これまでが無意味などではなかったと分かってもらえる。
会いたくて仕方がなくなるだろうが、ウズウズして逸る気持ちを抑えきれなかった。
『えっ!? どこに!? 俺の場合はあったとしてもうなじにしか出ないはずだから見えないよ』
「天くんのうなじにあるんだよ、しるしが」
『えぇぇっっ!? い、いつから!?』
「二回目のヒートの時には、もうあった」
『そ、そうなんだ……?』
驚きを含んだ声が、どこか喜んでいる。
自分では見えないと言ったうなじを今まさに掌で触れてみながら、「マジで?」と呟く天の姿が目に浮かぶようだった。
天にも、潤にも、 "しるし" がある。
偶然としか言いようのない出会いから今日まで、潤は何かと理由をつけて天との縁が切れてしまわないよう努めた。
他者との関わりを避けてきた天も、秘めたるものが似ていたせいか、 "運命" だからなのか、潤には何故かすぐに心を開いて気になる対象として位置付けた。
互いを認知させるため、本能的に引き寄せ合った二人にはもはやあの言葉しか思い付かなかった。
「僕たち、お互いが運命の番だったらいいね」
『………………』
自らの匂いが無ければ眠れないと豪語された潤は、トクン、トクン、と高鳴り続ける自身の胸の鼓動を近くで聞いている。
無言の時間が彼の根底にある葛藤を表しているようだったが、それでいい。 天の本心を理解した上で、潤は気持ちを吐露したのだ。
「天くんがそういうのを望んでないのは、僕も知ってるよ。 だから絶対にうなじを噛まないように気を付けてた。 これからも気を付ける。 僕は天くんのこと傷付けないし、裏切らないって言ったでしょ。 安心してね」
『…………あの、……潤くん、』
「ん?」
『その事で俺、……考えたんだけど、……』
「うん? ……え、嫌だ。 やっと一番になれたのに、もう別れ話する気? 嫌だよ。 僕、天くんのこと好きだよ。 大好きだよ」
『いや違うって! 俺も潤くんのこと好きだ!』
よくない話を聞かされるのかと、思わず潤はその場で立ち上がっていた。
"番" という単語を出したせいで、天がα性への嫌悪を思い出してしまったのではと焦った。
「……良かった。 泣いちゃうところだった」
『そ、そういう話じゃないよ。 あのさ、俺……潤くんとはあんまり会わないようにしたいんだ』
「……え、……? は?」
『お、怒んないでよ! ちゃんと説明するから!』
「…………うん」
無意識のこれは気を付けようがない。 この声とオーラは、Ωである天には覿面なのだった。
───会わないようにしたい? 今度は何を言い出したの。
浮かれた気分が一気に奈落の底に突き落とされ、不機嫌になるのも致し方ない。
天には見えないからと、潤は形の良い唇をムッと尖らせて静かに腰掛けながら、潤の怒声に怯える天の二の句を待った。
『あのね、…………』
おずおずと語り始めた、迷う天の胸中。
天はまだ葛藤があるという。
もしかして運命の番なのではないかという、信憑性の増した数々のしるしに手放しで喜びたいのは山々なのだが、今までの自分を否定するようで躊躇している、と。
たどたどしい説明の最中、『俺、潤くんのこと好きだよ』と何度言われたか知れない。
性行為もしたいけれど、恥ずかしい。 「次は準備しとく」と言った潤の台詞を真に受けた天は、次は必ず貫かれるのだと信じて内心ではドキドキだったらしい。
まだ心の準備が出来ておらず、好きな人が出来たのも、好きな人から「好き」と言われることも初めてで、とにかく照れている。
この通話の合間でさえ、潤のコートとマフラーをひっしと抱いて手汗をかいている。
『───だからさ、……ちょっとだけ会うの我慢したいんだ。 そんなに長くは待たせないと思う、……俺も、……会いたいし、……』
「………………」
天は、潤が思っていた以上に可愛気の塊だった。
会わないようにしたいなどと仰々しい言い方をするので、つい電話越しにも怒りを伝えてしまった潤だったがまたもや有頂天である。
たまらず、頭を抱えた。
こんなに可愛い人が居るのかと。
そして天は、気付いていない。
我慢して会わずにいる数日の間に、互いの想いは恐らくもっと膨らんでいく。 我慢に我慢を重ねた後に再会する方が、もっと照れくさいという事に……。
「分かった」
『えっ? い、いいの? 超俺のワガママだけど……』
「ようは、天くんが僕のこと大好き過ぎて、ちょっとだけ考える時間が欲しい、頻繁にそばに居られるとドキドキしちゃって困るって言いたいんでしょ?」
『うっ……ん、……短くまとめるとそういう事』
「そんな可愛いこと聞かされたら、僕にはご褒美でしかないよ。 天くんが「いいよ」って言ってくれたら、会いに行っていいんだもんね? 電話は毎日していいなら、何も文句ないよ」
『ご褒美……っ?』
そう、と頷く潤の頬は、今朝からどう頑張っても引き締まる事がない。
もちろん毎日でも会いたい気持ちはある。 それをどうして我慢する必要があるのかと、ごねる事だって出来た。
しかし天はきっと、潤の性別と決定的なしるしが嬉しかったのだ。 自身が抱えてきた、どうしようもない性別の苦悩が拓けて良い方に困惑している。
置いて帰ったマフラーとコートを今まさに握り締めていると、恥ずかしそうに語った天を戸惑わせているのは他でもない潤だ。
「大好きだよ、天くん。 ほんとに、……大好き」
『うん、……俺も』
その日の通話を終わらせる際、いつにも増して名残惜しかった。
天への気持ちが溢れ出し、心が温かな重みで苦しくなり何故だか涙が出そうになった。
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