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第98話 ─潤─

 潤と豊は少しの間、穴ぐらからチラとこちらを窺う小動物のような天を見詰めていた。 「なぁ、二人は知り合いだよな?」 「………………」 「………………」  小動物から問われた二人は、顔を見合わせて無言で会話をした。  ───どうすんだよ。 言っちまっていいのか?  ───いや、ちょっと待って。  ───もう隠し通せねぇだろ。 見てみろ、吉武が俺達の顔を見比べ始めたぞ。  ───僕達似てないから分かんないよ。  ───吉武に隠し事したままでいいのか?  ───それはよくない。  ───じゃあ言っちまうしかねぇよ。 「潤くん! 時任さん! 黙ってないで何とか言えよ!」  豊は眉を顰め、潤は小さく首を振って無言の会話をしていたが、一部始終をジッと見ていた天はついに布団から出て来て怒鳴った。  天に視線をやり、再び顔を見合わせた兄弟は頷き合って意思疎通する。  兄弟だという事を言わないでほしいと申し出たのは潤で、豊も一応はそれを守ろうとしてくれていた。  豊が潤と近しい人物だったと知られると、彼に憧れている天が喜びそうだからという、何とも稚拙な理由で隠しておきたかった潤だが、こうなってしまうとどう言い繕っても天を納得させられる気がしない。  潤は豊の脇を過ぎ、天のそばへ寄って行った。 「天くん、怒らないで聞いてくれる?」 「何っ」 「……僕達、……兄弟なんだ」 「───え!?」 「隠してて悪かった。 吉武の眼鏡を一緒に探した男ってのが潤だったって、俺も先月知ったばかりなんだ」 「僕も、天くんの上司が兄さんだって確信を得たのが先月だった」 「ん、え、っ? えっ?」  カッターシャツ姿の天は、潤と豊の顔を何度も往復して戸惑っていた。  二人とも色男に違いないが、顔面のタイプがまったく違う兄弟なのでなかなか受け止められないらしい。  頭から布団を被っていたせいでくしゃくしゃになった天の髪を、潤は手櫛で梳いてやる。  久しぶりのふわふわとした感触に胸がいっぱいになった。 「えー……っと、て事はつまり、時任さんが話してた弟さんって、潤くんの事……?」 「そうだ」 「じゃあ、じゃあ、もしかして、潤くんが話してた離婚間近の夫婦って、時任さん夫婦の事……? 時期も状況も合う、よな……?」 「そう」 「………………」  判明した事実の辻褄合わせに忙しい天は、難しい顔をして俯き、何やらボソボソと呟きを開始した。  ふわふわな髪を撫でて遊ぶ潤の鼻腔が、微かな癒やしのフェロモンを感知してさらに胸が熱くなる。  天に会うのも久々ならば、この香りもしばらくぶりだ。 「おい、なんだよ。 俺と美咲の事を吉武に話してたのか?」 「兄さんこそ、天くんに僕について話してたなんて信じられない」 「別に潤を悪く言ってたわけじゃねぇよ」 「……だといいけど。 天くんは、兄さんと僕の両方から同じ夫婦の話を聞いてたって事だね」 「うわ、吉武は板挟みだったんじゃねぇか。 ごめんな。 マフラーだけじゃ詫びにならねぇな」 「あぁ……そういえば、あれってどういうつもりで贈ったの? 天くんにプレゼントあげるなんてやめてほしいんだけど」 「詫びだって言ったろ? あの時はちょうどクリスマスだったし、吉武が寒そうにしてたからいい贈り物だと思ったんだが」 「金輪際やめてくれない? 僕の天くんだよ。 あと、美咲さんもいい顔しないと思う」 「確かにバレたらうるさそうだ。 でも誕生日くらいはいいだろ?」 「よくないよ。 何言ってるの」 「ちょっとちょっと、兄弟喧嘩しないでよ。 俺気まずいよ」  ムスッとした潤と飄々とした豊の言い合いに割って入った天の表情は、見事に強張っていた。  歳の離れた兄弟のため、これまで喧嘩はおろか会話もごく僅かだった二人が、天をきっかけに距離が縮まるという不思議な現象が起きている。  口を噤んだ潤が苦笑いで天に応えると、微量のフェロモンを漂わせながら小首を傾げられた。 「潤くんはなんでここに?」 「兄さんの忘れ物を届けに来たんだよ」 「それは分かるんだけど、ここに居たのはなんで? 体調悪かった? 勉強忙しそうだから寝不足だったとか?」 「あ、あー……っと、……」 「潤もな、吉武と同じ理由だ」 「……え?」 「潤は完璧にODだと思う」 「何ですか、それ?」 「薬の過剰摂取」 「えっ!? 潤くん、どういう事なんだよ!」 「危ない薬じゃないよ。 だからODは当てはまらない」 「そうじゃなくて、どういう事なんだって聞いてんの!」  ギョッとした天の視線が痛い。  豊を横目に、余計な事を…と思いつつ言い逃れ出来ない状況に陥った。  すべては天のためだった。 天のそばに居たいがために、明らかな独断で危険を侵した。  分かってもらえるとは思わないが、ここまできて隠し続けるのはフェアじゃないと、可愛く刺さる視線を見詰め返した潤は渋々と口を開く。  説明していくうちに、可愛かった視線がひどくキツいものに変わっていった。  顔面が真っ赤になり、唇を震わせ、キッと目尻を吊り上げた天の怒気をはらんだ表情に、潤の心が萎縮する。 「……な、なっ、何やってんだよ!!」 「天くん……っ」 「おかしいなって思ってたんだ! Ωのフェロモンってαには暴力的になっていいくらい効くって書いてあったのに、潤くんは全然だったんだもん! 緊急抑制剤と訳の分かんない漢方薬を乱用してたって!? 俺のためにそんなに体を傷付けちゃダメだろ!」 「天くんだって抑制剤飲んでたんでしょ! 僕に一声掛けてくれればすぐに飛んで行ったのに! 僕はずっと天くんの声だけで我慢してたのに!」  天の怒りに便乗し、まさに売り言葉に買い言葉で言い返していた。  どれだけ会いたかったか。 どれだけ天の心を待っていたか。 どれだけ天の面影で欲を吐き出したか。  潤は怒るというより、未だ未熟たるがゆえに感情のコントロールがうまく出来なかったが、それは天も同じであった。 「もう漢方薬なんてやめろよ! 副作用がないからって、そんなにいっぱい飲んでいいもんじゃないよ!」 「天くんも、もう抑制剤はやめてよね! 心配でたまんないよ! もういっそ一緒に暮らしちゃおうよ! ひとりにしておけない!」 「そ、そ、そ、それって潤くんが寂しいからだろ!」 「そうだよ! 僕は天くんのことが大好きなんだよ! 心配なんだよ! ずっと一緒に居たいと思って当然じゃない!」 「俺だって毎日会いたかったよ! 抑制剤飲み始めたのだって、コートとマフラーから潤くんの匂いがしなくなったからなんだ! 潤くんの匂いが恋しかった! 会いたくてたまんなかった!」  今にも泣き出しそうな天の愛を感じた潤はたまらず、ベッドに片膝を乗り上げて痩せた体をギュッと抱き締める。  その背後では、初々しいカップルの惚気としか言いようのない喧嘩を目の当たりにした豊が脱力していた。 「───おい、……俺の前で喧嘩しながらイチャつくのはやめてくれないか」

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