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はじめての巣作り19

◆ 天 ◆  潤との交際後の発情期で身に沁みたが、あの時のように逃げに転じても何の解決にもならない。  潤はどんな罵声も仕打ちも耐えられるけれど、天にそれが向かうのだけはどうしても避けたいと彼は言った。さらには自身でも手を焼く長い射精の間、潤がひたすら考えていたのは今後の未来設計だったとしみじみ打ち明けてもくれた。  隣には必ず天が居て、天が居なくては潤の人生は成り立たない……と、ずっと先の未来までをも想像し揺るぎないものを確信したと聞けば、揺らいでいた天の心も自ずと潤に寄り添う事となった。  番というのは、世の中の紙切れ契約とは違う。天と潤が真に結ばれれば、何人たりとも割って入る事は出来ない。  二人の愛の形は何よりも強固で、本能的に繋がる事でどちらかが天命を全うするまで永遠に離れられなくなるのだ。  天が作った愛の巣に横たわり、二人して脱水症状を起こすまで抱き合った暑く瑞々しい思い出も、彼の覚悟があったからこそ今では笑顔で振り返られる。 「わわわ……人がたくさん……っ」  思い出に耽っていると、たくさんの生徒や着飾った保護者らが視界に入ってきた。  胸に造花を付け、丸筒を持った学生らがとても清々しい表情でわらわらと正門を出てくる。  アイボリー色の厚手のカーディガンを着た天は、筆字で〝卒業証書授与式〟と書かれた大きなパネルの前で花束を抱え、どっと押し寄せてくる人波に慌て、咄嗟に死角に避けた。  肌寒い初春の終わり。  二人が新たな決意を固めたあの日から約七ヶ月が経ち、三月に入って最初の日曜日の今日、潤はついに高校卒業の日を迎えた。 「なんでジロジロ見られるんだろ……。俺そんなにおかしな格好してるのかな」  死角で花束を抱えている天は、いくら身を隠していても目立つらしい。学生服を着た面々が皆、明らかに誰かを待っている風体の天に気付いて視線を投げてくる。  特に大柄な男子生徒らの視線は痛く、自身の学生時代に良い思い出の無い天は心がキュッと縮まった。  天はΩ性と言えど一般的な男性よりもかなり小柄で、かつ華奢な骨格なので全体的に男性らしくない。柔和で可愛らしい容姿の天が花束を抱えているだけで可憐に見え、余計に目を引いてしまう。  ただし当の本人にはその自覚が無い。 「仕方ない……離れてよう……」  隠れていても悪目立ちするほどおかしな格好をしていると勘違いした天は、潤から連絡が入るまで近くのカフェで待つことにした。 「あ、カフェオレをホットで……お願いします」 「かしこまりました」  潤が働いているBriseのおかげで、おひとりさま入店も容易くなった天はカウンターに案内されるや、その場でカフェオレを頼んだ。しかし腰にサロンを巻いた優しげな男性店員に微笑みかけられると、ビクッと肩を揺らしてしまい初心者感を露呈した。  恥ずかし紛れに店内を見回すと、どこのカフェも似たような雰囲気で、やはり天には敷居が高いと思ってしまう。  数名の先客もお洒落な出で立ちで、シンプルな制服を着ている店員までもがそう見えてくる。 「お待たせいたしました。カフェオレをご注文いただいたのですが、少しだけココアパウダーを混ぜてありますので、モカ風味になっているかと」 「も、モカ……?」 「はい。勝手なアレンジをして申し訳ございません。お客様の雰囲気に合わせてみました。……お口に合うと良いのですが」 「……モカ……?」  店員から説明を受けても、天にはいまいちよく分からなかった。だが首を傾げつつ口を付けた天は、思わず「美味しい……」と呟く。  彼の言うように、確かに普段潤から淹れてもらうそれとは風味が違っている。ほんのりとチョコレートのような後味が残るが、これがココアパウダーによる〝モカ風味〟なのだろうか。  ──よく分かんないけど……美味しいな。  飲みやすく温かなカフェオレをわずか数分で飲み干した天は、スマホを気にしつつおかわりを注文した。すると店員はホッとしたように天に笑いかけ、カウンターの内側に回り込む。 「今日は卒業式みたいですね」 「あ、あぁ……はい。そうですね」  目の前でカフェオレを作り始めた店員に喋りかけられ、潤からの連絡を確認しようとした天は仕方なくスマホをテーブルに置き頷いた。  タイムリーな話題だったからだ。 「その花束。ご兄弟か、ご友人をお祝いするためのものですか?」 「はい、そうなんですけど……。場違いかなと思って逃げて来ちゃいました。俺ヘンな格好してるみたいだし」 「……変な格好? どうしてそう思ったんですか?」 「いやぁ、なんかジロジロ見られちゃって。ていうか、相手に連絡も何もしないで来たんで……俺が来てるの知られたら逆に迷惑かも、とか……」  話題を振ってくれた店員を困らせてしまう発言だと分かっていて、天は「ハハ……」と乾いた笑いをこぼす。  しかしながら、あの生徒たちの仲睦まじい様子を目の当たりにした天は、カフェへの道中少しだけ後悔していた。  よく考えもせず祝いたい一心でやって来たものの、潤も友人らと卒業の喜びを噛み締めたいだろう。友人らしい友人を作らず、卒業式後はそそくさと帰宅した天のような者の方が少ないに違いない。  首席での卒業を目先の目標にしていた潤が、無事母親との約束をクリア出来たのかどうかも気になっていた。卒業証書授与式の前に発表されるとあって、今朝のモーニングコールの時点で潤もひどく緊張していたのである。  結果はともかく、天は潤の頑張りを一番に褒めてあげたかった。  寂しがり屋な潤が、勉強や受験の最中に何度も「会いたい」と嘆いていたことを思えば、〝おめでとう〟と〝よく頑張ったね〟はセットだ。 「待っていたのは、恋人……ですか?」 「……はい」 「そうですか。……お、噂をすれば」 「え? ……あっ」  顔を上げた店員に促されるように振り返ると、晴れやかな表情でカフェの前を通過する数名の生徒たちの姿があり、そこには……。  ──潤くんだ……!  待っていた恋人の姿を発見した天は、勢い良く立ち上がった。  だが、踏み出そうとした足が止まる。 「あ……」  潤の隣に、上等そうな着物を召した母親と思しき女性が居たのだ。 「……そうだよ、なんで気付かなかったんだ……っ」  α性である息子を誇りに思っている母親が、卒業式に出席しないわけがなかった。  ──あの人が……潤くんのお母さん……。  初めて彼の母親を見た天は、周囲の生徒たちや店内の雑音が聞こえなくなるほど、瞬きも忘れて二人に見入った。  会えばきっと嫌味しか言わないと、潤は決して彼の母親と天が鉢合わせるようなヘマをしなかったので、天は本当に今日まで顔を知らなかった。どちらかというと潤は父親似なのだろうという事が瞬時に浮かぶくらいには。 「……お客様、カフェオレが冷めてしまいます」 「…………」  心配そうに声を掛けられても、誇らしげに彼を見上げる母親の笑顔を凝視していた天は応じる事が出来なかった。  潤は、おそらく母親の願い通り首席での卒業と相成ったのかもしれない。  だが何故だろう。  七ヶ月間、二人で励まし合いながら目指した高い壁が、さらなる強大な壁になるような気がして、心が落ち着かない。

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