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第1話

「お客様、飲みすぎですよ?」  そう、声をかけてきたバーテンダーに舌打ちをすると、更に酒を煽る。  何もかもを飲んで、忘れたい気分だった。 「……?……」  誰かの声と共に体を揺すぶられたが、意識は深く沈んでいった。  目が覚めてみれば、知らない部屋。  仰向けのまま、辺りを見回してゆっくりと起き上がる。  うぅ、と二日酔いで痛む頭を抱えていると、タイミングよく扉が開いた。 「あぁ、起きたか」  そう言って近づいてきた一色瞳に、目を見開いて驚く。  一色瞳、飛鳥と人気を二分する売れっ子モデルだ。  近づいてきた一色は、ベッドに腰をかけるとペットボトルを差し出してきた。 「ほら」  と言って手渡されるそれを素直に受け取って、煽る。  幾分かは、マシになったようにも思える。  ふぅ、とため息を吐いて一色に向き直る。  一色は、飛鳥の視線に気がつくと、あぁ、と話し始めた。 「お前が昨日……つか今日の明け方なんだけどな。泥酔して、バーのカウンターにいたのをつれて帰ってきたんだよ。マスターも困ってたしな」 「何で、お前が……放っておけば良かっただろ?俺なんて」  あそこのマスターは知り合いなんだよ、と一色は言った。それで、断れなかったと。  あの店で飲んだことが失敗だったと、飛鳥は頭を再び抱えた。  なにぶん、飛鳥は一色のことをライバル視しているため、借りを作ったりしたくなかった。それに、一色はアルファだ。尚更、飛鳥は一色にかかわり合いたくなどなかった。 「ホテルにでも、転がして置けばよかっただろ」 「仮にもモデルだろ、もっと自分を大切にしろ」  そう言って、飛鳥の頭を撫でる一色。高々、2歳ほど年上なだけなのに、子ども扱いしないでほしい。  飛鳥は、一色のそれを振り払う。振り払われる事もわかっていたのか、クスクスと余裕の表情で笑っている。  はぁ、とため息を吐いてベッドから出ようとしてはっとする。 「俺の、服は?」  飛鳥は、全裸で眠っていたのだ。何も身に着けず、ベッドに転がされていたのだ。体に何の変化もないから、大して気にもしていなかった。だが、これでは帰る事もできない。 「あぁ、今洗濯中だ。これでも着てろ」  そう言って、一色はクローゼットを開けると適当な服を出してベッドの上に投げた。  一色は、それを出すとさっさと出て行ってしまう。  飛鳥は、服を見てはぁ、とため息を吐いて仕方なしにそれを身に着けていく。  飛鳥よりも一色の方が、スタイルも良いし、身長も高い。故に、着てみればサイズが合わないことは明白で、舌打ちが漏れる。  それは少し、なので捲くるなどはないが、それでも悔しい。  寝室を出て、リビングに向かう。リビングでは、一色が寛ぎながらテレビを見ていた。  飛鳥が出たことに、音で気がついたのだろう。後ろでに腕を上げて一色は飛鳥を呼んだ。  しぶしぶ、飛鳥の姿を確認できるところまで歩く。一色は、飛鳥の姿を見るとふっと笑った。 「似合わねぇ、それでもモデルか?」  一色のその言葉に、飛鳥は震えて怒りをあらわにする。  どんな服でも、着こなしてみせるのがモデルの仕事だというのか。  それでも、サイズ違いの服を着こなせというのか。  そこまで考えて、ハッとした。今、何時なのだろう?スマフォもたぶん飛鳥は自分の荷物でさえ一色に取り上げられている状態だ。あの、薬も今は一色の手の中にあるのかもしれないと思ったら、途端に気が気じゃなくなった。 「お、い」 「何だよ?」  テレビを何の気なしに見ていただろう一色が飛鳥の問いかけに、ようやく飛鳥を視界に入れた。 「今、何時だ?」  一色の部屋は、無駄なものが無いというか、簡素で時計すら見当たらなかった。  もしかしたら、寝室にはあったかもしれないが、今更戻るわけにもいかない。  テレビには時計なんか映っていない。という事は、もうその時間帯を過ぎているということなんだろう。  もしかしたら、肝心の時間すら過ぎているのかもしれなかった。 「10時少し過ぎたところだな。安心しろ、お前の事務所には連絡入れといた」  そう言われたが、飛鳥にはお礼を言うことさえできなかった。  むしろ、余計なことをしてくれたと、一色をにらむ。  親切心かもしれないが、事務所に連絡したということは、あのマネージジャーにも繋がったということだ。飛鳥は今のマネージャーとは折り合いが悪い。  そのため、なるべくならプライベートを晒したくは無かったし、仕事以外でかかわるつもりは毛頭無かった。  本当に、最悪だ。と、飛鳥は頭を抱えた。が、違う、と首を振る。  その問題も大切だが、それよりも何よりも飛鳥は自らの身に降りかかるモノのために働かねばならなかった。 「違う、そうじゃない。俺の……薬はどこだ?」  そろそろ11時。そうなれば、薬を飲まなければならない。発情を抑える、オメガ専用の抑制剤。  飛鳥にとって、それを飲まないと言う事は死活問題だった。 「薬……?あぁ、これの事か?」  と、言って一色が取り出したのは見間違うはずの無い、飛鳥の薬だった。 「これ、何の薬だ?」 「お前に、関係ないだろ」  飛鳥は、一色にオメガだとバレたくなくて顔をそらす。調べればわかってしまうが、それでも今はバレたくなかった。  ふーん?と言った一色は、意地悪く笑っていて飛鳥は返答を間違えたと気がつく。が、後の祭りだ。  じゃあ、返さない。と一色は薬を胸ポケットにしまってしまう。  何を言おうが、一色はどこ吹く風で飛鳥は焦り始める。  どうにか、返してもらわないと大変なことになる。それこそ、一色を巻き込んでしまうような……。 「……それ、は……抑制剤だ」  しぶしぶと声に出した飛鳥。一色はだろうな、とまるで知っていたかのように話す。 「お前が何かの病気なら、お前の事務所が放って置くはずがない。それにこれ、女が使ってるピルに似てるしな。そうなれば、必然的にこれはオメガの抑制剤しかないわけだ」 「ならっ」 「これ、体に害とかねぇの?」  ポケットから出して、薬をまじまじと見ている一色に、飛鳥は苦虫を噛み潰したような顔をした。  副作用は、多かれ少なかれ薬、それも抑制剤となれば完全につきものだ。  軽い薬だからと言って、例外は無い。が、それを服用しなければこんな差別ある社会で生きてなんか行けない。  強い薬に依存すれば、それだけ早く体は壊れていく。飛鳥の使っている薬は、比較的に副作用が少ないものではあるが、それでも無いとは言い切れない。現に、飛鳥の感覚は少しずつ鈍くなっていっている。が、それも日常生活に支障をきたさない範囲で、アルファと番になれば、元に戻ると言う軽いものだ。  いや、一生番うつもりのない飛鳥にとっては、重たくのしかかってしまうかもしれないが、それでも飲まずにはいられない。オメガであるが故に。 「俺が、決めた事だ。もう、良いだろ?返してくれ」  その言葉に、はぁ、とため息を吐いた一色はほら、と飛鳥の手に薬を返してくれた。  それを慌ててPTPから出して飲む。そうして、ホッと息を吐いた。  その様子を、一色はじっと見つめていた。 「それ、最後の一錠だろ?なら、今日病院に行くのか?」  俺は、その言葉に返事をしない。が、当たりだ。  今日はスケジュールをすべてオフにして、診察をしてもらいに病院に行く日だった。  予定外の出来事で遅れてしまったが、今から行けば午後からの診察には間に合うだろう。 「返事ぐらいしたらどうだ?」  たく、と言って一色は立ち上がるとどこかの部屋へ消えて行った。飛鳥は、そうしてようやく変に入っていた肩の力を抜いた。  トサッ、とソファーに落ちる。一色に会えば、必ず肩に力が入りすぎるためか、とても疲れる。それも、飛鳥が一色を嫌う原因の一つだった。  ここが一色の家だと言う事には変わりなく、気を抜いている暇などないが薬を飲み安堵したことによって、とても気が抜けてしまっていた。 「オメガって事バラしたんなら、そんなに無防備なのはどうかと思うぞ」  手を組んだ場所に額を乗せて、瞳を閉じていた飛鳥は突然耳元で聞こえた一色の声に驚いて、変な声を上げてしまう。  振り返ってみれば、一色は一瞬意地悪く笑っていた。すぐに飛鳥の視界は、暖かい衣服によって閉ざされてしまったが。  頭の上から引きずりおろせば、それは昨日来ていた飛鳥の服だった。どうやら、一色が洗濯してくれたらしい。その事に驚いた飛鳥は、素直に小さくだがありがとう、とお礼を言った。一色に聞こえたかどうかは知らない。  バタバタと寝室に引きこもった飛鳥は、手早くそれを身に着ける。  やっといつもの格好になり、落ち着けるか、と思いきや、洗濯物からはふわりと微かに一色の香りがしてどきりと胸が跳ねてしまうのを押さえつけるのが大変だ。  が、なかなか出て行かないのも変に思われると思って寝室から出る。 「コレ、洗って返す」  そう言って、借りた服を持っていたが、慣れないことをするな、と取り上げられてしまった。  手持無沙汰になってしまい、再びソファーに腰をかけた飛鳥は、あれ?と首を傾げた。  タイミングよく戻ってきた一色に顔を向ける。 「俺の、他の荷物は?」  そう、問えば一色の答えは極めて簡単なものだった。 「俺が預かってる」 「いや、返せよ」  財布もスマフォも取り上げられてしまっている今、この部屋から容易に出て行くことすら叶わない。  そんな飛鳥に、気が向いたらな、と今度はキッチンに向かって行った一色。  完全に、飛鳥の意思など無視している。  出てきたのは、簡単な朝食。いや、もう昼食だが。人の体というのは、現金なもので、それを見た途端、飛鳥の腹の虫が鳴いた。  かっ、と飛鳥は顔を赤くし、一色はその様子を愉快そうに笑った。  食べなければ何かを言われそうだし、何よりこの調子だと病院にも行けなさそうだと、しぶしぶとそれを口に運ぶ。手作りだろうそれは、以外にもおいしかった。  からん、とスプーンを空の器に入れてごちそうさん、とだけ言った。お粗末さま、と一色はそれを手早く片付けると、ジャケットを羽織り、ちゃら、と鍵の束をを持った。 「ほら、病院行くんだろ?」  その言葉に、すでに諦めた飛鳥は素直に一色の後についていく。  一色の車の助手席に素直に乗り込むと、シートベルトを締めて、シートに体を預けた。ツーシーターのその車だが、一色は安全運転だった。  平日だからか、車どおりは少なく、いつもの病院には思ったよりもすぐに着くことができた。  車の中では、洋楽だろう曲が流れていて、それを遮らないようにか大した会話はなかった。  病院についても、飛鳥の荷物が返されることはなく、一緒にバース外来にまで来ることに名手しまった。  金髪にサングラスをかけたスタイルのいい一色と、いつもなら帽子にするのに今日はサングラスの飛鳥が居れば、必然的に目立つのは必須。  飛鳥は、受付を済ませてバース外来の待合室の椅子に座ると、はぁ、とため息を吐いた。  幸いなことに、バース外来とは他のどの科よりも機密性に優れており、また同類を他に告げることはない。  そう言う誓約書を書かされる。  バース外来は奥まった場所にあり、本来ならルートから外れた場所に設置されている。待合室も本当の部屋になっていて外からのぞかれる心配もないし、そもそもバース外来の札すら出ていない。受診権が無いと入れない場所にあり、完全に外部との連絡を絶てる場所にある。それ故に、この病院のバース外来は人気がある。妊娠しても、ここなら他の科にだってすぐにかかれる。そもそも、何故バース外来がこんなに重要に隠されているかといえば、バース外来の患者にある。バース外来の患者は約九割がオメガだ。アルファやベータでこの外来を受診するのは一割にも満たない。アルファ専用の抑制剤だって、この外来じゃなくとも出してもらえるからだ。しかし、オメガの抑制剤は多種に渡り、それを出すのも何種類かの検査をしなければならない。オメガが一同にかえすこの場所を、無防備にもアルファにさらすわけには行かない。 「へぇ、バース外来の中ってこんな風になってんだ。案外、普通だな」 「どんなのを創造してたんだよ?」  バース外来の待合室は、入ってしまえば平凡なもので、他のどの科とも大差は無い。何食わぬ顔で物色しだしそうな一色を、頼むからここに居てくれ、と飛鳥は一色の左腕を掴んで引き止める。  そんな二人を、微笑ましそうにみて通り過ぎていったマタニティドレスを着た妊婦。その顔を見て、ハッとした飛鳥は思わずバッと音が鳴りそうなほど早くその腕を放した。傍から見れば、恋人同士にも見られかねない。何だ、もうやめるのか、と面白そうに笑った一色に、からかわれていたのだと知る。にらみつけるも、どこ吹く風だ。  午後からの診察も、混雑していたのか飛鳥は待っている間に手持ち無沙汰でこっくりこっくりと首が動く。名前を呼ばれて、気がつけば一色の肩を借りて眠っていたらしい。その間、憎らしくも自分はスマフォを弄っている一色に恥ずかしいやら何やらで怒りを覚えた。 「久しぶりですね、櫻庭さん。経過はいかがですか?」  にっこりと笑う白髪のおじいちゃん先生に、飛鳥は変わりないよ、と答える。そうかい?と笑うおじいちゃん先生。しわくちゃの顔で、目が見えない。 「して、そちらの方は?櫻庭さんの番候補かな?」  流石は先生、番ではないことをちゃんと見抜いている。違う、そう言い掛けた飛鳥の言葉は、一色の言葉にかき消された。 「はじめまして、同業者の一色瞳です」 「ほほう、一色君とね。はじめまして、櫻庭さんの担当をしている望月という。専門は、まぁ外科なんだけどねぇ」  はっ、はっ、はっ、と笑った先生はじゃあ、とそんなことは関係ないとでも言うようにカルテに向き直った。このおじいちゃん先生は電子カルテなど使えないのでいつも紙カルテを見ている。  そんなレトロな感じの先生だが、そこがまたいい。  ちゃんと話を聞いてくれるし、何よりも自分に合っていると飛鳥は思っている。自分のことを、孫のようにかわいがってくれているとも。 「じゃ、いつもの検査してまた戻ってきてね」  そう言って、一旦外に出された。副作用とは、自分でも気がつかないくらい進行していたら困るもので、その副作用に関する検査を毎回していた。わかりました、と出て行こうとしたら、一色くんだけは残ってね?と言われ、今日起きた時からずっと一緒にいたから、すこしだけ違和感を感じながら飛鳥は一人で診察室を後にした。  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 「君は、彼のことをどう思っているのかな?」  飛鳥が退室した後、にっこりと笑った望月医師に瞳は尋ねられた。  予想していたが、やっぱりか、と笑いたくなる。 「飛鳥を、ですか?今はまだ、としか言えませんね」 「そうかい?その気も無いのに、彼を束縛しているのなら、僕は警察に届け出なければならないからねぇ」 「……医者という職業も難儀なものですね」  まったくだ、と望月医師は笑った。  こう、望月医師には答えてはいるが、出会った当初から瞳は飛鳥がオメガだということを感覚的に知っていた。たぶん、それが運命だというならそうなのだろう。今まで、意識したことなんて無かったが、昨日あのバーで泥酔していた姿を見たとき、我慢できなくなってつれて帰ってきてしまった。まだ、離したくなくて手荷物さえ奪っている状態だ。これが束縛じゃなくて何だという?  あいつの、匂いさえ嗅いだ事も無いくせに、瞳は飛鳥を手放すことができない。運命というものはとてつもなく厄介なものだ。自分の知りたくなかった本能でさえ刺激してくる。 「……なぁ、先生さ」 「んー?何かな、一色君」 「あいつが、運命だとして……いや、何でもないわ」  望月医師は、そうかい?と言って笑った。念のため、サンプルとして血液を少しもらいたいとも言われたので、了承して診察室を出た。  採血が終わったころ、飛鳥も検査から戻ってきていた。  手招きをすると、とても嫌そうに顔をゆがめながらも素直にやってくる飛鳥。その姿を瞳はやけに気に入っていたりもする。 「そっちはどうだった?」 「変わりなしだ……、お前、何かあったのか?」  飛鳥は、瞳の腕を見つめて言う。隣に座っても、そこから視線が離れない。サンプルに採血をしたと言えば、微妙に飛鳥の顔は歪む。  ここは、主にオメガが来るとなって、アルファの検体は少ない。  まぁ、アルファを研究しようなんて酔狂な学者ぐらいしか、今は居ないのだが。絶対的王者、それが世の認識だからだ。  が、瞳はその世論を信じられずに居る。アルファじゃなくとも凄い奴はたくさん居る。それなのに、アルファだけが偉いとか言うアルファ絶対主義者たちを見ていると、気分が悪くなる。  アルファだとかベータだとか、オメガだとか本当は関係なくて、モデルの業界でもそうだが、本当に実力があれば認められる、そう言う世界であればいいのにと思う。  いや、そう言う世界を作っていかなきゃいけないんだろうな。  そう、瞳は思うと飛鳥の頭を何の気なしに撫でた。  飛鳥は、ひどく困惑したような顔をしたが、先ほどの顔よりかは幾分かマシだ。  そうしている内に、再び飛鳥の名前が呼ばれて診察室へと入った。  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  飛鳥は自分が検査されているときに、一色が採血されていたことを知った。それは、サンプルとしてという事は、他のオメガのためにも使われるかもしれない、と言う事だ。何故か、その事実に不快感を覚える。が、何故か一色から頭を撫でられて困惑しているうちに名前を呼ばれて、飛鳥はおじいちゃん先生の待つ診察室へと足を踏み入れた。 「うんうん、結果は良好みたいだね。お薬、前回と同じく出しておくよ」  そう言って、カルテにさらさらと書いていくおじいちゃん先生。飛鳥はホッととりあえず息を吐いた。 「でも、油断は禁物だからね。何かあれば、すぐに受診すること。いいね?」  おじいちゃん先生の言葉に、頷けばいい子だと頭を撫でられた。ちょっとだけ、気恥ずかしくなる。  診察室を出て、受付で会計を一色が済ませる。自分で払う、と言ったが飛鳥の財布は一色が持っていて、それを一色が返すことが無いと分かれば、不可能に近い事は明白だった。結局、全てを一色が済ませてしまい、飛鳥は居たたまれない思いでいっぱいだった。  薬を受け取ると、受付のお姉さんはいつものように良い笑顔で、お大事にしてください。と言って見送ってくれた。  病院から出ると、一色にお前の家どこ?と聞かれたので、誰が教えるかと言えば、そう言えばと言って財布の中の免許証を見られたので、それすらも空振りをした。  マンションの来客用駐車場に一色が車を止めると、一緒に部屋まで着いてきた。飛鳥の家は、一色の家のように物が無いわけではなく、それなりに汚れていた。その中に一色を入れることすらためらいが有ったが、一色はそれを知ってか知らずか押し入って来た。  始めて来たはずなのに、勝手知ったるといった形で飛鳥のものをあさり出した一色は、飛鳥にこれでいいか、と適当な大きさのバッグを投げて遣す。何だよこれ、と飛鳥が問えば着替えいれろよ、とさも当然のように一色が言う。どういうことだ、と飛鳥は間抜け顔になる。 「お前は、暫く俺の家で暮らすこと。いいな」 「なんっ、何でそんなことお前に決められなきゃいけないんだよ!!」 「酔って、前後不覚になるまで泥酔してそんなお前をいったい誰が面倒見るんだ?今のマネとはあまり上手く行ってないみたいだしな」  そう言われて、飛鳥はくっ、と下唇を噛んだ。 「だからって、何でお前……」 「じゃあ、そのマネージャーと俺とどっちがいいか決めろよ」  ギラッとした目で睨まれた飛鳥は、ひゅっと喉を鳴らした。そうして、ゆっくりと息を吐き出すと、何も答えずに服をバッグに詰め始めた。  それが、雄弁に答えを語っている。  飛鳥は、どうにもあのマネージャーが好きになれなかった。オメガであると会社には申告していて、マネージャーにも伝わっているが、その成果とも思っている。時々、ゾッとするような見下した目で飛鳥を見つめていたり、かと思えば飛鳥の事を嘗め回すような目で見ていたりする彼が好きではなかった。  それならば、一色の方を選ぶのが当然といえた。そりが合わないだろうと、気に入らないだろうと、一色は飛鳥のことを一人の人としてみてくれているのだから。  飛鳥は、バッグに必要なものを詰め終わると、一色の前に無言で立った。  何?終わったの?と言った一色に、飛鳥は頷きを返す。  返事は?と言う一色に、舌打ちをすると更に意地悪く微笑まれた。 「飛鳥は、返事もできないお子様なんだ?それなら仕方ないなぁ」 「だっ、誰がお子様だ!出来たよ!これで良いんだろ!」  クソッと飛鳥が悪態をつけば、一色は愉快そうに笑った。  それから、一色の車に戻ると一色は車を走らせ出した。  一色の部屋に帰るものだと思っていたら、車は郊外に向けて走っていた。  どこに行くのか尋ねれば、夕飯、とだけ答えられる。それは、目的であって場所ではない。  飛鳥は、答える様子の無い一色にため息を吐くと、車窓に映る景色をただぼんやりとん眺めていた。  とある住宅街、その一角にひっそりとした店があった。  車を近くの駐車場に止めると、一色はついたぞ、と言って飛鳥を促してくる。  飛鳥は、始めてくる場所に興味津々と言う顔を隠そうとはしないできょろきょろと辺りを見回していた。  店は、オレンジ色の明かりで、落ち着いた雰囲気を醸していた。ゆったり出来そうな雰囲気に、肩の力が抜ける。  店員に、奥の個室が開いているか、一色が問えば、開いてますよ、とにっこり笑って対応してくれた。ひっそりとした場所で、あまり店内にも人が居ないのにも関わらず個室を選択するのは、やはりモデルとしての配慮だろうか? 「何、この子。始めて見るけど、お前の?」  奥に通されて、暫くすると黒いエプロンを付けた、如何にもって言うワイルド形のアルファが現れた。その登場に、飛鳥は警戒心を強める。 「そうそう、俺の。だから、手出し無用で」 「珍しいな?まぁ、いい。何にする?」  そう問われ、一色はメニューも見ずにアバウトに注文していく。人の意見さえ聞かず。例えば、飛鳥は別に普通の食事も平気だが、胃に優しいものをとか、自分用にガッツ利したものとか、とにかくアバウトだ。  その注文に男はりょーかい、と言って部屋を出て行った。  個室には、沈黙が訪れる。一色は、スマフォで何かを見ているようで、会話をする気が無いのは明らかだ。かといって、飛鳥もこれと言ってする話は無かったので、どうでもよかったが。それでも、飛鳥にしてみれば手持ち無沙汰だ。本当に、こういう時には一色をうらみたくなる。いや、恨んでもいい立場だよな。勝手に手荷物奪われてるんだし。  そうして、何となしに考え事をしていれば、早々に料理が運ばれてきた。  粗暴に見えた外見とは違って、料理はとても繊細できれいだった。  目の前に置かれたトマトのリゾットを一口、口に運ぶとふわりとトマトの程よい酸味と優しい味が広がった。  思わず、飛鳥の口からおいしい、と言う言葉が漏れるほどに。  一色は、飛鳥のその言葉に自分が作ったわけでもないのに、得意げににんまりと笑う。そんな一色が気にならないくらいには、おいしかった。  食べ終わったら、あの店主にごちそうさまと、美味しかったと伝えて一色と飛鳥は店を出た。  店を出て、一色の車で家まで帰った。飛鳥にしてみたら、帰ったというのはおかしな話ではあるが……。  一色の部屋は、ゲストルームがあるわけでもなく、来客用の布団も無い。  必然的に、飛鳥は一色と一緒に寝る羽目になった。それなら、リビングのソファーで良いと飛鳥は言ったが、それを一色が許さなかった。  狭い訳ではないベッドだが、飛鳥と一色が並べばそれなりに幅を取る。落ちないようにと考えれば、一色と触れ合ってしまうのは、当然といえた。なるべく、アルファである一色に無防備な姿をこれ以上晒したくない飛鳥は、距離を取ろうとするが、壁側に追いやられて、逃げ場を無くされてから、その腕の中に捉えられた。どくりっ、と胸が高鳴る。それは、飛鳥がオメガであるがゆえに仕方ないのだと、己に言い聞かせた。  次の日の朝、飛鳥がおきた時にはもうベッドの中に一色の姿は無かった。  すぐに、うなじに手を持っていき、噛み痕が無い事を調べた。一色が飛鳥を番にしようとするとは考えていないが、それでもオメガとしての本能がそうする事を自然に行ってしまう。相手がベータならまだしも、アルファなら余計に。  そんな飛鳥をよそに、寝室の扉を開けた一色は、いつまで寝てるんだ?と声をかけてきた。  一色は、もうすでに出かける用意が出来ているようだった。それなら、起こせよ、と飛鳥は心のうちで言った。たぶん、声に出してもなんだかんだ言われて終わりだろう。  はぁ、とため息を吐いた飛鳥は一色に出て行けよ、と言って着替え始めた。今はあまり仕事に行く気がしないけれど、行くしかない。  飛鳥には、モデルの仕事しかないから。  一色の作った朝食を食べて、事務所に向かう。何でこんなにハイスペックなんだ、アルファが憎い。  事務所に着く前に、一色はスマフォだけ返してくれた。  何かあれば連絡よこせと、態々電話帳の一番上に一色の連絡先を入れて。  何かって何だよ、と聞いてみたけど無駄だった。  ごまかされて終わり。そのパターンが多すぎる。  それ以上に、何かあっても別に一色には関係の無いことだ。拾ったもんだから、情でも沸いたってのか?それこそ、余計なお世話だ。 「今日は、いつもより早いですね」  そう言ったマネージャーに、飛鳥は舌打ちをして別に……とだけ答えた。  本当に、その目が好きじゃない。  撮影所まで、マネージャーの車で決して飛鳥は助手席に乗ることは無い。それどころか、目もあわせようとしない。まぁ、当たり前と言えば当たり前なのだが。  一色に送り届けてもらう、そんな日が続いたある日。  いつもなら、飛鳥を乗せてきたマネージャーは先に現場に入って、いろいろとかくにんしているはずだった。が、この日に限って飛鳥の後を何やかんやと良いながら後ろを着いてきた。その時点で、おかしいとは思っていた。オメガの俺の後を、アルファであるマネージャーが笑って着いてくるなんて。  入ってくるなと言う牽制のつもりで、マネージャーが入る前に控え室の扉を閉めようとしたら、それを足で止められて、中に突き飛ばされる。  飛鳥の周りに、飛鳥を従わせようとするオーラ、マネージャーのアルファのフェロモンが満ちていく。  ひゅう、と喉を鳴らした飛鳥はネクタイを緩めながら近寄ってきた。  そのまま、マウントを取られて飛鳥は震えだす。  咄嗟にマネージャーを突き飛ばして、部屋の外に出る。初めて入るその撮影所は右も左もわからず、飛鳥はとりあえずがむしゃらに走りながら、人影を探した。けれど、不自然なほど誰も居らずますます震えることになる。  スマフォを走りながら取り出して、飛鳥は迷わず一色に電話をかけた。  早く出ろ、早く出ろよ、と祈るように。  電話をかけながら、飛鳥は階段を見つけ、必死に駆け下りる。  降りれば誰かが居ることを願って。 『どうした……飛鳥?」  階段を降りて、適当な場所の扉を開けると同時に繋がった一色との連絡。そしてクリアに聞こえてくるその声。飛鳥が目を見開いて驚く先には、メイリストを纏わせてたった今撮影途中だろう一色と目が合った。  飛鳥は、手からスマフォを滑り落としながら一色に駆け寄ってそのまま抱きついた。  一部、黄色い悲鳴も聞こえてきたが、飛鳥自体それどころではない。 「何があった?」  一色は、最初戸惑っていたようだったが飛鳥の様子にただ事じゃないと知ると、優しく抱きついた飛鳥の頭を撫でながら、いつもなら考えられないほどの優しい声で飛鳥に尋ねる。  飛鳥は、その声を聞きながらも首を横に振るばかり。何があったかなんて一色には把握できない。が、微かに纏わりつく別のアルファの匂いで、何があったかなんて大体把握できそうだ。それに、一色には纏わりついてるアルファがこちらに向かってきている事を、感じ取っていた。  これほど、アルファの力をひけらかしながらやってくるのは、どこの馬鹿だと言う感情を密かに伏せて。 「すみません、うちのアースがこちらに来ていませんか?」  そう言って入ってきたマネージャーはどこかで身なりを整えたのだろう、普段と変わらぬ格好をしていた。アース、とは飛鳥のモデル名だ。  が、飛鳥はマネージャーの声がすると、途端に再び震えだす。  一色が、飛鳥を抱きしめる腕の力を強くして大丈夫、と言うように頭を撫でて背中を優しくたたいた。 「夕月、急で悪いが今日の仕事は全部他に回せるか?」 「本当に急だな。ちょっと待て……」  夕月と呼ばれた、一色のマネージャーは大丈夫だ、と言って一色に笑った。それはそれは悪どい笑みだ。  必死になっている飛鳥はそれに気がつかない。上出来だ、と言った一色はついでに、と夕月に言う。 「飛鳥の事務所に連絡入れとけ。今すぐ飛鳥のマネージャーやめさせろってな。出来なきゃ、飛鳥はうちで預かるって」  はいはい、と言って出来るマネージャーなんだろう、夕月は携帯片手に早速連絡を入れ始めた。 「余計なことをするなよ、モデル風情が!!」 「その、モデル風情よりも格下が俺に意見すんのか?」  マネージャーが、一色の言葉を聞いて怒りを募らせていく。そして、徐々に広がっていくアルファの従わせようとするフェロモン。が、そのフェロモンが一瞬にして霧散していく。一色が、力を使ったのが飛鳥には少しだけだが感じ取れた。  何せ、飛鳥の側から空気がきれいになっていくような気がしたからだ。  それからも分るとおり、一色はマネージャーより格上のアルファなのだろう。 「帰るぞ、飛鳥」  一色は、マネージャーを鼻で笑うと、そのまま飛鳥をつれて歩き出す。  きちんと、今日集まってくれた撮影スタッフに侘びを入れるのを忘れずに。  一色の控え室に入り、飛鳥は漸くはぁ、とため息を吐いて床にへたり込んだ。ブワッと冷や汗か吹き出て、飛鳥の息は荒くなっている。  まるで、全力疾走をした後のように。  一色は、そんな飛鳥に寄り添い、飛鳥が落ち着くまで待っていてくれた。  あのマネージャーのフェロモンは氷のように寒かったのに、一色のフェロモンは、陽だまりのように温かくて、飛鳥の鼓動は落ち着いた。  同じアルファでも、こうまで違うのか、と飛鳥は思う。まぁ、一色の場合はだんだん慣らされたと言っても過言ではないが、嫌ではなかった分、合っていたのだろう。  落ち着くと同時に、緊張が解けたのだろうフッと飛鳥は意識を失った。  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 「飛鳥?おい、飛鳥?……寝ちまったか」  そう言って、瞳は飛鳥を抱き上げて椅子に座らせる。顔にかかる髪を払ってやりながら、にっこりと笑った。その顔は悪巧みが成功したような顔つきをしていた。  帰る支度をして、もう一度飛鳥を抱き上げる。バランスのいい体だと人は言うが、瞳にしてみればもう少し肉を付けてもいい気がする。オメガ故に肉が付きにくい体質の奴も居るらしいが、飛鳥はどうだろうか?  まあ、そんなことを考えても仕方が無い、と一色は笑う。  飛鳥を監視するため、と言って一緒に住めたのは、予定外だったけど飛鳥に近づくにはよい方法だった。  事務所が違い、一方的にライバル視されていては、近づこうにも近づけない。それが、自分から転がり込んできたんだ。捕らえるのは本能と言うものだろう。  まだ、その頃は飛鳥が番だとは思っていなかった。ただ、気になる程度で。だが、ここまでの執着、そして飛鳥に纏わり付く他のアルファの気配に嫌悪感を抱く辺り、もう手遅れなんだろう。飛鳥は、瞳の運命だった。  少しずつ、少しずつ落としていこうと思っていた獲物が、他のハンターに狙われて腕の中に転がり込んできた。これほど嬉しい事は無い。  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  その日のゲストは、葦名雄大と一色瞳の同じ事務所の同じモデル上がりの俳優二人だった。 「俺、結構愛妻家って言われてますけど、一色さんだって奥さんのこと尊敬してるくらい愛してるんですよ?」  楽屋で聞かされるのは、惚気ばっかりです、と葦名が言えば、バカッ!と一色があわてる。その様子すらお茶の間の団欒に使われそうな雰囲気で楽しげである。 「奥様を尊敬している?えっ、何で?」  MCが葦名の言葉を拾って一色に突っ込んだ質問をかける。  一色は、えぇ、それ聞いちゃいます?と顔を隠しながら言った。そんなに恥ずかしいことだろうか? 「あー、モデルって大抵旬が短くて、年取っても成功する人なんて一握りくらいで、後は大体俳優になったり、他の仕事探したりする門なんですけど」  俺やこいつみたいに、と一色は自分と葦名をさして言う。 「妻は、そのモデルが生きがいで、これしか出来ないからって今でも頑張って仕事してます。その一握りの中に、妻は残ってしがみついているんですよ。それを、尊敬せずにどうしろって言うんですか」  と恥ずかしげに笑った一色。テレビの前、それを聞いていた彼は一人で涙を流した。  そんな言葉、聴いたこと無かったからだ。  最後に、そのテレビは彼らが今度主演を勤めるドラマの宣伝をして終わった。たった30分、されど30分の間、ずっと一緒に居るはずなのに、テレビの中の一色から目が話せなかった。  とある雑誌のモデルに質問!のコーナーでは、飛鳥が見開きで写っていた。  Q.最近、ご結婚されたそうですね。おめでとうございます。ご主人はどんな方ですか?  A.ありがとうございます。旦那、ですか(照)えっと、第一印象は気に食わない奴、と言うか……とにかく負けたくなかった相手ですね。どんな……とにかく気に食わないアルファです。  そんな欄に、誰もが笑みをこぼしたり、笑ったり。そうして、見ながら飛鳥が一切話そうとしなかった結婚記者会見を思い出したりしていた。  Q.ご主人をどう思っていますか?  A.あいつは、俺のことを尊敬してくれてるって前テレビで言ってました。俺にしたら、あいつの方が凄い奴だと思う。アルファでもその力に奢ることなく努力したから今のあいつの地位があるわけで、あいつは凄いって思ってるよ。ムカつくけど(笑)  END

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