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第九章・2

「お疲れさまでした」  社長室は芳しいコーヒーの香りが満ちており、徹を喜ばせた。 「どうぞ、マンデリンです」 「ありがとう」  そして徹は、カップ片手に何気なく目をやった壁を見て驚いた。  会議前まで何もなかったはずのそこに、見事な抽象の絵が飾られているのだ。 「見事な……」  カンバスいっぱいに描かれたそれは、芸術は不得手な徹にも解るほどの輝きを放っていた。  これは、傑作だ。  温かく落ち着いた色彩の、いくつもの円でまとめられているが、そこここに鋭く走る閃光のような、彩度の高い渦が描いてある。  先ほどの、部下の言葉が思い出された。 『100年に1度の天才だ、などと興奮しておりまして』  これほどの大きさならば、オークションのやり方次第では億の値が付く可能性もあった。  飾られた絵画に目を奪われている徹に、樹里は恥ずかし気に話しかけた。 「どうでしょうか。お金が無いので、僕が描いたんですけど、気に入らなかったら処分してください」 「処分だなんて。とても素晴らしい作品だ」  徹はコーヒーを一口飲んで、からからに乾いた喉を潤した。

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