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運命と本能と密月

 お前らベータは、アルファの性を知らない。出会ってしまえば、手に入れずにはいられない、手に入れてしまえば、愛さずにはいられない、愛してしまえば、番がいなければ生きていけない。  アルファにとって、運命の番とはそう言うものだ。  だからこそ、番を守り大切にし、慈しむ。アルファと言うのは、番のために自らの命すら差し出す。  それは本能であり、番のために命すら、自らの王が投げ出すと言うその元凶を嫌うのがベータの本能だ。  信じられなかった。  そいつは、突然このクラスにきた。普通クラスと呼ばれる所で生徒会長をしていたらしい。が、転校生が来てリコールにあったと。それでも、この不良クラスと呼ばれる場所で、その貫禄を失うことはなかった、王者としてのプライドもあったのだろうか?  元々の素養が有ったのだろうか?  程なくして、そいつはクラスに馴染んだ。元々、よく馴染むこともできなかった俺とは正反対だと思った。  だからこそ、俺はいつも一人で居るのに絡んでくるあいつが苦手だった。  避けて、教室にも寄り付かなくなった俺は、一人裏庭の木陰で惰眠を貪る。  元々、親に無理矢理入れられたような学校だ。単位が足りなくなったり、留年したり、最悪退学になっても、構いはしなかった。  親は、少しでもいい番候補が見つかれば、と思ってこの学校に入れたのだろうが。  そう、俺はオメガだから。  両親も祖父母も、皆バースの番だ。今まで、アルファしか生まれておらず、オメガが産まれたのは何年ぶりと言う家系的にも珍しい家らしい。  ただ、番の親がいると言うこともあり、俺はたいして困ることもなく、抑制剤を服用し、発情期にも困ることもなく過ごしてきた。  きちんと服用すれば、倒れて動けなくなることもない。  その事には感謝しているけれど、俺の運命やら番やらの世話までは要らない。  良いところに嫁いでほしい何て、余計なお世話で、第一何でオメガだからって嫁がなければいけないのか。そりゃ、兄弟にはアルファがいるけれども、それとこれとは別のはなしだ。  俺だって、ベータやオメガの女性と関係を持って、家庭を持ちたい。そう望むのはいけないことか?  俺は、オメガである以前に男なのだから。  この学校には、日本の経済や政治を支えている人物たちの子息がたくさん通っていることもあり、通常よりもアルファの確率は高い。  その分、オメガの確率も通常よりかなり高いのだが。だから、アルファと番う倍率としては変わらないくらいだと思う。  まぁ、企業子息と言う立場にあれば、婚約者が居たりするのもあると言えばある。  前生徒会長の泊先輩にも、この学校にオメガの婚約者がいた。  だいたい、こんなに育って強面のオメガなんて誰に需要があると言うのだ。  可愛い、可愛いと言って育てられてきたが、身内のひいき目にしか感じられない。  運命が居ると言うなら、見てみたい。外見も、内面にも捕らわれず、運命だからとアルファに愛されるオメガ。  番を持つことは、オメガにとって至上の喜びだとされているけど、それが一体どれだけの幸運なのだろう。無理やり番になり、アルファによって解消される例も報告されていないわけではないだろう。  幸福は、やはり人それぞれ違うもので、いいじゃないか。  アルファに怯える人生ならば、初めからアルファになど関わらなければいい。  その考えを伝えたことは何度かある。  けれど、それは俺が強いから、まだオメガと言う性を知らないから。そう言われた。  オメガの、性を知らなくてもオメガとして生きていける。  そう言っても、苦笑されるだけだった。  そんなある日。俺は、いつものように木陰で昼寝をしていた。  もうすぐ、発情期も近いと言う事もあって、タブレットケースをきちんと持って。  それが無いと、発情期になったらフェロモンが駄々漏れになってしまう。  それは、襲ってくださいと言っているのと同義だ。  ふと、目が覚めてふわりと体温が上がってくるのを感じる。  あぁ、発情期が来てしまった。  いつものように、ポケットに手を突っ込んでタブレットケースを取り出す。  が、手が震えてそのケースを落としてしまった。  慌てて、拾いに行こうとしたが、発情期によって体の自由が奪われ、思うように体が動かない。  這ってでも、手を伸ばそうとした手前、そのケースが何者かによって拾われる。  タブレットケースに合せ、視線を上へと持っていくと、ドクッ、と心臓が跳ねた。  ブワッ、とフェロモンが広がる。  俺の、詳細な記憶はここまでで切れてしまった。  それでも、分かる。俺は、アイツ……日比野に抱かれ、項を噛まれた。  普通の男性としての性を選ぼうとしていた俺が、日比野によってオメガと言う性から、逃げられなくなった瞬間だった。 「あぁ、発情期終わったのか」  がちゃ、と寝室に入って来た日比野は、上半身を起こして日比野を睨みつけている姿を見てにっこりと意地悪く笑う。  信じられない、そう言った感想ですらあった。  ベッドに近づいてくる日比野。それと同時に少しでも離れようとじりじりとベッドの端に寄って小さくなるべく小さくなるように体を丸める俺。  ベッドに腰かけて、伸ばしてきた手を払う。 「何で……」  そう、俺がつぶやくと、”何で、か……”と日比野が言った。  ふむ、と考えた末に日比野は、言った。 「俺がアルファでお前が運命だからだろ?」  それが、一番的確な答えだと日比野は言う。  俺は、驚きで目を見開いた。 「だから、お前は俺を避けてたんじゃないのか?」 「なに、えっ……?」 「なんだ、自覚が無かったのか?」  困惑している俺を置いて、日比野が俺に手を伸ばしてくる。  その手を払う事が、俺にはできなかった。  触れたとたん、ビクッと跳ねる体。それでも、逃げる事は出来なかった。  そんな俺に、満足そうに笑う日比野。 「お前の体は、もう番である俺の事を受け入れてる。お前自身は認めてないかもしれないが……ゆっくり慣れて行けばいい」  その目は、優しさを含んでいて、意味がわからなかった。  ハクハクと意味もなく口を開いては、何も言えず言葉にならず閉じる。  俺は、どうしたら良いのか分からない。  泣きたくなるほど困惑して、俺は身動きが出来なくなってしまった。  まるで、裁きを待つ罪人のように。  実際は罪など犯してはいないのに、罪悪感で押しつぶされそうになる。  何かに手を伸ばしてすがりたくても、それが出来ない。  魂が、誰を何を求めているか、もう分かっているのに、番になればそいつしか、日比野しかいないのに、俺は認めたくなくて蹲った。  日比野は、そんな俺にため息とも取れる深い息を吐くと、学校に行ってくる、と言って部屋を出て行った。  俺は、暫くしてこの部屋から出るために来ていた服を探して着ると、部屋から出た。  カードキーを確かめて、のろのろと重たい体を引きずって部屋に戻る。  ようやく着いた部屋。いつもなら、5分もかからない距離をその倍はかけて歩いた。  扉にカードキーを差し込む。が、 「えっ?」  ビー、と言ったエラー音がして鍵は閉まったまま。  まさか、と顔がサァっと青くなる。  まさか、まさかと俺は来た道を戻り、恐る恐るカードキーを日比野の部屋のカギ穴へと差し込んだ。  ピッ、と言う音と共にガチャッと扉が開く。  その扉を開け放ち、見覚えのないリビングへ繋がるフローリングを見て、その場に座り込んでしまった。 「あ、あぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」  絶望を感じた。  頭を抱えて、俺は叫ぶ。  顔を隠して、玄関先で蹲る俺。  それでも、もう動く気力もなかった。  その直後、ふわり、と体が浮く。そんなに軽いつもりもない体が簡単に、納まってしまった。 「嫌な予感がして戻ってきてみれば、これかよ」  全く、と言った日比野は俺を抱えたまま部屋の中へと入る。  俺の靴も器用に脱がせて、そのままベッドへと俺の体は戻った。  ふわり、と降ろされて、ラフな格好に着替えさせられると、布団を掛けられて寝かしつけられる。  まるで、子供扱いだとも思うが。 「まだ、発情期明けで本調子じゃないんだろ?無理するなよ」  そう言って頭を撫でて来る日比野。違う、と言いたくても声が出てこない。  涙はボロボロと溢れる癖に。  その涙も、もう何が悲しくて出ているのかもわからない。  己を撫でているその手に縋りつきたくても、理性がそれを邪魔をする。  もう、何も考えたくなくて瞼を閉じた。  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  サイド:日比野  初めて、三橋に会った時から気になっていた。  その時は、オメガかなんてわからなくて、ただ気になると言うだけだった。  三橋の方は、俺が気に入らないのか苦手なのか、俺が話しかけるとまるで猫のように逃げていく。  一匹狼なんて呼ばれているが、俺には猫に見えた。日向ぼっこして木陰で伸びている姿何て見つければ、余計に。  タブレットケースを拾ったのは偶然だった。  甘い、梔子の花のような香り。アルファ用の薬を飲んでいても香る、強い匂い。  早く、保護しなければまずいだろう。そう思って、その香りを頼りに来た俺は、中庭でそのケースを拾った。  その先に居たのは、三橋だった。  三橋は、俺が持ったケースに絶望したような顔をしながら、発情期に意識を飲まれたようだ。  ドクッ、と俺の心臓が跳ねる。  普通のオメガの発情期には、薬を飲んでいれば対処できた。けれど、三橋は特別だった。  フェロモンを感じ、気づいてしまった。  三橋は、俺の運命だと。俺の、俺だけのオメガなのだと。  出会ってしまったのだと。  俺は、俺に手を伸ばしてちょうだい、と言って来る三橋に待てと、自身にも自制を掛けながら、何とか発情期の番専用の部屋へと転がり込んだ。  一度、出してこのフェロモンを納めなければ、此処から出る事も叶わない。  クソッ、と悪態を付きながら俺は三橋を喰らい尽くすように抱いた。 「ぁ……、ぃゃ、ゃぁ……ぅんんっ!」  嫌だ、嫌だと言いながら三橋はいやらしく腰を振る。  がくがくと震える体は、いっそかわいそうなほど。  三橋の中に、放とうとする直前、俺は三橋をひっくり返し、腰を高くするとバックから入れなおす。  何度も何度も、うなじに口づけてそこをこれから噛むのだと教え込む。  いやだ、とやめて、と三橋は暴れようとするも、発情期の体はおもうように動かないのだろう。  俺が無理やり抑え込んで、己の解放と共に思いっきり噛んだ。  その瞬間、カチリ、と何かが填る気がして……。きっと、それが番になったと言う感覚なのだと思った。  ふぅ、と出し切って抜くとぐったり三橋の体が倒れこむ。どうやら、意識を失ったらしい。  その姿を見て、自分の余裕のなさを見せつけられた気がして苦笑する。  俺はその後すぐに学校側に申請を出した。幸い、不良クラスと呼ばれている場所まで落ちているため、書類は職員に直結だ。不良クラスの問題まで生徒会では扱わない。  風紀ですら、一般生徒を守るので精いっぱいだ。  まぁ、この学校もいつまでそう言う制度が続くのか分からないけれど。  あの山猿が来てから、機能しなくなった普通クラスと特進クラス、所謂一般クラスと呼ばれているそこの行事や申請。それを処理していた生徒会がすでにもう動かなくなってしまったのだ。  どうなる事やら。まぁ、今はもう関係のない話だが。  俺が出した書類はすぐに処理され、俺たちは学校側に番と認められた。  そうして、部屋を早急に移動して、三橋を連れて帰る。  とりあえず、俺のベッドへと寝かせる。これから、一週間この甘い香りと共に二人でこもるのかと思ったら、何とも言えない気持ちになった。  発情期中だから覚えているかどうか怪しいけれど。俺が、番になったと、運命の番なのだと三橋に分かってほしい。  そう願うのは俺がアルファだからか。  まったく、アルファの性と言うのも厄介なものだ。  そう思う俺の顔はそれでも、番を得たことでにやけていて、此処に悪友たちがいなくて良かったと思った。  発情期が終わり、三橋が本当の意味で目を覚ました時。  ショックを受けたような顔をした三橋に少し傷つくが、これから慣らしていけばいい、と俺は思ってにっこりと笑った。  何で、と三橋が聞いてきた。だから、一番しっくりする答えを紡ぐ。  ”俺がアルファでお前が運命だから”だと。ろくに話したこともない、けれど出会ってしまった愛しい存在だからに他ならない。  俺が近づけば、三橋は逃げた。手を伸ばせば払われる。それでも、側に行かずにはいられなかった。それが、本能と言うものだろう。  抱きしめてしまいたかったけれど、今はまだその時ではないとぐっとこらえる。  一人になって、冷静になる暇も必要だろうと俺は学校に行ってくると、この部屋を出た。  学校へ向かう途中、ふと思う。  俺は、あの部屋が新しい三橋の部屋だとは伝えていない。  しまった、と思って踵を返す。携帯の番号も、連絡先も何も知らない。  とりあえず部屋に戻ればいるだろうか?と俺は少し速足で来た道を引き返した。  案の定、元の自分の部屋に戻ろうとしていたようで、叫び声が響いた後、玄関先で三橋が蹲っている姿を見つけた。  けれど、それには触れずに俺は三橋を抱えると部屋に戻る。  ベッドに腰を掛けさせて、ラフな格好に着替えさせると布団の中へと入れた。 「まだ、発情期明けで本調子じゃないんだろ?無理するなよ」  俺が頭を撫でると、今度は振り払われることは無かった。  何か言いたげに口を開く三橋だが、結局何も言うことは無く口を閉じてしまった。それが少し残念に感じる。  ただ、無意識だろう涙をぬぐい押し付けるようにすり寄ってくる頬。  それをただただ、撫でる。  おやすみ  そう言った声は、三橋に届いただろうか?  彼は、程なくしてすぅすぅと寝息を立てて眠ってしまった。  眠ってしまえば、涙があふれだすこともなく、ホッと息を吐く。 「ゆっくりでいい。でも、受け入れてくれ」  それが、運命だと俺は三橋の額に願いを込めるようにキスを一つ落とした。  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  サイド:三橋  目が覚めてみると、泣いたせいか頭が重かった。  少し考えてから俺は、とりあえずベッドから抜け出してリビングへと向かう。  そこでは、俺が日比野のベッドで眠っていたからか、机にたくさんの書類を広げてブツブツと呟いていた。  俺は、少し迷った末に日比野と対面に位置する一人掛け用のソファーに腰を掛けて、その上で足を抱える。 「起きたのか、調子は?」  相変わらず、優し気な声で問われた。俺が、答えないでいても日比野は気にすることなく、キッチンの方へと歩いていく。  戻ってきた日比野の手には二つのマグカップ。  俺の前を片付けて置かれたマグカップの中には、カフェオレが入っていた。 「……ごめん」  何を言っていいのか分からなくて、出てきた言葉がそれだった。  日比野は少し驚いた顔をして、そうして笑う。  何の謝罪だよ、と。  色々、でも謝らなければいけないことは多いと思う。  無理やり番にされたことは、許せそうにないけれど。  ありがとう、と素直に言えないから。  俺は、マグカップを手に取るとカフェオレを一口飲んだ。  甘く作られたそれは、普段なら絶対に口にしたくなんてないのに、何故か傷ついた自分を癒してくれるようで、一口、もう一口と全て飲み干してしまった。  飲んでいる合間に、俺はチラッと日比野を盗み見る。  日比野を避けていたために、彼の事を何も知らない。  日比野は、俺を気にしないようにしているのか、それとも本当に忙しいのか、机から目線が上がることは無く、忙しく手元が動く。  時折かかってくる電話にも対応して、凄いな、と思いながら。  俺が、コトっと静かになるべく邪魔をしないようにマグカップを置いた事にも気が付いて日比野の視線がこっちをむく。  俺は、ドクッと心臓の跳ねる音がして顔に血が上ってくることが分かり、バッ、と顔を横にそむけて、その視線から逃げた。  そんな俺を、クスクスと笑う声が日比野から聞こえる。  ちょっとだけ、むかつく。 「おかわりは?」  そう問われた声に、俺はいらねぇ、と返す。  泣いたおかげか、さっきから顔は合せられないけれど、普通に声は出るようになってる。  その事に、少しだけホッとする。  その日から数日、俺は日比野以外とは顔を極力会す事無く過ごしていた。  学校に行くのが怖い。  だから、授業の始まる時間に購買に行って、食料を買いあさって帰ってくる。  それ以外で外出をしていない。  それに痺れを切らしたのは、教師でもましてや親でも無かった。  日比野、だった。  いつも、日比野と顔を合せるのはリビング。あの時と同じように机を挟んで対面している。  俺はやっぱり、いつもの一人掛け用のソファーに腰を掛けて体育座りをしていた。 「……お前はいつまで引きこもってるつもりだ?」  俺が何も答えないでいると、はぁ、と日比野はため息を吐いた。  その事にすら、俺はビクッ、と体を震わせる。  どうしよう、どうしよう、と思考するけれども、考えが纏まるわけなくて、ため息を吐かれた日比野を余計に見れなくなってしまう。 「明日、一緒に学校行くぞ」  俺は、横に首を振ろうとして思いとどまる。  もう一度、ため息を吐かれて失望されたくなかったから。  その様子を見た日比野は、俺の方にゆっくりと近づいてきてひじ掛けに腰を掛けた。  そのまま、手が俺の頭に伸びてきて、くしゃっと撫でる。  まるで、壊れ物でも扱うかのような手つきだ。泣きたくなるほど、優しい。 「……怖い、んだ」  それから、どれくらいたっただろう?俺は、落ち着いた気持ちに一番強く残った感情を口にした。  怖い?と日比野は、俺に無理に視線を合わせる事もなく、髪を撫でる手はそのままに問う。 「世界の、全部が、敵になったみたいで……お前以外が、全部敵に見えて……怖いんだ……」  本当は、一人で出かけたくなんかない。  けれど、それが最後の抵抗だった。一人でも大丈夫なのだと、俺は守られるだけじゃないのだと、誰にでも無い、俺自身に示したかった。オメガだから、だと言って守られていたくもなかった。  でも、それでも沢山の人が集う、”学校”と言う場所に向かう事は出来なかった。  過呼吸のように呼吸がつまり、ドクドクと心臓が跳ねた。  その瞬間、自分は変わってしまったのだと、実感する。  この世界に安全な場所は、日比野の側にしかないのだと思い知らされるようで。  オメガとして、アルファが居なければ生きていけないのだと言われているようで。  抗っても抗っても、それは変わらなくて泣きたくなって。泣けなくて。  それがとてつもなく、嫌でそして怖かった。 「なら、俺の側に居ればいい。お前は、お前のまま俺の側に居ればいい。お前は、俺を利用すればいい」  そう言う、日比野に俺は目を見開く。 「お前は、俺の番だ。それ以前から、お前は世界を敵だと言わんばかりだったろ。だから、変わる必要なんてない。ただ、不安なら側に居ればいい」  それだけの話だ。  そう日比野は、俺のつむじにキスをすると、するりとその場から離れようとした。  咄嗟に、顔は膝に埋めたまま、日比野を引き留める。  自分が何をしたいのか、わからない。それでも、側にいて欲しかった。  この変化を知ってるのは、日比野だけなのだから。  戸惑ったように、日比野が俺を呼んだ。俺はその声に、すぐ答えを告げることは出来なくて、躊躇って躊躇って、躊躇った末にか細い声が出た。 「……そばに」 「あっ?」 「側に、居てくれ……」  口にすれば、少し肩の荷が下りたように軽くなる。  その安心感に泣きそうになりながら、俺は耐えるようにギュッと膝を抱えている手に力を込めた。  それと同時に、日比野の顔が怖くて見れない。  日比野は、少しの沈黙の後、俺をそのまま抱きしめてきた。  ビクッ、と俺の体が跳ねる。 「居てやる。お前が嫌だって言っても、一生な」 「……それは遠慮する」  遠慮すんな、と笑いながら背を叩かれる。まるで、泣いてるのをしってあやしてくるように。  振り払いたくても、それを何故か受け入れてしまっていて、余計に涙が出てきたために振り払う事も出来なかった。  次の日、学校へ日比野に手を引かれて登校した。  途中、逃げそうになったり倒れそうになったりした俺を日比野はその度に抱えていつもの倍の時間を掛けながら教室へと入った。  ショートホームルームはもう終わってしまっていて、もうすぐ一時限目が始まると言う時間。 「おはよー、やっちゃん!たもっちゃんも、久しぶりだねぇ」  にこにこと俺たちに手を振ってきたのは、クラスのムードメーカー的な存在である一部ピンクの髪をした金髪少年、玲音だ。ちなみに、喧嘩はそこそこ強い。というより、玲音と喧嘩はしたくない。勝ってても負けてても何か怖いから。 「よー、玲音。何だ?俺が来なくて寂しかったのか?」 「いやぁ、やっちゃんに会えなくても寂しくもなんともないわぁ。それより、たもっちゃんの体調は大丈夫なの?」 「何気に酷いな、お前。まぁ、大丈夫だ」  俺が答える間もなく、ぽんぽんと交わされていく言葉の数々に少し気後れする。  手を引かれて、教室に入った後はそのまま日比野が席に着くと、俺はその上に引っ張られて体制を崩したところを抱えられた。つまりは、日比野の上に俺が座っている形になる。  俺は、真っ赤になって降りようとしたけど、日比野はびくともしなくて。 「たもっちゃん、顔真っ赤なんだけど……ほんとに大丈夫?」 「やっ!!」  俺の顔を覗き込んで、触れようとしてきた玲音の手が怖くて顔をそむける。  パシッ、と言う音と共に玲音の手は弾かれた。日比野が玲音の手を叩き落としたようだ。 「悪いな、三橋は俺のモノだからな。俺以外に触れられるの、嫌なんだと」 「何それ、惚気?ぶん殴っていい?砂糖吐きたくなるから」  ひゅー、ひゅー、と言う音が喉から戻る。血の気が引いているのが分かった。  日比野が背中をあやすように叩いてきて、だんだんと呼吸が落ち着いてくる。  そんな俺の様子を見てか、玲音はとても残念そうに笑った。 「あーあ、たもっちゃんに嫌われちゃった」  玲音の言葉に首を横に振るが、気づいたかどうか。 「ご愁傷様。それより、お前ら……授業始まってんの知ってっか?」  日比野が教壇を指させば、気の弱そうな先生がオロオロとこちらの様子をうかがっていた。  それに、日比野がにっこりと笑い返すものだからムッとして日比野の頬を引っ張る。  ……俺、何でムッとした?何で、頬引っ張った!?  ハッとして、すぐに手を離したけど日比野はニヤニヤと笑いっぱなしで。 「なんだその顔……」 「いや?珍しいな、と思っただけだ」 「うぜぇ」  ゲラゲラ笑う日比野は、俺の言葉も大して気にした風もなくて、俺は日比野から目を逸らして黒板を見た。  俺の席は別にあるのだが、先ほどのやり取りからか誰にも文句なんか言われなかった。  日比野の腕の中は、俺にとてつもない安堵をくれた。そもそも、そこで眠ってしまえるほどに。気が付いたら、昼だったとか何の冗談かと思った。 「よく寝てたねぇ、たもっちゃん。本当に、大丈夫?」  と、玲音に心配されるほどによく眠っていたらしい。我ながら、少しじゃなく恥ずかしい。  どうして起こしてくれなかった、と日比野を睨むが、日比野は肩を竦めるだけだ。 「お前、起こしても起きなかっただろ」 「そうだねぇ、何度か声かけてたけど、起きなかったねぇ」  玲音が同意して、信憑性が増した。俺はどれだけ寝汚かったのだろう。  恥ずかしくなって、強めに日比野の肩を握ったけど、日比野は笑うだけ。  本当に、むかつく。むかつくけど、嫌いじゃない。俺、本当に番になってから変わってしまった。  日比野に手を繋がれたまま、食堂へ行けば、俺たちに視線が集まる。  なんだって思って、日比野の手を強く握れば、日比野は大丈夫だよ、と頭を撫でてくれた。  一部、生ぬるいような視線が混ざっているのは、なんかムカつく。イラッとする。殴りたい。触らずに殴れる方法があればいいのに、と今は切に思う。  俺たちは、一般生徒とはある意味隔離された場所の席を使う。  ある程度、面倒を避けるために。そこまで行くには、同じ扉から入っていくしかないのだけれど。  そのスペースまで行く間に、こそこそと、日比野の事を噂している。それが、悪口とそして日比野にすがるような噂も出ているために、胸糞悪くなる。  はぁ、と通っている間にため息を吐いていると、日比野がスペースに行く前に立ち止まった。  やつれたようなボロボロな生徒が日比野の、しいては俺の進行を妨げていた。 「……何の用だ、麻賀」  麻賀、と言った日比野。確か、聞いた事は有る。生徒会とかいう奴の副会長をしていた男だ。どうしたらこうもやつれられるんだろう?  生徒会と言えば、輝いて一般生徒たちの上に立っていたのに。そう言えば、日比野も元生徒会だった。 「恥を忍んで、お願いいたします。生徒会に戻ってきてはいただけないでしょうか?」 「なっ!」  声を上げたのは、俺だった。  日比野が、生徒会に戻る、と言う事は俺が一人にされてしまうと言う事だ。  俺は、日比野が居なければ……考えただけで身震いしてしまった。  本当に、毒されている、日比野と言う存在に。でも、それが嫌ではない。むしろ、日比野の居ない世界など今は考えられない程に。 「落ち着け、三橋……麻賀、俺は何を言われた所で生徒会にも一般クラスにも戻るつもりはない」 「何故ですか!?この学校を、私たちを見捨てるおつもりですか!?」 「最初に見捨てたのはどこの誰だ?俺は、お前たちに何かをしてやる義理はない。自分たちがしでかしたあと始末だ。自分たちで何とかできるだろ」  行くぞ、と言ってその脇を通り過ぎて、俺たちの専用席へと着いた。  俺は机の端へ行き、隣に日比野が座る。その事で、ほっと息を吐いた。 「離れないって言ったろ?」  優しく笑う、日比野に俺は言いようのない不安を覚えながらも、大まかには安堵した。  目を細めて、斜め前で笑っている玲音がとても怖い。今は喧嘩をする気分じゃないから、余計に。  でも、俺を害そうとするものじゃなくて……何というか、面白がっていると言うか、その中でも怒ってる割合が高いと言うか。 「……玲音、何をそんなに」 「あぁ、うーん、たもっちゃんは気にしなくてもいいよー」 「そうだな。あまり気にするな。玲音は敵じゃない」  そう言ってしまえる日比野も、どことなく怒っている気がする。  何だと言うのだろう?自分が知らない何かがあるのか。  小さくため息を吐くと、頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。何も俺に言わない、言う気がない、と言う事は俺が知らなくても良い事、と玲音も日比野も思っているのだろう。  俺だって、知る権利位は有ると思うのに。けれど、日比野に今守られている手前、無理に聞きたくても聞けない。  俺は……このままだと、日比野のお荷物でしかない。離れたくないし、他の人は敵じゃないと分かってはいても怖い。  オメガ、として産まれてしまったから。どうしても、理不尽にさらされる。本能と気持ちの折り合いが、やっぱりつかない……。  下唇を噛んで俯けば、無理やり顔を上げさせられて日比野にキスをされた。  驚いて目を見開く。すぐに離れては行ったけれど、周りの視線がとても痛い。  ひゅー、なんて口笛すら聞こえてくる。本当に、本当に恥ずかしい。 「……ひび、のっ!」 「三橋が、可愛いことするからだろ?……大丈夫、悪いようにはならない。俺がお前から離れたりすることは無い」 「でも……」 「やっぱり不安?」  日比野のその問いに、俺は迷いながらも頷く。  きっと、この不安を日比野が理解することは無いのだと思う。俺が、オメガだからこその不安。  それでも、俺の話を聞いて、俺を見て、俺に触れて、俺を理解しようとしてくれている日比野に、安堵を覚える。  不安と安堵、正反対の気持ちを両方、日比野から貰っている。やはり、オメガと言う性はどうしようもないな、と苦笑いだ。  番こそが、世界の中心となりえてしまう。その腕の中こそが、一番のよりどころなのだと。そうじゃないハズなのに、そうとしか思えない。 「お前が……、お前は無事、なのか?」 「あー、俺か。俺は……まぁ、向こうが何にもしてこなければ、無事だろうな」  あくまで、相手の出方次第だと日比野は言う。日比野に、あまり危ない事はしてほしくはない。  向こう……生徒会のメンバーの事だろうか?そう言えば、噂になっていた野猿はどうなったのだろう? 「……のざ……えっと、転入生?は?」 「あぁ、そう言えばそんなの居たっけ?」  あぁ、と言う風に玲音が言う。本当に興味が無いのだと言うように。  日比野さえ困ったように笑った。 「そう言えば、お前は休んでいて知らなかったな。この学校の理事が変わって、あの野猿は退学になった」 「そう、だったのか……日比野はじゃあ……」 「言っただろ?”離れない”って。本当は、一般クラスへと戻るように、打診は来てたんだ。けど、断った。お前が居るのに、戻る理由なんてない。学校側も、番を引き離すのは得策ではないとの判断だしな」  俺が居るから?俺が、日比野の足かせになって、日比野はここにとどまってる?俺は……。 「……俺の、せいか?」 「まさか。俺のためだ。お前を一人に何てしたくない。俺の側に置いておきたい。見える範囲にいて欲しい。そもそも、お前の同室が他の奴なんて俺が許せるわけないだろ。全部俺のためだ。それに、今更生徒会に戻って一般生徒たちの雑用を押し付けられるなんて、ごめん被る。今はただでさえ、会社の方も忙しいのに。生徒会なんかに復活すれば、ますますお前との時間が取れなくなる」  ムスッとした様子の日比野は、心からの本音です、と言わんばかりで、思わず笑ってしまった。  それと同時に、俺は安堵を覚える。日比野の意思で、俺から離れる事は無いのだと。  日比野は、俺を本当に番だからかもしれないけれど、大切にしてくれる。俺を、俺の意思を尊重してくれる。  日比野が、俺に望むことは何だろう?貰ってばかりで、俺は日比野に何を返してやれるんだろう? 「なぁ、玲音」 「……なぁに、やっちゃん」 「俺の番がこんなにかわいい」  俺の困っている様子を見て、突然何を言い出すのかと思えば、真剣な顔して玲音にそんな事を言うから耳を疑った。  玲音もジト目になって日比野を見ている。 「げろぉ……たもっちゃん、やっちゃんが嫌になったらいつでも言ってね?殴り倒しに行くから」 「えっ……玲音……まぁ、うん」 「否定しような、それ。何で微妙に嬉しそうなんだ」  このっ、と頭を小突かれた。何だか、このやり取りがいい。  照れくさい、けど……それでも側に居るって実感できるから。  昼飯を食べ終わり、教室へと戻ろうとしている最中、再び日比野の前は塞がれた。  先ほどの麻賀、と言う人たちではなく、小さい人たちが数人。皆、ヤケに綺麗にしている。 「泰さまっ」  そう言って、日比野に飛びついて来たのは誰なのか。日比野はそれをすぐに振り払っていたけど、俺の中に不快感は生まれた。  振り払われた生徒は、どうしてですか!?と泣きながら日比野を見ている。 「……お前らが、俺にしたことを俺は忘れてない。いい加減にしろ」  日比野は本当に軽蔑した眼差しで、目の前の生徒たちを見ている。  俺の手は、強く握られる。俺は、きっと言葉で何かを返すことは出来ない。だから、ぎゅっと握り返してみた。おれが、居るんだと味方がいるんだと、思って欲しいから。 「ですが、僕は泰さまの」 「婚約者、とでも?生憎だが、それは父を通してお断りしたはずだが?」  婚約者、と言う単語に俺の方が震える。日比野の目は俺を捉えない。  その手の温もりや強さだけが、今のオレを肯定してくれている。 「でもっ」 「でも、だって、もいらない。俺はお前らがしたことを許すつもりはないし、そもそも俺には今、番が居る。お前らが何を言おうと変わらないし、そもそも口出しする権利も与えた覚えはない」  冴え冴えとした日比野の声は、とても冷たくて、感情が乗っていない。いつも、俺をからかったりするような、安心させてくれるような、暖かい声ではない。  俺に向けられないからこそ、今は平静を保っていられる。 「番ッて、三橋家の方でしょう!?僕の方が、家柄的にもっ」 「俺と三橋は魂の番だ。家柄なんぞどうでもいい。もう一度、馬鹿なお前らに分かりやすく言ってやる。お前らに俺の事は関係ないし、口出しもさせない。お前らの言葉で、俺の意思は変わらない。いい加減、そこをどけ」  静かに放たれたその言葉に、身震いを覚える。  日比野の言葉に、一瞬息を飲んだ生徒たちはそれでもなお、そこを退けようとはしない。 「……っ、ですが日比野様っ」 「生徒会はどうなさるおつもりですか!?」 「今にも、他のメンバーの方は倒れそうな位仕事をなさっていて……」 「俺が知った事か。そもそも、アイツら四人が倒れそうになりながら仕事をしている量を、俺が一人でこなしていたんだぞ?それを、どこの誰ともわからない噂を信じ、またお前らも自分たちのプライドのために、有りもしない噂を流し、そうして俺をリコールしたくせに、その事を全て無くして俺にまた生徒会へ戻れと?俺は、父からの信用も、後継ぎとしての実績にも傷をつけられたのに?随分と虫のいい話だな?」  はっ、と鼻で笑う日比野に、ですが、でも、だって、と言葉が続く。  縋られれば振り払い、言葉を無視しているとようやく騒ぎを聞きつけたのか、教師がやってきて苦い顔をしながら目の前の生徒を引き取っていった。  普通はすぐに風紀がやってくるところなのに、風紀も今や回っていない状態なのかもしれない。  まぁ、どうしようとどうなろうと俺の知ったこっちゃないけれど。  チッと舌打ちを一つして、俺をみた日比野はそのまま俺を抱きしめてうなだれた。  突然の事に俺が戸惑ってしまう。 「ひび、の?」 「ごめん……しばらく、こうさせてくれ」  と言われても、俺が日比野を振り払う事は不可能で、せめて教室でやってくれればよかったのに、と往来の目を日比野の肩口へ顔を埋める事で無くす。  日比野に頼まれて、俺が断れるはずもない。  暫くしてから、ゆっくりと日比野が俺から離れる。日比野は一瞬、情けないような顔をしていたが、元に戻った。 「……もう、大丈夫、なのか?」 「っ、あぁ。ありがと、三橋」  そう、日比野は俺の頬にキスを一つくれた。日比野は本当にこの国の人間なのか?と疑問に思うくらい自然に。  教室へ戻り、再び日比野の腕の中へ捕らわれた。でも、それが一番安心できる場所なんだとやっぱりおもう。  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇  サイド:日比野  腕の中で、リラックスしている三橋をみて思う。  運命の番と言う存在を。  触れ合うだけで満たされる。側に居るだけで、力が湧いてくる。  三橋のためなら、何でもできる。そのくらい、俺は溺れてしまっている。  俺がアルファゆえに分かってやれない、三橋の不安も、全部、全部、俺が無くしていけばいいだけの話。  不安になっても、俺が変わらず愛していればいい話だ。  俺の、俺だけのオメガ。心を惹かれ、魅入られ、手放せない。ベータには分かりようもない感覚。アルファしか、感じえない幸福。  自分のためだけの存在が、そこにいて、自分を受け入れてくれる。すべて、俺に合わせて生まれた存在。  好きにならないわけがない、愛せないわけがない。  番だから、運命だから、それでもいいじゃないかと俺は思う。  だって、そいつが好きなんだから。  出会ってしまえば、手に入れずにはいられない、手に入れてしまえば、愛さずにはいられない、愛してしまえば、番がいなければ生きていけない。  アルファにとって、運命の番とはそう言うものだ。  だからこそ、番を守り大切にし、慈しむ。アルファと言うのは、番のために自らの命すら差し出す。  それが本能であり、本望だ。  だからこそ、番の居るアルファというのはどこまでも強く在れるのだから。  END

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