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前編
「俺さ、ゲイ寄りのバイなんだよね」
親友の樹がさらりと発したその言葉に、どれほどの想いと勇気が詰まっていたのか、俺は考えもしなかった。
ただ「へぇ」って答えた。手に持っていた雑誌に視線を落としたまま、樹の顔も見ずに。だから少し間を置いて「…うん」と答えた樹がどんな顔をしていたのか、知らない。
俺には関係のないことだと、そう、思っていたから。
「どうしたんだよ葉桐、浮かない顔して」
職場の休憩室にてスマホ片手に佇んでいると、同僚の野村が面白がった顔をして近付いて来た。
「もしかして、彼女にでも振られた?」
気安く肩に腕を回してくる野村に、諦めの溜め息を吐いた。
「…お察しの通り」
「マジでか」
「マジだよ」
俺と似たりよったりで平凡な造りの野村の顔は、みるみるうちに引きつっていった。
「悪い…、今夜飲みにでも行くか?」
「いや、大丈夫。先約あるから」
「そっか、まぁ…あんまり落ち込むなよ。女なんて星の数ほどいるんだからさ」
どこかで聞いたような慰めの言葉に苦笑いした俺に、同じような顔をした野村が肩をぽんと叩いて去っていく。傷心中の奴を相手にすることほど面倒なことは無いから、さっさと離れたかったのだろう。
だけどそんな心配は無用だ。俺には、どんな時でも直ぐに飛んできてくれる、最強の親友がいるのだから。
「で、なんて言って振られた?」
嫌味ったらしく口角を上げて問う姿は、マッシュヘアが似合う、年齢不詳の美女。だけど実際は、俺の股間についているモノと同じ…かもう少し立派なイチモツを持っている。百七十六ある俺より数センチは高い、高身長。歴とした男だ。
「面白がるなよなぁ、どうせ分かってるくせに」
「裕太くんの口から聞きたいんだよ」
「悪趣味な奴」
「で? なんて?」
ニコニコと小首をかしげる樹に、俺はムッと唇を突き出した。
「俺といても退屈なんだってさ。将来が見えないって」
「それで?」
「…他に好きな奴ができたんだってさ」
「あはは!」
ついに樹は吹き出した。
「凄いよね、裕太くん。毎回テンプレみたいに同じセリフで振られてんだもん」
「毎回って、まだに…三回目くらいっ」
「五回目でしょ?」
「煩いなぁ!」
中途半端に減っていたグラスに、樹が溢れる程ビールを足してくれたのを一気に煽った。
高校時代から社会人になった今までの間、少なからず女性とお付き合いできる幸運に恵まれてきた。
決して美形なんかではない、いや、むしろ驚く程平凡な容姿をしている俺だけど、身長がそこそこあるのはプラス要素になるらしく、お試し感覚でも付き合ってくれる女性は現れた。ただ、実際はその一回一回が非常に短い期間なだけに、体の関係を持つに至ったのは一回だけ。
そんな俺の性事情まで、樹にはダダ漏れだ。樹があまり自分の話をしない代わりに、俺の生活はほとんど樹に把握されている。
「裕太くん、つまんなくなんか無いのにね?」
「そりゃ、樹にとって俺はネタの宝庫だからな」
「卑屈になんないでよぉ。大丈夫だって、裕太くんのこと分かってくれる人が絶対に現れるからさ」
「同僚にも言われたな、そんなようなこと」
深い溜め息を吐いた俺に、樹がスッキリとした切れ長の瞳を柔らかく細めた。
「あれ、樹…また髪切った?」
「今日、会う前にね」
「だよな、一昨日と何か違う」
週に三回は会っている、俺と樹。恋人と会う頻度よりも多いんだから笑える。
「俺は女顔だからね、ちょっとでも伸びると拍車がかかるでしょ」
「別に気にすることないのに。すげぇ武器だろ、その顔。男にだって余裕で通用するし」
「まぁ…、相手に苦労はしないけどね」
「あぁあ、いいよなー! お前になりたいよ俺は!」
大きな声で叫んで、テーブルに突っ伏した俺に樹が苦笑する。個室だからって、今のは外にも響いたかもしれない。
「別に悲観することないでしょ。まだ若いんだし」
「若いって、もうすぐ三十だぞ。それで将来が見えないとか言われてさ…」
「大丈夫だって」
人ごとだと思って、簡単に言うよなこいつは。またムッと唇を突き出して樹を睨んだ。
そりゃ、樹は何も悩みが無いだろうさ。黙ってたって女は寄ってくるし、この容姿だから男だって寄ってくるだろう。相手には苦労しないと言えるくらいだ、実際困っていないのだろう。
顔も良けりゃスタイルも抜群で、オマケに頭までべらぼうに良いんだから、いま大波に乗ってる在宅勤務の仕事で万が一蹴っつまずいても、他に仕事は幾らでもある。
付き合ってる相手に『将来が見えない』なんて言われることも、きっとない。
「お見合いでもしようかな…」
突っ伏したままぼそりと呟いたら、珍しく樹の眉が歪んだ。
「……結婚、するの?」
「そりゃ、いつかはするだろ」
お前も…と言いかけて、やめた。樹の相手が、女とは限らない。
「そんな、好きでもない相手と無理に結婚しなくても…ほら、結婚が全てじゃないしさ」
「お前には俺の気持ちなんかわかんねーよ!」
バンッ、とテーブルを叩いた。
「そりゃあ、お前は相手なんていくらでも思い通りになるだろうから、焦ったりしねぇんだろうけど! 俺は違うの!」
「裕太くん、落ち着いて…俺だって思い通りになったりしないから」
「嘘つけ! お前さっき、相手には困らないって言った!」
「言ったけど、そういうことじゃなくて」
「何も持ってない俺が、家庭持つくらいしなきゃ人間として終わりだろ!? 俺はなんでも持ってるお前と違うんだから!」
「裕太くん!」
「もういい、俺帰る!」
気分悪くて立ち上がろうとしたら、樹が焦ったように俺の腕を引っ張った。
「待って、待って裕太くん落ち着いて。もう少し一緒に飲もうよ、ね?」
「ヤダ、離せよ」
「いいから座って、ほら。その話はもうやめて、楽しい話して飲もうよ」
男女問わず魅了する綺麗な顔が、俺の為だけに困った色に染まるのを見て、ちょっと気分が良くなった。
「まぁ…、そんなに言うなら…」
「ここだと落ち着かないし、俺の家で飲もうか」
「ああ、いいなそれ。樹の家綺麗だから好き」
やっとにっこり笑った樹に、吊られて俺までへへっと笑った。立ち上がると足がふらついたけど、予測していたかのように樹が支えてくれたから、転ぶことは免れた。この時点で、多分俺はカナリ酔っ払っていたんだろう。
理由はどうあれ、この時さっさと切り上げておけば…と、後から後悔することになる。
夢の中で、意識がふわふわ揺れていた。
しかし時折訪れる激しい波に、ふわふわした感覚を攫われる。まるで海の中に押さえつけられたように体は自由がきかない。だけどその中に訪れる、悪寒にも似たぞわぞわした感覚に恐怖を覚えて、助けを求め手を伸ばした。
熱い何かが、それを絡め取る。その熱に漸く安心して…俺は…、
「んっ…う…ふ?」
ふと…重い瞼を開くと世界が揺れていた。揺れる視界に、さらりと流れる黒髪が映る。その綺麗な髪の持ち主は、直ぐに分かった。
「ふっ、は…いつ…きっ、うぐっ!?」
バツンッ! と硬い何かがぶつかって、また視界が大きく揺れた。
「ひっ、うっ、う!? うっ、あっ、あ…?」
夢の中の息苦しさなど比ではない。どうしてだか手は動かないままだし、躰は痛みとともに凄い衝撃で上下に揺れ続けている。
「い…いつ…?」
漸くハッキリしてきた視界に映った美しい人は、矢張り樹だった。いつも涼しい顔をして、飄々としている男には珍しく、額にびっしりと汗をかいている。
「裕太くん…」
かけられた声は、酷く掠れていた。その声が妙に色っぽいなと、考えている最中にまた強い衝撃が与えられ世界がブレる。
「あっ!!」
思わず仰け反ったその視界に、戒められた自分の腕が映った。
「なっ、なに」
「裕太くん」
「ンう!? うっ、あっ! あっあっ!」
落とした視線の先には、申し訳程度に割れた腹筋が無理やりに折り曲げられ、ダラダラとだらしなく粘液を垂れ流しているのは、自分の男の象徴だった。その少し上を見れば、それと同じものが変なところを忙しなく出入りしている。とんでもなく、卑猥な音を立てて…。
「あっ、なっ! 樹っ! なんっ! やめっ!」
今自分が何をされているのか、漸く理解した。が、もう遅い。
「あっあっあっ、ひっ、あっ! ひやっ! あぁああっ!」
初めて開かされたはずの躰は、無遠慮に出入りする男を喜んで受け入れていた。垂れ流す液体も、既に色を失くしつつある。
「うぁっ、あうっ! ンぁあっ、あっあっ」
パンッ、パンッ、と断続的に続く破裂音にもにた衝撃は、常に突き抜けるような快楽を連れてくる。お陰で頭は正常に回らず、樹を罵りたいと開く度に口からは喘ぎとヨダレを零し、俺の中で樹が三回震えるその間。ずっと、バカみたいに快楽のオモチャになっていた。
腕の戒めを解かれても、直ぐに起き上がることができなかった。どろどろとした体液に塗れた躰は全身が軋み、痛んで、どうしたらいいのか分からない。樹は俺に背を向けて、ベッドの端に腰を下ろしていた。
「お前…何したか、わかってんのかよ」
どうやら目覚める大分前から啼かされていたらしい俺の喉は、壊れたラジオみたいな音を出した。思わずゲホっと咽て、無意識に口を押さえた手をみて愕然とする。手首が、縛られ痣になっていた。
「こんな…、酷いことをよくも…」
店を出たときにはもう、足元が覚束無いほど酔っていた。それでも、拗れかけた関係を修復しようと、樹の家で飲み直すことにしたのは覚えている。
コンビニで買ったビールと安い日本酒を飲みながら、会社の同僚の馬鹿話で盛り上がっていたはずだ。その後に樹が、いいワインがあると言い出して、それはもう飲めないと…断って…。そこから記憶が途切れている。
だけど樹の家で酔いつぶれることなど日常茶飯事だった。だから、まさかその間にあんなことをされるだなんて考えてもいなかったのだ。
高校二年のクラス替えで出逢ってから、ずっと、唯一無二の親友だと思って付き合ってきた相手に、とんでもない無体を働かれた。信頼を、こんな形で裏切られるなんて…。
背中を向けたまま、無言の樹に腹が立った。酔った勢いで過ちを犯したと、あの困った顔で必死に謝ってくれたらまだ、許せるかもしれないのに。
自分の汚れた姿をどうにかしたくて、痛む躰に鞭打ってベッドの上を滑る。
「ぅわ…」
尻の中から垂れてきた何かに青ざめると、漸く横目で俺をみた樹が口を開いた。
「それ、精液じゃないから安心して」
「は…」
「ジェルだから腹を壊したりしない。だから、立つのはもう少し待ったほうがいいよ」
そういうことじゃないだろう! 大体、第一声がそれってどういうことなんだよ!? カッと頭に血が上った俺は、忠告を無視してベッドから立ち上がった。けど…、
「あぅ!」
がくりと膝から床に崩れ落ちた。その衝撃で、更に尻から何かが流れ出して泣きたくなった。
「だから言ったのに…」
引き上げようと伸ばされた樹の手を、これでもかと力いっぱいに跳ね除けた。
「なんだよ! 触んなよ! 何考えてんだよ!」
「裕太くん」
「親友だと思ってたのに…こんなっ、こんなこと!」
「ごめんね、酷いことして。でも俺は、後悔してない」
「なっ…」
樹は俺が見たことのない、冷たい顔をしていた。
「言ったよね、俺はゲイだって。女の子も好きだけど、男の方が好みなんだ。そう言ったのに、裕太くんは俺の前でずっと無防備だった」
「それは、お前が!」
「関係無いと思ってたんだよね。俺がすっごい勇気出したカムアウトも、『へぇ』の一言で終わっちゃったし」
責めるように笑う樹に、俺は苦虫を噛み潰した。
あれは、俺の考える精一杯の優しさだったんだ。親友としてできる、精一杯の…。
「あの時、俺の顔を見もしなかったね」
「だって、それは…」
「正直に言ったらいいのに、関わりたくなかったって。でもさ、こんな頻繁に呼び出されてすぐ飛んでくるゲイに、下心が無いわけないでしょ」
「そんなの分かるわけねぇだろ!? だって俺はお前とは違う! ホモじゃない!」
樹の顔が醜い笑みを浮かべた。
「でも裕太くんの躰、抱くより抱かれる為の躰、してたよ」
「テメェ!!」
頭に血が上った躰は、思いのほか俊敏に動いた。バキ、と鈍い音を立てて俺の握りこぶしが樹の綺麗な顔を打ち付けた。わざと避けなかった樹の躰がベッドに沈む。それがまたムカついて、樹の躰に乗り上げてもう一回同じ場所を殴りつけてベッドから降りる。
床に放り出されていた自分の下着や服を急いで身に着け、カバンを引っ掴むと笑う膝を叱咤し寝室を飛び出した。
玄関で靴を履いている時、ふと振り向くとリビングの扉に樹がもたれ掛かって立っていた。誰もが振り向く美麗な顔は、左の頬が痛々しく腫れ上がっている。
いたたまれなくなって目を逸らし、玄関のドアを開いて外に出た。
「さようなら」
扉が閉じる瞬感、樹が小さく呟いた。
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