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第12話

 田淵が本格的に目を覚ましたのは、酒酔いから2日が経った朝方である。寝ぼけ眼が抜けきれない早朝から、「あの日」を思わせる嫌な臭いが鼻をかすめた。  言わずもがな、黒田と出会った記念すべき日でもあるが、同時に恐怖を植え付けられた日でもある「あの日」。  酔って黒田の世話になったことだけを覚えている田淵にとって、心許ない情報量だ。  「そういえば……」と独りごちる。  酔った直後から2日が経過しているが、その間のことはほぼ全て曖昧だ。そして、この鼻をつんとさせる臭い。窓から差し込む朝焼け光が弱々しいにも関わらず、手に脂汗がじんわりと出てきている。  3大欲求でも「性欲」だけは黒田の目の届かない所で済ませてきたのに、今回ばかりは確証がないのだ。夢精でもしたか、それとも、黒田がいる状態で自室でこっそりやったか。  スウェットと下着を音を立てないように同時にめくってみた。  一息ついて、前者の可能性は潰えたことに一先ずの安堵を覚える。    「ヒロキさん、起きてたの?」という声に肩を揺らす。無論、今の田淵は、黒田のいる時間に致してしまったことに起因している。   「う、うん。ごめん起こしちゃったかな」 「そんなことないよ。日曜日だし、昨日はヒロキさん爆睡だったから、俺も早く寝ちゃって目が覚めただけ」  ドア越しで中々入って来ない黒田。それが余計に田淵を不安にさせる。 「——何か考え事?」 「え?」 「日曜だよ、今日」  尚も部屋に入ってくる様子もない。だが、まともに黒田を見る自信もない。 「お酒で酔っちゃってから2日だよ、気にならないの?」 「……あ!!」 「他に何か考えてたんでしょ」  ようやく「入るよ」と黒田はいった。  入室の黒田は爽やかさに影を潜め、黒い笑みさえ浮かべている。   「気づいてあげられずにゴメンね」 「……」  にじり寄ってくる黒田は田淵のベッドに座る。  「黒田君は気づいたらダメって言うか、なんて言うか……」言葉を濁すと、黒田はさらに距離を詰めてくる。  なぜか、田淵の中の本能が警鐘を鳴らしている。全てを吐露してしまうのは危険だと。  努めてゆっくり、ゆっくり、心を落ち着かせながら弁明する。 「僕、記憶が曖昧で日曜になってたことよりも……酔ってたから、粗相、的なこと、してないかなってことの方が気になって」 「お漏らし? 大丈夫だよ、してなかった」 「本当? 良かったぁー……」  明らかに深く息をついて、「黒田君、やっぱり僕の話を最後まで聞いてくれる」と漏らした。夢精でもお漏らしでもないらしい。だが、なぜか、警鐘は鳴り止んではくれないが、誤作動だと思うことにした。  それを知ってか知らずか、黒田は先刻の黒さをなかったかのように屈託なく笑っていった。「そりゃ、大好きだからね!!」。 「これからご飯なのに、お漏らしなんて下品だったね」  気遣いまでする余裕の彼に、何やら田淵は上限突破したらしい。 「あ、あの!!」  立ち上がる黒田の背に投げかける。脳内では、原因不明の警鐘がさらに誤作動を起こしていて、うるさいくらいに田淵の言葉を遮らんとしている。  だが、田淵は、この喧騒とした脳内だからこそ、「今なら行ける」と自身にGOサインを出した。自分の鼓動と向き合わずに済むならそれに越したことはないのだ。 「す、——す、すす、好き……」  28歳の引きこもりが勇者並みの勇気を振り絞って、何とも単調で、蚊の鳴くような細い声での告白だった。  田淵は達成感に包まれていた。  

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