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第47話
傍らのちびにここに来いと足の間を示せば、素直に移動して背中を預けてくる。
抱き枕にするには少し質量が足りないが、小ぶりの頭は顎を乗せるのにちょうどいい位置だ。
征一郎を一心に慕うちびの気持ちは、くすぐったくも征一郎の殺伐とした日常での疲れを癒してくれるものである。
「ほんとにお前といると救われるな」
うっかり漏れた溜息が重かったせいか、ちびは心配そうに振り返った。
「征一郎?疲れてるの?」
「そうだな…毎月のこととはいえ俺は腹の探り合いは得意じゃねえから、幹部の集まりは気疲れするな。月華は誰かれ構わず喧嘩売るし親父は引っ掻き回すだけ引っ掻き回して放置するし…」
言っても詮無いとは思いつつも、思わず愚痴がこぼれた。
芳秀は、とにかく幹部に嫌われている。
黒神会をまとめたのは、今は亡き征一郎の母の鷹乃だった。
母の死で分裂するかと思われた黒神会だったが、芳秀に台頭できるだけの者は居らず、幹部達も国家権力に太いパイプを持つ芳秀の力なくしては法改正の進みつつあった時世において自分たちが立ち行かないことをよく知っていたため、虎視眈々とその座を狙いながらも現状維持を続け、もう二十年近くの時が流れている。
現在黒神会を繋いでいるものは、中央に集まりすぎた権力への欲望と芳秀への恐怖に他ならない。
征一郎は、そんな男の一人息子だ。
黒神会のトップに立ちたいなどという野心は欠片もないが、傘下で組長をしているせいで次期会長候補として目されている。
『あ~隠居してえな~。二代目はだ・れ・に・し・よ・う・か……………。せ、…………なんちゃって~』
芳秀は黒神会などどうなってもいいと思っているだろうが、三度の飯よりも混沌が好きなド外道であり、征一郎が困り幹部達がざわつくのが楽しいので『息子を後継者に』というのをわざと匂わせるのだ。
お陰で、幹部の集まりでは針の筵である。
月華は月華で、自分を見て嫌な顔をした相手への報復を絶対に忘れない。
『景気はどうですか?今月は僕よりシノギ多そう?まあ、いくら何でも男に媚び売るしか能がないらしいオカマの僕より稼げないなんてことはないですよねえ、男らしい本職の方が』
この二人のまずいところは、個人の能力が高すぎて誰一人として微かな一矢も報いられないということだろう。
月華は襲名披露の折、『会長に尻を振っておもちゃの組を手に入れたオカマが』という聞えよがしな陰口に対して、おもむろに床の間の日本刀を手に取り相手の腕を切り落としたことで『何をするかわからないイカれた奴』という恐怖を全幹部に植え付けている。
結果、幹部たちの鬱憤はたまるばかりで、その矛先は多少の陰口や嫌がらせにも(面倒なので)報復をしない征一郎に向けられるのだ。
やり返さない征一郎は、腰抜けだとか後継者の器じゃないとかいろいろ言われているようだが、反論すれば揚げ足を取られ、殴り返せば抗争になるので、うるせえなと腹立たしく思うことがないわけではないが、基本的には黙っている。
また、水面下では征一郎の方が御しやすいので征一郎を次期会長にと推す一派もあり、下手に敵対する組長にやり返せば、擁立され不要な勢力争いが起こる可能性もある。
そんな状況で常に痛くもない腹を探られ続け、何を言われてもそうだとも違うとも答えられずに濁し続けるのはただひたすらに疲れるのだ。
仲間たちとドンパチやっている方が何百倍も気楽である。
自分はよほど疲れていたのだろうか。
思わずちびに内心を話しすぎてしまったとはっとした。
謝って、忘れてくれと言おうとしたが。
「征一郎も他の組長さんもかわいそう……」
ちびには正しく諸悪の根源は芳秀なのだと理解されていて、征一郎は謝るのをやめた。
ちびは幼く見えるが、人のことをよく見ている。
客観的な物事の捉え方をできるというのは、これまで一緒にいてよくわかっていた。
だから、この少年のそばは居心地がいいのだ。
まっすぐに物を見て、自分の考えを口にするというのは、存外難しいことだと征一郎はよく知っている。
「周りがそんな奴らばかりだから、お前の好意はシンプルで分かりやすくて安心する」
聞いてくれてありがとな、と細い体を抱き寄せながら、偽りない気持ちを打ち明けた。
芳秀と月華と幹部どもには、ちびの爪の垢を煎じて飲ませたいと、半ば本気で考える征一郎であった。
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