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第66話
『ブレーカーを落としたら……部屋を出て左……突き当りの右側の扉から階段で七階に行ける……』
ぼそぼそと抑揚のないナビを頼りに、征一郎は敵陣を一直線に突き進む。
詰めている末端の構成員など相手にならない。
戦車のようにすべてをなぎ倒しながら、征一郎の頭を占めているのはちびの安否だけだった。
小一時間ほど前。
様子を見に行った葛西からちびがいないという報せを受けて、動揺した征一郎は手の中のスマホを取り落としそうになった。
確認させた防犯カメラには、確かに慌てた様子でエントランスを抜けて行くちびが映っており、幸いなことにというべきか、わずか三十分ほど前の出来事だった。
ちびがどこにいるのか、周辺に聞き込みなどをしている猶予はない。
何故誰にも何も言わず出て言ったのか……以前『これ以上征一郎に迷惑をかけたくない』という理由で出て行こうとしていたことがあったが、また一人で思い詰めてしまったのか、それとも、実は征一郎のそばにいるのが嫌だったから……。
悲しい結論に至ってしまいそうになり、征一郎は己の思考を止めた。
出て行った理由はちびに聞いてみないとわからない。
とにかく征一郎には敵も多く、またちびには男を惹き寄せるという体質があるので、誘拐された可能性は濃厚だ。
念の為、葛西には建物の周囲をよく探すように指示し、征一郎は別の場所に電話をかけ始める。
職場か自宅にいてくれと願いながら、しばらくコールすると、繋がった。
『この電話番号は現在使用されておりません……』
のっけからそれか。
征一郎はがくりと項垂れ、ため息を殺した。
電話の相手は月華の身内の八重崎 木凪 という男だ。
成人男性……なのだが、ちびと大差ないほどの背丈で、歩いているだけで折れそうなほど細い肢体に、CGで作った美少女のような可憐な顔が乗っている姿はいつ見ても非現実的な存在感である。
ちびを知った今、月華の作ったホムンクルスだと言われれば疑いもせず信じるだろう。
IQが並外れて高く、投資で莫大な資金を稼ぐかたわら、情報屋も営んでいる。
ハッキングの腕と独自の情報網。彼が望めば手に入らない情報はないと言われているが、少し……いやだいぶ変わっていて、征一郎にはその発言は半分以上理解できない。
しかも征一郎は何故か嫌われているらしく、話しかけるとやけに棘のある対応をされるのだ。
心当たりはなく毎度不思議に思うが、征一郎の方には嫌う理由はないので、特に気にせず話をする。
「お前にちょっと、頼みたいことがある。情報料は月華につけといてくれ」
『使用されていない回線に向かって話しかけてる……とうとう脳がすべて筋肉になった……?』
「悪いが、一刻を争うんだ。うちのちびがいなくなっちまったんで、何があったのか、どこにいるのか調べてほしい」
普段はやれやれと思いながらも乗ってやるが、今は言葉遊びに付き合っている余裕はない。
八重崎は、一瞬考えるように黙り込んだ。
『……『ちび』のことが……大切……?』
「大切に決まってんだろ」
何をわかりきったことを聞いているのか。
しばらく沈黙があり、じりじりしながら相手の心が動くのを待つ。
『………いなくなったのはいつ?』
どうやら、真剣なことが伝わったようだ。
八重崎は変人で、征一郎のことは嫌いでも、困っている人間を無視することはない。
「今、マンションの防犯カメラのデータを送る」
『少し……このまま待って』
多少は時間がかかるだろうと思って煙草を取り出したが、一本吸い終わる前に八重崎は口を開いた。
『ざっと調べたけど『ちび』の画像は見つからない。けど、彼がエントランスを出た約十分後に、樋口組の構成員の家族が所有する車両が一台マンションの近くを通っている。その車に乗っていた可能性が高い。違う可能性もあるけど、その車がどこに向かっているか、教える?』
「他にあてもねえから、とりあえずそこに向かう。引き続き他の可能性を探りながら、ナビしてくれ」
そうして事務所を飛び出し、単身樋口組所有のこのビルへと乗り込んだ。
ここに来るまでの間に、征一郎自ら運転する車の中で、ちびがこのビルに連れ込まれたことが確実になったという連絡が入った。
八重崎は、世界中の防犯カメラの映像を覗くことができる。
樋口組も例外ではなく、防犯のためのカメラが、八重崎の目となってしまったのだった。
車をとばして駆け付け、裏口らしき鉄の扉を一撃で壊した。
そこからも八重崎のナビの通りにちびがいると思しき場所を目指す。
どうか無事でいてくれと念じながら、七階まで一息で上がり、教えられた部屋の扉を蹴破った。
「ちび!」
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