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第二十一話

「リディア夫人の体調はいかがですか?」 「ああ、一時はこのまま死んでしまうのではないかと思うほど落ち込んでいたが、女王陛下の行幸が我が家に決まってからは大分良くなってきたよ。だが、やはりまだ食欲は回復していなくてね。君に挨拶できないことをとても気にしていたが、彼女の前では話せない話もあるし、無理することはないと今日は休ませることにしたんだ」 「私への挨拶など気になさらないでください。体調が良くなってきたと聞いて安心しました」 「ありがとうロバート、リディアにも伝えておくよ」  ヘッドヴァン家のシェフが作ったオートミールを口に運びながら、フランシスは、恩人ウィリアムの息子であり、今や宮廷の最高権力者でもあるロバートの表情をさりげなく観察する。 (相変わらず、本音の見えない男だ)  二人の会食は、一見和やかで親しいものに見えたが、フランシスはロバートを、ウイリアムほど信頼していない。  今日ロバートを食事に招待したのは、エリザベス女王の行幸に一役買ってもらったお礼と、ジャンのパトロン、エドワード伯爵の拘束という、重大な計画の協力の確約を得るためだった。 「ところでロバート、私が頼んでいた、もう一つの件についてなのだが…」  フランシスがその言葉を口にした途端、先程まで保たれていた平穏な空気に、張り詰めた緊張感が走る。 「フランシス殿、我々セシル家がヘッドヴァン家への協力を惜しむことはありません。ただ…」 「構わない、正直に言ってくれ」    言い淀むロバートに、フランシスが続きを促すと、ロバートは、意を決するように口を開く。 「次男のジャン殿に、アランの代わりになりうるほどの素質があるのでしょうか? 人間には向き不向きがある。私の父が兄ではなく、私を宮廷へと導いたのは、生まれつき背中に障害のある私に然るべき地位を与えたいという親心もありましたが、それ以上に、私と兄の性質の違いを重んじたからです。 正直、今まで演劇という道楽に耽っていただけの人間が、宮廷で政務をこなせるようになるとはとても思えない」  フランシスは、珍しく率直な意見をぶつけるロバートに、大きく頷いて見せた。 「君の言う通りだロバート。今のままのジャンでは、アランの代わりなど到底務まらないだろう。だが私の性格上、何もせずに諦めるのはどうしても無理でね」  じっと耳を傾けるロバートを真剣な表情で見つめ、フランシスはロバートを懐柔するために用意した言葉を並べたてはじめる。 「ロバート、私が爵位についたのは、まだ右も左もわからない、13歳になったばかりの頃だった。そんなただの子供でしかなかった私が、嵐のようなプロテスタント迫害の中生き残れたのも、エリザベス女王即位後、ヘッドヴァン家がここまで繁栄できたのも、全て君の父上のおかげだと心から感謝している。 そして君は、バーリー卿と称せられるほどの功績を残した父上に似てとても優秀だ」 「いえ、私などまだまだ、父にもフランシス殿にも及びません」 「聞いてくれロバート!私は今回の幸行で、ジャンを女王に紹介するつもりだが、ジャンが宮廷に相応しい人物になりえるかどうかは、君に判断してほしいと思っている」  ロバートの謙遜を聞き流し、たたみかけるように続けられたフランシスの言葉に、ロバートは目を丸くした。 「私がフランシス殿のご子息を判断するなどおこごましい。私にできることなど、女王と対峙する時どうすべきか助言することくらいです。初見で女王に気に入られなければ、今後宮廷に関わるのは難しくなりますから…」 「ロバート、わかっているだろう?私にとっては、息子を女王陛下に会わせることよりも、君に会わせることこそ重要なのだ。 女王は自分の後継者を決めていないが、あの忌まわしい存在だったエセックスがいなくなった今、この国の命運は君にかかっていると言っても過言ではない」   この時フランシスは、女王よりもロバートセシルの存在を重んじていることを、初めてはっきりとロバートに告げたのだ。 「フランシス殿、それはいくら何でも買いかぶりすぎです、私など…」 「本音で話そうロバート。君は私にとって大恩人の息子であり尊敬すべき友人だ。 私はこれからも変わらずセシル家と協力し、この国を全力で支えていきたいと思っているが、私はもう、君達のように若くはない。 だからこそ私は、君の父上が君に政務を託したように、私の知る全てをアランに伝え、アランは私の期待に見事に応えてくれた。その上君の娘、キャサリンとの婚約も決まり、私にはこれからもセシル家と共に続く素晴らしい未来しか見えていなかった…だが…アランは…」  フランシスの言わんとすることを察してか、ロバートは悲痛な表情を浮かべる。  本音の見えない男が唯一、心から憐憫の情を表す時。フランシスは、ロバートがアランに、紛うことなき友情と信頼の気持ちを抱いていたことを知っている。  天使のように美しく生まれてきたアランは、神の祝福に恵まれた人間独特の傲慢さを不思議な程持ち合わせておらず、優秀でありながら、その心は、宮廷で生き抜くには危険なほど純粋で、誠実な優しさに満ちていた。    フランシスは、自分とは真逆な性質の息子を心から愛し、自ら守り導いていこうと苦心した。  おそらく、若くして本音と建前を老獪に使い分け上り詰めてきたロバートが、アランに特別な思いを寄せたのも、フランシスと同じ理由だろう。狡猾な人間は、狡猾さを持たない人間を見下すか、自分にない純粋さを愛し側に置こうとするかのどちらかだ。  フランシスは、女王よりセシル家との関係を重視していることを告げるとともに、あえてアランの名を出し、ロバートの心の襞を刺激しようとしたのだ。 「ロバート、私のやろうとしていることは、君には馬鹿げて見えるだろう。私とて、ジャンがアランの代わりを務められるとは思っていない。ただ私に、チャンスを与えて欲しいのだ」 「チャンス?」 「もし今回の行幸で、ジャンが女王に気に入られたら、どうか君の娘キャサリンとの結婚を、もう一度真剣に考えてくれないか? その代わり、今回ジャンが女王の不興を買うようだったら、私はジャンを宮廷に導くことも、君の娘との結婚も全て諦める」  フランシスの捨て身とも取れる言葉に、ロバートは明らかに狼狽していた。 「本気でおっしゃっているのですか?」  フランシスは深く頷き、二人の間に重苦しい沈黙が流れたが、やがてロバートは、フランシスの懇願を承諾する。 「フランシス殿の覚悟はわかりました。計画通り、エドワード伯爵の拘束を実行します」 「ありがとうロバート!」  女王の行幸までは快く引き受けてくれたものの、エドワード逮捕には、中々首を縦に振ろうとしなかったロバートの言質がとれたことに、フランシスは心から喜び礼を言う。 (後はジャンの力量次第だな)  残り少なくなったワインを飲みほし、フランシスは一人ほくそ笑む。  女王に長年支えてきたフランシスは、女王の男性の好みを熟知していた。見た目だけなら、ジャンは女王の関心を惹きつけるのに十分な容姿であり、エドワードが逮捕されることによって、ジャンは女王に気に入られるため必死にならざる負えなくなるだろう。  目論みが外れる可能性も考えないではなかったが、これだけお膳立てして駄目ならば、その程度の男だったと諦めるしかない。  アランを失い、今まで顧みる事のなかった次男を詳しく調査していくうちに、ジャンが演劇界で着実に人脈を作り、サザーク界隈の市民達にも人気がある事を知った。   思ったほど無能ではなさそうだと、後継者として手元に戻す決心をしたのだが、そのためにも、エドワードを人質にとることが絶対に必要だったのだ。  それに、ジャンの見た目や性質は、シェイクスピアの作品で悪役として描かれるほど市民から嫌われているロバートに警戒されかねないが、この条件を出す事で、ジャンが女王に気に入られれば、ロバートはキャサリンとジャンの婚約を考えざるおえなくなる。  (敵に回すと厄介な男だからな、ヘッドヴァン家のためにも、ロバートにはもう一度婚約の話を考えなおしてもらわねば、ジャンの代でセシル家と縁を切るはめになるわけにはいかない) 「それにしても、ジャン殿のパトロンが、かつてエセックスと親しく手紙を交わしていたエドワード伯爵だったのは幸いでした。さすがに私も、なんの疑いもない人間を拘束するわけにはいきませんので」  あらゆる事に頭を巡らせていたフランシスに、ロバートが遠慮がちに言葉を発し、フランシスは心苦しげに返答する。 「君には苦労をかけてしまって本当に申し訳ないと思っている。ただ、今回のことでつくづく、劇団のパトロンになるような人間というのは絵空事ばかり追い求め、自分の器も見極められない馬鹿な奴ばかりなのだと確信したよ。 ヘッドヴァン家の後継者になるからには、ジャンにも早く足を洗ってもらいたくてね」 「エセックスやサウサンプトン伯には、お互い苦労させられましたからね。女王は演劇に寛容だが、彼らの反乱で、今の体制や王室を、演劇の名を借り批判し、市民を煽る輩がいることが明白になった。危険な劇団は、なるべく少ないに越したことはありません。 ご子息を演劇から遠ざけたいと願うお気持ち痛いほどわかりますよ。私も、父の代から続くヘッドヴァン家との絆をより深めていきたいと思っているので、今回は全面的に協力させていただきます」  それぞれ思惑はあるものの、演劇に対する二人の見解は一致していた。 「では、三日後計画通りに」  無言で頷き確認しあった後、二人が再びその話題を出すことはなく、ロバートとの食事会は、フランシスにとって格別に実りあるものとなったのだ

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