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第三十九話

「リハーサルができるのは一度だけだ、衣装やカツラは二階の談話室へ持って行ってくれ。道具は全て階段の裏側に運んで、シーンごとに纏めて置くぞ」  ヘッドヴァン邸に辿り着くやいなや、ジャンがオーク座の俳優達にテキパキと指示をだす。  屋敷の壮麗さに目を奪われキョロキョロとしていた俳優達も、これから行われる大仕事を思い出し迅速に動き出した。  今回はオーク座の劇場ではない、初めての場所での御前公演なのだ。入念なリハーサルを行うためにも、時間を無駄にするわけにはいかない。 (それにしても、まさかジャンがあんな事を言いだすとはな…)  普段通りに見えるが、ジャンはきっと今、他のみんな以上に緊張しているにだろう。俳優達を誘導するジャンを見やり、トーマスは昨日の出来事を思い出す  『俺がエリックの代役をやる』  ジャンが開口一番そう言った時、俳優達が驚愕する中、トーマスは一人、その手があったかと納得した。  オックスフォードは大学演劇が盛んで、特にジャンはその見た目の良さから、主要な役で舞台に立つ事も多々あった。今やすっかり背が伸びて男らしくなってしまったが、イートン校時代は女役にかりだされるほど可愛かったのだと、同校出身の人間から聞いた事もある。  本人は乗り気ではなかったのか、自分が年長者の立場になった途端、演者になることは一切なくなったが、ジャンの演技を学生時代見たことのあるトーマスは、決して荒唐無稽な案ではないと思ったのだ。    エリック説得が失敗した時のため、登場人物の王子と王を同一人物にし、王子役だったチャーリーにグラウディオンをやってもらおうと、内容を変えた脚本も書いてみたが、詰めの甘さは否めない。だが、ジャンが代役をしてくれれば、脚本を変えなくてすむ。  最初は心配そうだったダニエル達も、稽古をしていくうちに、ジャンの代役に手答えを感じ賛同してくれた。 「トーマスは知ってたの?ジャンが演技もできるって」  道具を運び終えたオリヴァーが、トーマスに尋ねてくる。 「ああ、大学時代な」 「なんでもできるしなんでも持ってるのかよアイツは、ムカつくな」 「おいおい!こんな時に変な事言うなよ!」 「なんだよ、いつもの冗談なんだからそんな怒らなくてもいいじゃん」  つい口調がキツくなるトーマスに、オリヴァーが不貞腐れたように反論してくる。すると、側にいたダニエルがオリヴァーに言った。 「オリヴァー、今は冗談言ってる場合じゃないぞ。舞台には魔物がいる。俺らですらセリフが飛ぶことがあるだろう? ジャンは経験者ってだけでプロの俳優じゃない。ロイだって、稽古は積み重ねてきたが本番は初だ。ジャンとロイが崩れればエドワードは釈放されずオーク座は沈む。あいつらがリラックスして舞台に望めるようにしてやるのが俺らの務めだ」 「分かってるっつうの」  ダニエルの言う通り、ジャンもロイも場数を踏んだ安心できる俳優ではない。その上ジャンがまともに稽古できたのは昨日だけであり、ダニエルが心配するのも当然だ。  だがトーマスには、ジャンなら大丈夫だという確信があった。なぜなら、学生時代からの付き合いの中で、ジャンがやると宣言し出来なかった姿を見た事が、実は一度もないのだ。  ロイを見つけてきた時も感心したが、ジャンは時に、不可能と思える事すら可能にする運と、転んでもただでは起きない心の強さを持っている。  と言っても、流石にパブで酔い潰れたジャンを見た時は、今回ばかりはダメかもしれないと思ったが… 『ロイに言われたんだよ、素人の俺に絶対できると言い続けたあなたが、自分はできないの一言で片付けるのかって。あいつにそこまで言われたら、俺もやるしかないだろう?』  あの時、ジャンの世話をロイに任せ2人きりにして良かった。多分トーマスだったら、ジャンに代役をやらせようなんて思いつかなかった。いや、思いついたとしても、あらゆる負の可能性に囚われ却下していただろう。  真っ新な心を持つロイだから言えたのだ。きっとジャンも、ロイの言葉だったからこそ覚悟を決め受け入れた。 (でもなあ…)  ただ1つだけ、トーマスはジャンに対して懸念を抱いている事がある。  ロイについて語り、久々に俳優としてロイと稽古するジャンの姿を見ているうちに、気がついてしまったのだ。  あの日、タヴァートインから出て行く間際、名残惜しげに眠るロイを見つめていたジャンの瞳が、深い熱を孕んでいるように見えたのは、決して気のせいではなかったことに…    ジャンはおそらく、ロイに恋をしている。  今思えば、確かに最初から、ジャンのロイに対する入れ込みようは異常だった。  しかも、以前のジャンには、まだロイへの感情に対する迷いと躊躇が見えていたが、今のジャンは、自分の恋心に完全に降参し平伏しているように見えるのだ。 「よし、衣装に着替えて本番と全く同じリハーサルを行うぞ、トーマス達はここで進行と道具の確認を頼む」 「おう」  道具や衣装の移動を終え、ジャンが再び皆に指示を出す。 「ロイ」 「はい」  ジャンがロイを呼び、トーマスの視線は自然と二人に注がれた。 「緊張してるか?」 「はい、でも大丈夫です」 「凄いな、俺の方が緊張で倒れそうだ」  言いながら、ジャンはロイを自分の近くに引き寄せ肩を抱く。ロイは、本当は俺もですと無邪気な笑顔を浮かべ、ジャンは愛しげに目を細めロイを見つめている。 「…なあ、オリヴァー」  ジャンとロイを注視したまま、トーマスは、二人と同じく談話室へ向かって階段を駆け上ろうとしていたオリヴァーの肩を掴んだ。 「なんだよ危ねえな!」 「おまえ、あの二人見てどう思う?」  トーマスが指差した方向には、身体を寄せ合うジャンとロイの姿があり、オリヴァーは、トーマスの言わんとすることを悟ったように頷き答える。 「おまえが心配するのもわかるけど大丈夫だって!なせばなる!」  オリヴァーの返答は的外れなものだったが、かえってそれがトーマスを安心させた。 (俺が二人を、おかしな目で見てるだけなのかもしれない)  トーマスには、ジャンのロイに対する態度はあまりにも露骨に見えてしまうのだが、オリヴァーをはじめ、オーク座の人間の中で、二人の距離に違和感を持つ人間は誰もいない。  だがそれでもトーマスは、この事を気のせいとして放っておこうとは思わなかった。 (御前公演が終わったら、それとなく確認しよう)  例えジャンが認めなくても、トーマスが探りを入れることで、一線を超えてしまわないよう牽制することはできる。  エドワード伯爵しかり、ギリシア神話にも、少年を愛する話しは数多く存在しているため、そこに大きな嫌悪を持つわけではないが、最も近い親友がとなれば話しは別だ。  下手をすれば裁かれ刑罰の対象になりうる道。まだ片思いの純粋な恋心であるうちに、気の迷いとして片付けてしまった方がいい。 「おいトーマス聞いてるか?」 「え?」  いつの間にか声をかけてきていたのは、楽器演奏を担当するマックスだった。 「全く、自分は出演しないからって余裕だなあ。俺なんて今からビビってじっとしてられないってのに」 「いや、俺だって緊張してるよ、でもお前達の方がずっとプレッシャーだよな」 「そうなんだよ!女王に観られると思うと今から鳥肌立っちまってさ」 「俺も女王の前に出た時緊張してまともに話せなくなったからわかるよ。でもあんたらはプロなんだ。いつも通りやれば大丈夫だから自信持ってくれよ」  舞台以外の心配事に囚われていた心が、オーク座の仲間のおかげで再び奮い立つ。 (まずは、公演を成功させる事を一番に考えないとな)  ジャンとロイが仲睦ましげに入っていった談話室のドアを一瞥し、トーマスは、アリアン舞台本番に気持ちを集中するため、先程までの思考を振り払った

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