1 / 10

1

一夫多妻制や同性婚が認められているこの国内では、近年、妻子を多数持つことが一種のステータスとされていた。 もちろん生涯妻一筋で一夫一妻を貫き通す一途な者も少なくないが、たくさんの妻子をもつということは、それを養えるほど財力があるのだということの証でもあるため、上流階級になればなるほど一夫多妻の割合や妻の数は増えていた。 特に王族ともなると、政略結婚や世継ぎ問題もあり、なおさらのこと一夫多妻になることが多かったが、そんな中でもごくまれに一夫一妻でいる者もいた。 この国の第二王子・アルタイル王子もその一人だった。 ―そしてこの国には、王族と、ごく一部の従者にしか知られていない"しきたり"が古くから存在していた。 ギィッ… 従者の手によって重厚な扉が開かれて間もなく、この部屋の主・アルタイル王子が姿を現した。 部屋の中で主の帰りをただひたすらに待っていたオレは、すぐにそばまで行き、王子の足元へ正座し、頭を床へ擦り付けた。 「おかえりなさいませ、アルタイル様。本日より夜伽の(めい)を受けて参りました、ノルセルと申します。以後よろしくお願い致します」 「……顔を上げろ」 「はいっ」 耳に残るような綺麗な低めの声で促され、勢いよく顔を上げると、そこには白に近い綺麗な金髪に、淡い青緑の瞳。 今まで遠目でしか見たことのなかったアルタイル王子が、間近でオレを見下ろしていた。 王子の後ろにはいつもついている側近の姿はなく、この部屋の中はオレと王子の2人だけなのだとわかり、これからの自分の仕事を思うと心臓の動きがどくどくと早まった。 「……夜伽、か。本当だったのだな、あの"しきたり"は…」 アルタイル王子はぼそりと呟くと上着をソファーへ投げ捨て、颯爽とベッドの方へと歩いて行ってしまった。 王子の優雅なその動作に見惚れていたが、はっと自分の仕事を思い出し、オレは慌てて王子の後を追ってベッドへと向かった。 "しきたり" 王族と古くからいる信頼できる従者にしか知らされていないその"しきたり"は、一夫多妻でない王族にだけごくごく秘密裏に行われるもの。…それは、 『王位継承権のある王族が一妻で、かつその奥方様がご懐妊された時、赤子が誕生するまでの間、夜伽の相手として男性を配置する』 というものだった。 奥方様がご懐妊の間、奥方様と夜伽ができない王子が、欲求不満になりどこの馬の骨とも知らない娘にたぶらかされたり、誤って子をもうけたりしないようにするための措置らしいが、初めて聞かされた時、そんなことが行われてるとは知らなかったオレは心底驚いた。 ましてやその相手に自分が選ばれるなんて、尚更だ。 夜伽の相手の選考理由には色々とあるそうだが、オレが教えてもらったものだけで言うと、当人と年齢が近く、元々貴族に仕える一族で素性のしっかりしている者で…尚且つ金銭的に困窮している者とういうのがあるらしい。 …そして今回選ばれたのが、オレだった。 家族もオレも、突然やってきた王家からの使者に「借金を肩代わりする代わりに王家で働いてもらえないか。働きに来たら二度と家に帰ることはできなくなるが、その代わり一生暮らすのにも困らないほどの金を支払おう」とだけ説明されたのだが、借金を解消される上に息子が出世するとなって、オレの家族は喜んでオレを王家へ送り出した。 そして王家に到着してすぐに、オレは自分の仕事となるこの"しきたり"の話を聞かされたのだ。 この国では国民の王家への信頼は絶大で、王家に…ましてや王子の側に仕えるということは、国民にとっての夢や憧れそのものだった。 もちろん貴族に仕える一家の一員のオレとしても、王子の元で働くなんて夢のようなことだった。 (でもだからって、よりにもよって夜の相手なんて…) そうすごく悩んだが、 "この話を聞いた者は、話を受けるにしても受けないにしても当初の約束通り帰るどころか王宮から出ることを許されないが、借金の肩代わりと送金は約束される。 ただし、断った場合は家族への送金を大幅に減らされる。" と説明され、悩んだ挙句、オレは夜伽の相手になることに決めたのだ。 そうと決まってからは、あっという間だった。 王子の夜の相手が務まるように、男同士での行為の仕方だけでなく、礼儀から細かな雑務まで、必要となるかもしれない知識を数日の間にみっちりと叩き込まれ、王子の元へと送り出されたのだ。 オレが王子の真横に立つと、王子は既にYシャツを半分脱いで、綺麗な素肌を曝け出していた。 「…アルタイル様、私がお召し物を…」 「いい。自分でやる」 「そ、そうですか…では…」 断られたので仕方なく、自分も夜伽の準備に入ろうと、自身の制服に手をかける。すると… 「……おい、お前。何をしている」 怪訝そうな顔で王子に問われた。 「え?あ、と……夜伽の、準備を…」 夜の準備のため全裸になろうとしたが、まずかっただろうか。王子は相変わらず怪訝な顔のままだ。 王子の手を煩わせないように自分から準備するように言われていたのだが… そう言えば、「脱がせる行為も楽しみの1つとされる方もいらっしゃる」と言われたのを思い出してはっとした。 「す、すみません!確認もせずに!」 そう言ってぎゅっと目を瞑り、覚悟を決めてずいっと王子の方へと体を突き出す。 …しかしいつまでたっても触れられないのでそっと目を開けると、 「…そうだな。ちゃんと確認すべきだな。オレはお前と、そういうことをするつもりはない」 そうきっぱりと言い放たれた。 「あ…え…?」 訳が分からずポカンと王子を見つめ返すと、王子はいつの間にか寝巻に着替え終わっており、綺麗な動作でゆっくりとベッドに腰を下ろした。 「しきたりだから、お前がこの場にいることは仕方がないと思うが…私にそういう趣味はない。夜伽の役割は、"する"だけがすべてじゃないだろう?男を夜伽につけるそもそもの原点は、私が素性の分からぬ女に手を出さないようにするための筈だ。私は誰にも手を出さないから、お前はここにいて、それを証明すればいい」 そう言い終わると、王子はベッドにもぐりこんで目を瞑った。 「え…」 「……」 「………あ、えと、アルタイル様」 「……私は寝たいんだが」 「はい!すみません!おやすみなさいませ!」 訳の分からぬまま慌てて部屋中の明かりを消し、オレはどうしていいのか分からず、とりあえず王子の脱いだ服を丁寧に片づけた後部屋をぐるっと見渡し、 (ソファーは…勝手に座っちゃダメだよな) 窓際で月明かりが少しだけ漏れて、そして王子のベッドが見える床に座り込み、少し離れた位置から王子が眠るのを見守ることにした。 (掘られると思って覚悟してたけど…なんだ、アルタイル様にそういう趣味はないのか) 王子に男の趣味はなくとも、処理を手伝わされたり色々されるだろうと内心ドキドキしていたのに…こんなことになるなんて、想定外のラッキーだ。 王子は証明すればいいと言っていたから、王子が他の女性に手を出さないように、この部屋を抜け出したり誰かを連れ込んだりしないように、オレはここで見張ってればいいということだろう。 (どうなるかと思ったけど…これなら何とかやっていけそうだ) そう思ってオレは王子の寝息だけが聞こえる静かな部屋で、王子の寝顔をひたすらにじーっと見続けた。 コンコン 「失礼します」 言葉とともに重い扉がぎぃっと開けられ、お茶をワゴンに乗せた従者さんが入ってきた。 のそり…と布団が動いてから、ゆっくりと王子が体を起こす。 入ってきた従者に目をやって「アールグレイを」と告げたのちに、ふと視線を外してオレの方へ顔を向けて、そして目を瞠った。 「おはようございます、アルタイル様」 「………お前は、そこで何をしてる」 「は…?あ、証明を!ここでしかと見届けました!」 そう告げると、王子は顔をしかめる。 「……なぜ床に正座してるのかを聞いているのだ」 「は…えと、これが私の仕事ですの、で…?」 聞かれた意味がよくわからずに首を傾げると、王子は呆れ顔で 「……もう朝だ。お前の仕事は終わりだろう。早く自室へ戻れ」と告げた。 「は、はい!」 (確かにそうだ!お茶の人が来た時点で、オレの役割は終わりだったのに!) 慌てて立とうとするも、1晩中座り続けた足は棒になって力が入らず、ガクガクとぎこちない歩きの上に、扉の前に行くまでに2回も転んでしまった。 「……失礼します」 「……」 出ていく際に声をかたが、王子は紅茶の向こうから目線を少しこちらに向けただけだった。 扉の外へ出ると、オレを迎えに来ていた従者さんに、オレ用に割り振られた部屋へと連れていかれた。 綺麗なベッドもお風呂も備え付けられているが、換気扇を除くと外へとつながるものは10cm四方の窓と、外からしか開けることのできない出入り口しかないその部屋。 (元々貴族に仕える身だから、逃げ出したり外部に漏らしたりなんてしないのに…すごい徹底ぶりだなぁ…) 小さな小さな窓から零れる太陽の光を見ながら柔らかいベッドに腰掛けて、初仕事の終わりにようやくほっとひと息をついた。

ともだちにシェアしよう!