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8(完)
カツン…
足音が響いた後に、ベッドがギシッと軋み、それから頭と背中に温かい感触が訪れた。
「…お前は1度でいいのか?」
「……っ」
「…………私は1度では嫌だぞ」
その言葉に思わず頭を上げると、王子は少しだけ自分の体を離してからオレの体を引っ張るように起こした。
「…無理に言わせてすまない。本当はそうではないかと…いや、そうであって欲しいと思っていたんだ」
言われてる意味が分からないのに、涙はどんどんと零れる。
昨日から泣き腫らしてむくんだ顔に、涙にちょっと鼻水まで垂れてきてきっと酷い有様に違いない。
なのに王子はそんなことお構いなしに、オレの頭を優しく撫でてから頬に触れて優しく涙を拭った。
「…だけどどうしても、お前の口から聞きたかった」
そう言って頬を王子の手で優しく包まれる。
オレの間近に迫ってきた王子の顔は、情けない眉毛をしながらも、見たこともないくらい優しい顔をしていた。
(…アルタイル様…怒ってない…?)
その優しい顔にぎゅうっと胸が締め付けられ、何も言葉を発せられずにいると、王子は急に手を放して扉の方を振り返った。
「キハール。そこにいるんだろう。中へ入ってこい」
「……失礼致します」
王子の呼びかけとともに燕尾服を身に纏った中年の男性が入室する。
その人物は、自分がここに来た当初に夜伽や王宮での作法を教えてくれた人だった。
「コイツの処遇は決まった。コイツ…ノルセルは、
―…私の正妃とする」
「……っ!」
その衝撃に思わず息をのむ。
(え…なんで?え?なんで?だってアルタイル様には奥方様もお子様も…)
訳も分からないオレを他所に、王子もキハールさんも冷静に話を進める。
「…処遇は主に2つに決められていると言ったが、私の望むものは2つの中にはない。夜伽の者の処遇が決められているのは、夜伽の"しきたり"を知っている者が外部に出てそれを漏らさない為…王族や限られた従者以外に知られない為だろう?ノルセル自身が王族になるのであれば"しきたり"を知っていてもおかしくはないし、万が一他言したとしても王族自身がそうしたのなら仕方のないことだ。ならば2つの中から選ばなくとも正妃にすれば問題ない。そうだろう?」
「……はい。そもそもの所以 はアルタイル様のおっしゃる通りでございます。ですが前例のないことです故、多少お時間がかかるかと思いますが…それがアルタイル様の御意志であるのであれば、可能かと思います」
「…では早速取りかかってくれ。ノルセルはとりあえず私の部屋へ連れていく」
「仰せのままに…」
そう言ってキハールさんは颯爽と部屋を後にする。
それを見届けて王子がこちらへ振り向いたが、完全に自分だけがワケが分からずに置いてけぼりになっている気がした。
「アルタイル様…正妃って…?奥方様は…お子様は…?」
目をぱちぱちさせながら尋ねると、王子は優しく微笑んだ。
「あぁ…そうだな、何から話そうか。…まずはマリーのことから話さねばなるまい。
…マリーは私の妻としてこの国にいるが、好き合って結婚したわけではない。政略結婚と言うか…契約結婚だ。マリーとの約束を守ること条件に、表向きは私の妻になってもらう約束になっている。このことは王宮の者全員ではないが…半数くらいは知っている」
「え…?」
(アルタイル様は奥方様に一途じゃなかったの…?)
自分のずっと考えていたことが覆され、あまりの衝撃に涙も引っ込む。
「…でも、お子様がお生まれに…」
「あぁ。マリーの子は、私の子ではない。…そもそも私がマリーと結婚したのは、マリーには結婚を許されない恋人がいた為だ」
「えぇ…?」
どんどんと明らかになる事実に、オレはぽかんと間抜けな顔をしているに違いない。
アルタイル様はそんなオレを見てふっと笑ってから話を続けた。
「マリーは…マリーの従者であるエシオと恋仲にあったんだ。だがマリーは祖国で唯一の王女でな…本人の意思に関係なく、生まれた時から既に他国の王子と結婚させられることは決まっていた。それでもマリーは両親を説得しようと試みたそうだが…エシオと無理やり引き離された挙句に、強制的に見合いをさせられたそうだ」
「……っ」
「…そしてその見合い相手が、私だった」
オレの表情が少し硬くなったのに気付いたのか、王子はオレの緊張をほぐすように、優しく頭を撫でてから話を続けた。
「互いに見合いと知らされぬまま会わされたのだが…マリーは見合いと知った途端私の前で泣きじゃくり、私と結婚するくらいなら死んでやる!と凄い剣幕でな。
…そして私も私で、年頃になった途端政略結婚の話が尽きなくて、無理やり見合いさせられる事にほとほと困り果てていたところだった。だがお互い、この見合いを断ったところで次の見合いが待っているのは目に見えていた。…だからマリーに提案したんだ」
「………」
「私と形だけの結婚をする代わりに、我が国でエシオと夫婦のように過ごすというのはどうだ、と。
私が妻のマリー一筋のように振舞ってけば他の結婚の話をしてくるものはほとんどなくなるだろうし、マリーはエシオと別れることなく過ごせる。お互いに利害が一致したのだ」
返事もできずにいるオレを優しく見つめながら、王子は話を続けた。
「…マリーの両親はそれでも反対したが、表向きは大国の王子の妻となるわけだし、国益の面から見てもこの結婚が最良とされていた…そして何よりマリーがエシオといれないなら死んでやると豪語したからな。両家が認めた契約結婚になったわけだ」
頭がパンクしそうになりながらも、必死に王子の言葉を頭に入れる。
「…マリー様は、それでよかったのですか?形だけといえど、アルタイル様の籍へ入ることになるのでよね…?国王様や王妃様も…納得されたのでしょうか」
少し間をおいて、オレが必死に頭で整理してから質問すると、王子は優しく笑った。
「あぁ。マリーにとってエシオと離れることなど考えられなかったからな。それでエシオと供にいられるならと、提案した私に感謝までしてくれた。私の両親は…私には兄弟が16人もいるから世継ぎには困ることはないし、私が結婚に興味ないことも知っていたからな。もともと王族は政略結婚が多いものだ。そんな関係だったとしても、国に有益となる結婚に納得してくれた」
(そんなものなのだろうか…)
自分には考え付かない世界に、ただただ驚く。
納得はしきれないが、なんとか理解はできたが…そんな複雑な環境に生まれたばかりの子どものことが気になった。
「…あの、でも…お子様は、どうなるのでしょうか?…本当の父親はエシオ様で、でも戸籍上はアルタイル様が父親になるのですよね…?なんだか環境がとても複雑な気がします…」
「そうだな。…だがマリーの父上が、孫が生まれたことでようやくマリーとエシオとの仲を認めてくれてな。だからもしかしたら子どもは、マリーの祖国の王子となるかもしれないし…マリーやエシオも、夫婦として祖国に戻れるかもしれない。
こちらで育てるにしても、多分出生届にはエシオを父親として記載すると思うが…そこはマリーやエシオの望むようにしようと思っているし、もちろん私が父親として名前を入れるのであれば、我が子として2人と供に育てていくつもりだ」
「……そうなんですか…」
そうなるのであれば、どうなったとしても赤ちゃんは温かい環境に置かれそうだと、少しほっとする。
無意識に頷いたオレの頭をアルタイル様が優しく撫でてくれたので、間近で見つめ合う形になり、それからはっと気づく。
(…そうだ、ほっとしている場合じゃなかった)
オレにはもう1つ、確認しなければならない重大なことがあったじゃないか。
ごくりと息をのみ、王子をしっかりと見据えて確認する。
「……アルタイル様。マリー様が、エシオ様と祖国に帰られるかもしれないから、だから私が正妃になるということでしょうか?」
真顔で訪ねるオレに、王子は優しい微笑みを消して一瞬固まったが、ふーとため息をついてからもう1度オレを見つめて、こう言った。
「…すまない。肝心なことを私は言わないままだった。…私はノルセルを愛している。だから正妃になってもらいたい。…私と結婚してくれないか?」
「……っ」
それはまるで夢のような…自分が望んでいたこと以上の言葉を言って貰えたというのに、オレはというと
言葉は理解できても頭が追いつかず、嬉しいや驚きの感情も全く出ないほど、ただただ目や口を開けたまま固まってしまった。
そんなオレの手をぎゅっと握り、王子はまゆっくりベッドの前で跪いた。
「…さっきは無理に言わせてすまなかった。だがもし私が先に告げたのであれば、従者であるお前がたとえ私を好いていてもいなくとも、断れないことなど分かりきっている。…だからどうしても、お前の口から先に気持ちを聞きたかったんだ…」
その言葉を聞き終わった頃にようやく頭も感情もい追い付いて、予想だにしていなかった展開にまたしても涙がぽろぽろと零れる。
「アルタイル様が…私を好き、なのですか…?」
「あぁ…好きだ。愛している」
「でもだって…最初に、そういう趣味はないって…私は男ですよ…?」
「…あれは男がダメだとかそういう意味ではなく、好き合ってる者以外とする趣味はないという意味だ。性別なんて関係ない」
そう言葉にするアルタイル様のこの優しい笑顔が今、自分だけに向けられているものだなんて。
「嘘だ…信じられない…嘘だぁ…」
両手で顔を覆って本格的に泣き出したオレを、王子が正面からぎゅうっと包み込む。
「…信じられないのであれば、信じてもらえるまで何度でも言おう。愛している、ノルセル」
耳元でささやかれるその言葉にまた、涙が溢れた。
その後早速王子の自室へと移り、綺麗な衣装を与えられ身なりを整えるとすぐに、国王様と王妃様と顔合わせすることになった。
とんとん拍子に事が進みすぎて全く心の準備ができてなかったし…正直、ただの従者だったオレが本当にこの場にいてもいいのかと不安で倒れそうだったが、
「アルタイルがまさかこんな優しい顔するなんて…あなたのことが本当に好きなのね。アルタイルに恋を教えてくれてありがとう」
と、国王様や王妃様にまさかまさかの感謝をされてしまった。
感謝のお言葉をもらえるなんて恐れ多くてひれ伏そうとしたら、慌ててて王子や国王様の側近に止められてしまったが…なんとか無事に終えることができたと思う。
そして結局マリー様とエシオ様、そしてアルベール様は、祖国へ戻り新しい家庭を築くことになりそうだと、王子の口から告げられた。
色々手続きなどがあるのでもう少しこちらで過ごすそうなので、今度王子と供にみんなの元へ挨拶へ行こうと思っている。
オレと王子が正式に籍を入れるのはすべてが落ち着いてからになるらしいから、もうしばらく先になりそうだ。
王子が自分を好きだなんて…何日経っても本当に現実なのかと不安になる時があるが、それでも毎日何度も愛をささやいてくれるので、その度にじんわりと実感させてもらっている。
「…愛しいノルセル。さて、今日は何を歌ってもらおうか」
「私の知っているものなら何でも…」
同じベットに横になり、ぐいっと王子に引き寄せられ密着する体。
王子の鼓動は相変わらずオレと違って平常運転だが、その表情は見たこともないくらいに甘い。
…あの日、「ずっと続けばいい」と、そう願っていた未来の中にオレはいるんだ。
(なんて幸せなんだろう…)
王子のリクエストに微笑みを返して、一呼吸してからあの歌を口ずさんだ。
2人きりの寝室に、今日も綺麗な歌声が響く。
それはきっと、明日も明後日も。
終 2015.07.08
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