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SS・未来へと続く話

「こんばんは」 カランと小さな音を立てて入ってきた1人の男 柔らかなその声に、湊人は苦々しい嘆息を押しとどめニコリと笑った。 「こんばんは、斎藤さん。今日は少しお早いんですね」 「えぇ、少しでも早く会いたくて」 カウンター越し、湊人の目の前に陣取って微笑む彼は斎藤弘一 ここ2週間ほど営業日はほぼ毎晩来店する『b・t・s』の常連客だ。そして 「湊人さん。閉店後のご予定は?」 初来店から一日も欠かさず、ストレートなアプローチを繰り返していたりもする 湊人はいつも通り困ったように笑ってから、静かにグラスを差し出した。 「家に帰って寝ますよ」 「奇遇ですね、僕も寝ようと思ってるんです。一緒にどうですか?」 「ふふ、斎藤さん明日はお休みですか?」 「えぇ今週は珍しくちゃんと休めそうなんですよ」 大手商社に勤めている彼は、本人曰くとても多忙だそうで休日出勤も頻繁にあるらしい 現に今日は土曜日だけれどきちんとスーツを着ていてどう見ても仕事帰りだ それでも毎晩ワンナイトのお誘いをしてくるのだからかなりエネルギッシュだなと苦笑を噛み殺す 「そうなんですね。そんな貴重な週末は大切な方と過ごされてはいかがですか?」 「うん。だからあなたを誘ってるんです」 「またそんな……斎藤さん、あなたストレートでしょう?」 「湊人さんはゲイでしょう?なにも問題ないじゃないですか」 「問題しかありませんよ」 2週間もほぼ毎日口説かれていたら、いいかげん対応もおざなりになってくる それでも変わらない彼に呆れとも感嘆ともいえない嘆息をして、湊人はちらりと時計を見た。 いつもならゆるりと躱しながらも会話を続けるのだが、今夜はそうもいかない できるだけ早く帰ってもらわないと…… 「斎藤さん。前にも言いましたが僕には恋人がいるので」 「はい、前にも聞きましたがそれってなんの関係がありますか?」 「恋人がいるので誘われても困るということです」 「僕にはよく分からないな……恋人がいたらもう恋をしてはいけないんですか?もっと魅力的な相手に出会ったらどうするんです?」 「……」 「恋人がいるから新しい出会いを避けるという考えは、すぐにでも捨てた方がいい」 「あなたって本当に……」 それ以上言葉が続けられず、ただ眉を寄せ深く息を吐いた湊人 同時にカウンターの端から微かな笑い声が聞こえて、ちらりと見やれば案の定イツキが肩を震わせて笑っている その手に持った携帯と愉しげなイツキの瞳を交互に見ながら『余計なことをするなよ』と視線で訴えるけれど、伝わっているかはわからない これは携帯を取り上げるべきかと考えていたら、弘一が不意に声を上げた。 「ただ僕は基本的に短期戦が好きなんです。だから今夜を最後にしようと思って」 へぇ、と少し眉を上げてまばたいた湊人に笑みを返し 「湊人さん、ポートワインを」 「……それは」 「もちろん、あなたに」 告げられたそのオーダーはーーー『愛の告白』 そういえば聞こえは良いけれど、結局は今夜の誘いということだろう いずれにしても、答えは決まっているわけで。 「ありがとうございます」 微笑んだ湊人が手際よく作り始めたものを見て、イツキがまたクスクスと笑う それをちらりと見やった弘一がどこか諦めたような笑みを浮かべた時、湊人は作り終えたカクテルをゆっくりとグラスに注いだ。 淡いパープルに満たされたグラスはとても綺麗で 「ブルームーンか。意外だな」 「意外?僕が誘いに乗るとでも?」 「いや、あなたはトワイライトゾーンあたりで濁してくるかと」 トワイライトゾーンのカクテル言葉は『遠慮』 確かにブルームーンの『できない相談』とすげなく断るよりは柔らかい拒否だろう 湊人はふふっと笑ってブルームーンを一口含んだ。 「さすが、お詳しいですね。でも断られたことなんてないんでしょう?」 「まぁ、たしかに初めてかな」 「すみません」 「いや、意外と興奮する」 思わぬ返しに湊人とイツキが同時に吹き出した時 カラン 小さな音とともに、ゆっくりと開いた扉 「悠……」 思わず呟いた湊人を見て、弘一が知り合いですかと問いかけながら入り口を見やる しかし今しがた入ってきた男はすでに大股で歩み寄りすぐ隣にいた。 重ね付けられたアクセサリーの目立つ右手がトンとカウンターに置かれ、見上げれば驚くほどに整った顔立ちの男が見下ろしてくる まるで絵のような、彫刻のような、それこそCGのようなその顔に感情は浮かんでいないけれどーーー静かに見つめてくる瞳の奥には間違いなく燃えるような怒りが映し出されていた。 「おっと……もしかして君が湊人さんの恋人?」 「だったら?」 「意外かな。湊人さんの恋人は年上の紳士的な男性かなと思っていたから」 「自分みたいな?」 「はは、まぁそう」 楽しげに笑う弘一に唇だけで笑い返して、悠が前を向く カウンター越しに少し心配そうな顔で見つめてくる湊人を見つめ返してーーー不意にその手に握られたグラスを奪い一気に呷ると、湊人の後頭部に手を回し強く引き寄せた。 「ぅわ…っん、ふ……」 ぶつかるように重なった唇から、漏れるは甘い吐息と水音。そして、一筋の淡い紫色。 「っ、は……ゆう……」 「あぁ、やっぱり湊人のカクテルは美味しい」 「バカ……っ」 垂れた滴をぺろりと舐め上げて笑う悠に、湊人が眉を寄せて抗議の目を向ける しかし久しぶりに見た恋人の顔に自然と口元が緩んでしまうのも止められなくて、仕方なく視線を逸らせば苦笑する弘一と目が合った。 「なるほど。あなたが僕に靡かない理由が分かりました」 「な、なんですか」 「どうやら僕はあなたの好みの正反対みたいだ」 「……そんなことはないですよ」 思わぬ返答に弘一が首を傾げれば、少し眉を下げて笑いながら湊人が続ける 「元々僕の好みは落ち着いた大人の男性なので」 「へぇ。じゃあなんで?」 「なんででしょうね」 ふふっと笑った湊人に今度は悠が抗議の目を向けるけれど、湊人は気付かぬフリをして言葉を紡いだ。 「でも、彼だけが特別なんです」 艶やかな瞳を細めて淡く微笑む湊人 弘一はその顔を見つめてから、自分を納得させるように何度か頷いてーーー微笑み返した。 * * * * * 「まだ怒ってるの」 閉店後、諸々片付けを終わらせて一息ついた湊人が視線を向けたのはカウンターの一席 突っ伏すようにだらしなく座っている悠の髪を撫でると、のそりと起き上がったその顔は不満げにしかめられていて 「あいつ、いつから来てたの」 「斎藤さん?21時くらいかな」 「違う。今日が初めてじゃないんでしょ」 「あー、2週間前くらい?」 「は!?なんで俺に言わなかったの」 最悪だと顔を覆う悠に笑って、湊人は冷蔵庫から小さな瓶を取り出した。 その間にも悠はぶつぶつと文句を言っている なんでちょうどこのタイミングなんだ、俺が来れなくなってからじゃん、知ってて狙ったんじゃないの……などと愚痴は止まりそうにない たしかに、バイトという名目で毎週土曜日この店に立つようになった悠 平日も時間があれば顔を出したりもしていたのだけれど、半月前から大学で面倒な課題が立て続けに出された為そちらを優先することになったのだ(もちろん言い出したのは湊人から) そのおかげで早く逢いたいがために奇跡的な早さで課題を仕上げられたのだけれど、まさかその間にあんなあからさまに湊人が迫られていただなんて。 美しく、また独特な色気がある恋人だから元々不安はあったけれどーーー直接見るとダメージが半端ない。どこかに閉じ込めておきたいだなんて、馬鹿げた考えが頭をよぎるほどに。 「悠。もう斎藤さんは大丈夫だよ、諦めてくれた」 「湊人がすぐ俺に言ってくれてたら、もっと早く片を付けてた」 だから黙ってたんだけどな、とこっそり笑う湊人 きっと悠に言ったら課題を後回しにして店に来ると分かっていたから、電話でもメッセージでも言わなかった。 それに、斎藤さんのしつこさも想定外だった。 最初からきちんと拒絶していたし、恋人の存在も伝えたんだ。そのうえで2週間も粘られるとは思わなかったから。 今日、夕方に課題が終わり仮眠をとってから会いに行くと悠から連絡が来たから少し嫌な予感がして もし悠と斎藤さんが鉢合わせても変な誤解をされないようにイツキに頼んで来てもらったーーーまぁそのイツキが面白がって悠に実況中継してしまったみたいだけれど。 「それよりちゃんと仮眠はとれた?本当は閉店間際に来る予定だったんだろ?」 「数時間は寝たよ。でも我慢できなくて早めにこっち向かってたんだ。その途中でイツキからのメッセージを見た」 「あぁもう、イツキの馬鹿……」 「馬鹿は湊人。あとであいつのこと聞いてたら俺もっと怒ってるから」 「悠、こっち向いて」 隣に座った湊人に呼ばれ、ふてくされたまま顔を向けた悠 笑いながら見つめてくる年上の恋人は、やっぱり綺麗で そりゃ言い寄られるのなんて当然だし、四六時中監視していられるわけじゃない 浮気の心配もしていないし……ちゃんと断っていたのも分かってる。でも、それでも 「俺だけのものならいいのに」 「悠だけが特別って言ったはずだけど」 「んー……」 「悠はなにも分かってないね」 え、とまばたいた悠の目の前で、小瓶の蓋を開けクイッと呷る湊人 甘いアルコールの香りがふわりと漂った瞬間、不意にうなじを掴まれ濡れた唇が押しつけられた。 自然と開いた唇の隙間から、柔らかな舌とともに流し込まれる液体 絡みつくように濃厚な甘さのそれはーーー 「ワイン……?」 「銘柄はなんでしょう」 「……わからない」 「ふふ、ペドロ・ヒメネス」 ペドロ・ヒメネス? なんだっけ、イツキに借りた本に載ってたような あれはたしか、えっと……あぁ、そうか 「シェリーだ」 「正解。試供品で貰ったんだ。最近女性客も増えてきたから入荷しようかなと思って」 シェリーの中でも特に甘口な『ペドロ・ヒメネス』 常連客は男性が圧倒的に多い“b・t・s”でもマスターである湊人、そして悠の噂が広まったのか近頃女性客が爆発的に増えてきた。 甘めのメニューを増やそうかと思案中ではあるけれど 「甘口でもシェリーはかなり度数強いから心配なんだよね」 「あぁ、たしかに」 「それに、女の子が“何も知らず”オーダーしたらどうしようかなって」 「ははっ、そんな心配まですんの?」 「だって俺は悠以外とは絶対に飲まないよ?」 空になった小瓶を振って微笑む湊人 その顔を見つめながら、ようやく悠は思い出した。 そうか、シェリーの酒言葉は 「今夜はあなたにすべてを捧げます」 ぽつりと呟いた悠に、湊人が艶やかな瞳を細め笑う そのまま「正解」と囁く唇はまだ微かに濡れていて 不意に顔を寄せくちゅりと唇を舐めたら、甘さに隠れたアルコールがふと鼻を抜けた。 あぁ、眩暈がする でもそれはきっと、シェリーのせいじゃなくて 「湊人」 「ん……?」 「逢いたかった」 「……うん」 「好きだよ」 「俺も」 「今夜は寝かせない」 「ふふ」 「一緒に住もうか」 「いいよ……え?」 しぱしぱとまばたく湊人の頬を撫で親指で唇をなぞる悠 一拍置いてから徐々に赤らんでいく様が可愛くて思わず笑うと、湊人は少し眉を寄せて唇を尖らせた。 「か、からかうなよ」 「からかってない。一緒に住もうよ」 「だ、だって、そんなの今まで……」 「半月会えなくて実感した。離れてるの、もう無理」 「でも……でも、俺帰るの夜中だし、悠の睡眠の邪魔になったらストレスが」 「湊人」 ちゅっと軽いキスで湊人の言葉を遮りまっすぐに見つめる悠 まるで吸い込まれそうなほどに深い色味を持つその瞳は、湊人にとってどうしようもないほど愛おしいもので 初めて目を合わせたあの日から、ずっとずっと、特別で 抗うことなんてできないんだーーーそれが自分にとって幸せなことなら、なおさら 「……でも、一緒に住んだら俺の嫌なところ見えちゃうかも」 「ふは、湊人の嫌なところ?あるかな」 「一緒に居すぎて飽きたりしない?」 「湊人は俺に飽きる?」 「俺は飽きないよ。でも」 「湊人はなにも分かってないね」 俺がどれだけ湊人を好きか どれだけ愛しているか まだまだ伝え足りてないみたいだ 「やっぱり今夜は寝かせられないな」 「悠……」 「湊人、俺にちょうだい」 「え?」 「ぜんぶ」 戸惑う唇にもう一度キスをして 今夜だけじゃなく これから先の未来をすべて ーーーなにもかも、すべて 「俺に捧げてよ、湊人」 「……っ」 「俺もぜんぶあげるから」 囁いて笑う悠に 瞳を潤ませた湊人が小さく頷くのは1分後 シェリーよりも甘いキスが終わるのは5分後 もつれるようにシーツの海へ沈むのは20分後 2人が幸せな笑みを交わし永遠の愛を誓うのはーーー……

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