1 / 2

前編

 俺の名前は模武田(もぶだ)模武郎(もぶろう)。  ネオジャパン株式会社――通称『ネオ株』――に勤める、ごくごく普通のサラリーマンだ。  いつもは都内某所にある地上三十五階、地下三階建てのビルの二十五階にあるオフィスで、神崎(かんざき)理人(まさと)室長率いる東京支社長秘書室の一員として日々奮闘している……んだけど。 『よし、そこは第三案でいこう。支社長も納得してくれると思う』 「はい!」 『あとは? 確認しておきたいことはないか?』 「ない……と思います。説明資料をまとめる段階でまた矛盾が出てくるかもしれませんが……」 『うん、そうだな。その時はまた擦り合わせしよう』 「はい、お願いします」  艶やかな液晶画面の中で、神崎室長が穏やかに笑んだ。 「あの……室長」 『ん?』 「本日は貴重なお時間をありがとうございました」 『いや、模武田くんからコンタクトしてくれて嬉しかったよ。仕事自体は在宅でもできないことはないけど、オフィスでは雰囲気で伝わる些細なことが、今は全部言葉にならないと分からないだろ。だから遠慮なんてせずに、どんなことでも相談してほしい』 「ありがとうございます」 『うん。それじゃあ、お疲れ様。あんまり頑張りすぎるなよ』 「はい、お疲れ様でした」  ビデオ通話アプリの終了ボタンを押すと、ポンッという電子音と一緒に、室長の笑顔が消えた。  真っ黒に戻ったタブレットに反射しているのは、引きつった自分の顔。  さっきまで眺めていたイケメンとのギャップはすごいけど、見慣れた平凡さになんとなく安堵する。  一時間近く酷使した頬の筋肉を指で解すと、滞っていた血流が再開するのを感じた。 「はぁ……緊張した。……し、カッコ良かった」  初めての在宅勤務が始まり、今日で十日。  提出期限の迫った資料作りに行き詰まり、ひとりじゃもう無理だと神崎室長にSOSを発信した。  そうしたら土曜日で休日にも関わらずすぐにメールを返してくれて、さらにビデオ通話で作成途中の資料を一ページずつ確認しながら、ひとつひとつ丁寧にアドバイスしてくれた。  室長の助言を必死でメモって、赤い注釈でいっぱいになった資料を見つめていたら、ものすごくやる気が湧いてきた。  神崎室長は、かっこいい。  ものすごくかっこいい。  端的に言うと長身のイケメンで、東大首席卒という稀有すぎる経歴を持つ文句なしのインテリ。  ポロシャツとチノパンといういつもよりラフなスタイルも相まって、画面越しに見つめ合うたびに心臓がドキドキした。  でも、そんな主観的な感情を抜きにしても、室長の下で働けることは嬉しい。  どんなに小さなことでも達成すれば必ず褒めてくれるし、困った時はなにも言わなくても気づいて声をかけてくれる。  それでも決して無条件に甘やかすわけではなく、間違っている時は厳しく指摘する。  ただそれだけで終わるわけではなく、今後どうしていけば良いかを問題提起して、一緒に考えてくれる。  それが、神崎室長だ。  俺も、いずれ彼のような上司になりたい。  数年後なのか、十年後なのか、数十年後なのかは分からないけれど。  もちろんそのためには、日々の業務のひとつひとつをしっかりこなし、少しずつでも前進していけるように頑張らないといけな―― 「うわッ!?」  突然、ビデオ通話の着信音が鳴り響いた。  再び明るくなった画面の中心で、昔ながらの喫茶店で出てきそうなクリームソーダの写真が踊っている。  神崎室長が愛用しているアイコンだ。  なにか言い忘れたことでもあったんだろうか?  通話ボタンを押すと、画面いっぱいに映し出されたのは室長のドアップだった。  なんだか妙に近い。 「室長? どうしまし――」 『んっ……ん、ふぅ……』  え。 『あっ……あぁん……っ』  えっ……?

ともだちにシェアしよう!