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6 降りかかる災難、幸福の足音

 季節が移ろい、明け方から降り続いた豪雨と共に雷鳴が轟く6月のある日。  放課後の生徒がほとんど残っていない教室で、一緒に帰ると約束した神澤が訪れるのを待っていた時のことだった。 「ノア」  突然、ねっとりと絡み付くような声で呼ばれ、はっと顔を上げると、いつの間にか隣にいた東條がにたりと笑っていた。  そして、その後ろには橋場がいて、ぞっとするほど冷たい目で睨みつけてきている。 「な、何の用、だ……」 「ちょっと顔貸してくれない?大事な用があるからさ」  言動に乱暴さはさほどないが、鋭い眼光に射すくめられているうちに強い力で後頭部を掴まれると、どういう意図があるのか、ぐいと橋場に顔を近付けさせられた。  途端に強烈なフェロモンが鼻を襲い、咄嗟のことで息を止める間もなく大きく吸い込んでしまう。 「……っく……ぅ……」  カッと体が発火したように熱くなり、理性で抑えようとしても股間のものがもたげ始めたのを感じた。  無意識に足を擦り合わせると、それを見た東條が不気味な笑みを広げて腹部を蹴り上げてくる。 「……うっ……」  痛みのあまり意識が薄れていく中、東條の舌なめずりする顔が見えた。  ぬちゃ、ぬちゃ、という水音がまず耳についた。続いて殴られるような強烈な刺激を下肢に覚えて、恐る恐る目を開く。  まず目についたのは天井の木目と飛び箱で、すぐにそこが体育館倉庫だと分かる。そして、あの倉庫の独特な匂いを遥かに凌駕する甘ったるいフェロモンの香り。 「……っ……ぁ……」  思わず声が漏れたのは、フェロモンのせいだけではない。ペニスを直接這う滑った感触と、生温かいものにすっぽりと咥えられてじゅるじゅると音を立てて吸われたからだった。  吸われた……?  自分の思考が意味することに気付き、下肢の方へ視線をずらすと、今まさに屹立を咥えて顔を上下に動かしていた東條と目が合った。 「……っ、ぁ、あ……やめ……」  ぞっと怖気が立つが、フェロモンを嗅ぎすぎて麻痺したのか、意思に反して自分のペニスがぐっと張り詰めるのを感じた。限界が近いことを知り、それが東條によってもたらされていることが嫌で堪らず、必死で抑え込もうとするが。 「……ぁ、ぁあ……っ」  一層強く啜り上げられて、とうとう口の中へ放ってしまった。 「……うっ……く……」  悔しさのあまり涙を滲ませていると、東條はそんなノアのことなどお構いなしに再び股間に顔を埋めた。 「やめ……ろよっ」  射精したばかりで刺激に弱くなっているものに触れられる寸前、渾身の力で東條の頭を蹴飛ばす。 「……ってぇな……」  ゆらりと立ち上がった東條は、舌打ちしながらノアを睨む。その目には理性の欠片も残っておらず、そのことにぞっとしていると、背後から声がした。 「あんたのせいよ。砂川先輩が私を見てくれないのは」 「……っ……つぅ……」  振り向こうとしたのだが、キラリと光るものを喉元に当てられて身動きが取れなくなる。それが刃物だと感じて身を竦ませながらも、必死で言い募る。 「砂川先輩は別に俺のことなんか……っ」 「見てたんだから。あんたが屋上で先輩と」  橋場が見たのがあの時のキスのことだと分かり、誤解だと弁明しようにも砂川の真意が見いないのはノアも同じで、咄嗟に言葉が出てこない。 「ほら、何も言い訳できないじゃない。それに、あんた神澤先輩にも抱きつかれていたし、男のαなら何でもいいんでしょ。だったら、東條だってαだし、それにこの男、ずいぶんあんたにご執心よ。やりたくて堪らないみたい。ほら」 「ひっ……」  後ろに気を取られているうちに、東條はノアの両足を掴んでM字開脚させると、その奥の窄まりに熱塊を今にも突き刺そうとしていた。 「や……やだ、やめろ、やめてくれ!」  逃げようともがくにも、首に当てられた刃が怖くて動けない。硬いペニスの先端が僅かにめり込んできて、堪忍しかけた時。 「ノア!そこにいるんだろ?ノア!」  ドンドンと扉を叩く音がすると同時に神澤の声がして、大声で返事をする。 「俺はここにいます!」 「ちっ……」  舌打ちしながらもまだ諦めるつもりがないのか、腰を進めようとしてくる東條だったが、外から砂川の声も聞こえたことで橋場の手が緩み、カッターナイフが滑り落ちる。 「ほら、鍵を取ってきたから、突き破る必要はないよ」 「早く言え!」  それからすぐに倉庫の扉が開き、中へ神澤が飛び込んで来る。そして東條を押し退けて、あられもない姿をしたノアを躊躇わずに抱き締める。 「ノア、もう大丈夫だ。怖かったな」 「青空……っ」  ほっとして涙を零し、しがみついていると、次第に落ち着いてくる中で神澤の体が震えているのを感じた。 「青空……?」  不安を覚えて名前を呼ぶと、ぽんと頭を撫でながら身を離し、何も身に着けていない下半身に上着をかけられた。そして、低く唸るような声で言う。 「京、その女は任せた」 「うん。半分は俺のせいだしね。でも、くれぐれもやり過ぎて退学を食らわないように」 「……ああ」 「さ、橋場さん。そんな危ないもの仕舞ってついて来て」 「砂川先輩……」 「おっとその前に」   うっとりした顔つきでふらふらとついて行こうとしていた橋場を制し、何かを差し出した。 「はい、これ飲んでね。特別に強い抑制剤だから君にも効くはずだよ」  素直に橋場が錠剤を飲んでいる傍ら、神澤は別人のように怒りを顕に指を鳴らすと、東條に殴りかかった。その一打がよほど強烈だったようで、東條は吹っ飛んで用具入れに背中を打ち付けて倒れる。  唖然としてそれを見ていると、しぶとく起き上がった東條は血のついた唾を吐いて笑う。 「何が可笑しい」 「可笑しいさ。だいたい、お前だって過去に強姦未遂をしたことがあるだろ?それなのに正義の味方気取りか?」 「昔のことだ」 「この前、叶枝を襲おうとしたくせによく言う。むしろ俺よりお前の方が危険人物だろ」 「……っ、それでも。それでも俺は、ノアを傷付けたお前を許さない」 「助けることで昔の罪滅ぼしでもしたつもりか?」 「違う。俺は、もう二度と大切な人が傷付くのを見たくないんだ。たとえ傷付ける相手が俺自身でも許さない。だから、同じ過ちを繰り返さないように、もう好きな相手は作らない、作っても近付かないと決めていた。だけど遠ざけても守れないなら、俺はこの体を作り変えてでも傍にいて、守っていた方がいいんだと気付いた。他ならぬお前と、京のおかげで」 「ふん……」  東條は鼻を鳴らし、ノアの方に一瞥をくれると倉庫から出て行った。どこか悲しそうな目を見て、やり方は間違っているし、許すことはできないが、東條は自分に本気だったのかもしれないと感じた。  話している最中に砂川たちは出て行ったのか、いつの間にか倉庫にはノアと神澤だけが残されている。  我に返っていそいそと脱ぎ捨てられていたスラックスを履くと、神澤はノアを抱き寄せてきて、いつかの再現のように肩口を開いて舌を這わせてきた。 「ん……っ、ちょ、ちょっと青空……っ」  またフェロモンに当てられているらしく、息が荒い。どうやらずっと我慢していたようだ。 「ごめん、ノア……君の匂いを嗅ぐと落ち着く気がするから、もう少しこのまま……」 「とか言いながら……んっ変なところ触らないでくださ……っ」 「ごめん。止まらない。ノアが東條にやられそうなところを見て、俺のノアに何するんだって咄嗟に思って。ノアが俺のことを好きって言いながら、友達になろうとか言ってきた時とか、ほっとするべきところなのにショック受けてさ」 「ショックって……え?」 「本当は最初に電車で目が合って、声をかけられた時から好きになりそうな予感がしていたんだ。でも、俺は臆病だから、昔のことを繰り返さないように無意識にセーブしていた。そんな時、ノアがβだと知って、ほっとしたらセーブしなくてもいいかもって思って、気になるようになって」 「えっ、電車でって……え?それって最初から……え?嘘……」  次々に胸の内を明かされても尚、告白めいた言葉を信じられずに神澤を呆然と見つめると、頬を赤らめながら熱っぽく見つめ返された。  その瞳に吸い込まれそうになりながら、恐る恐る尋ねる。 「青空は、俺のこと好き?」 「うん、俺はノアが好きなんだ。だから、ノア、俺と友達じゃなくて恋人になってほしい」  赤い顔のまま真剣に言われて、次第に胸に広がる幸福感をじっくりと噛み締めながら、ノアは答えた。 「もちろんです。俺も青空をどうしても諦められなくて、困っていました。片想い歴長くて重いですが、最後まで責任を取って下さいね」 「最後まで責任って、こういうことも込みで?」  至って真面目な顔でペニスを撫でられて、腰が震える。 「あ……っ、そ、それは今は駄目です」 「なんで?」 「なんでって、だって俺、さっき東條に舐められたばっかりで、汚……」 「舐められた?どこを?というか、最後までされた?さっきほとんどやられかかってたよね?」 「さ、最後までは、されてないです」 「最後までは?どこまでされたか、じっくり教えてよ」 「あっ……まっ、待ってくださ……」  どこか苛立った様子の神澤にペニスをやわやわと揉まれながら耳を甘噛みされて、慌てて逃げようとするも片腕でしっかりと抱き込まれていて叶わない。 「や、やめ……」 「嫌?でも東條にされた直後だからこそ、尚更嫌なこと忘れたいだろ?それに、こっちは喜んでいるみたいだけど」 「あっ……」  反応し始めた屹立の、その先端をぐるりと円を描くように押されて腰が揺れそうになった。 「こ、こんな……」 「ん?」 「こんなの当たり前です。好きな人に触られているんですから」 「ノア……」 「青空がこんなにSっ気があるとは知りませんでした」 「こんな俺は嫌い?」  意地悪な表情から一転し、不安そうに問われて思わず笑ってしまう。 「いいえ。でも、ここは誰が来るか分かりませんから、場所を変えませんか?」  その提案に頷いた神澤は、自宅へ招待してくれた。その際、急なことで心配させてはいけないと、允たちへ友人宅へ泊まることを伝えようとしたところ、携帯を覗き込んだ神澤が勝手に「恋人宅」と打ち直して送信してしまった。  後で問い詰められることを覚悟した方がいいだろう。

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