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母に支えられながらレンガ造りの産婦人科から出てきた小夜子の携帯電話
が音を響かせる。
軽やかなクラシックのその曲に気付いたのは母で、どこかぼんやりしている小夜子にそのことを教えた。
「秋良さんかしら?」
「……」
液晶を見た小夜子の呼吸が一瞬止まった。
点滴を外したばかりで、違和感の残る腕を握り締める。
「ちょっと…話してから行くわ。先に車に行ってて」
「大丈夫?」
あまりにも酷い悪阻の為に入院していた小夜子を気遣い、母はその傍を離れるのを嫌がるような素振りを見せた。
「座って話すから大丈夫よ」
そう笑い、小夜子は少し離れた花壇の端に腰を下ろし、『圭吾』と表示された携帯電話の通話ボタンに手を掛けた。
耳に当てても、沈黙しか返らない。
「―――――――圭吾」
『っ…』
「圭吾」
『…ねぇ……さん』
「うん」
小夜子は、あれ程頭の中に渦巻いていた罵詈雑言の言葉を言おうとしたが、繰り返し繰り返し唱え続けたその呪詛は1つとして口から零れる事はなかった。
「…元気…なの?」
代わりに、ぽつりと気遣う言葉が溢れる。
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