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それはたぶん我が儘なんかじゃないから

 ピンポンとインターホンが鳴って、何か注文したっけな、なんて呑気なことを考えながら受話器をあげた。 「はい?」 『あの……ごめん、オレ……』 「…………あほが」 『っ、みのっ』 「待っとれ」  こちらを窺うようなオドオドした声だった。何度か電話で聞いて、時々はビデオ通話さえしていた。  パタパタと走って行ってドアを開けたら、ホッとしたのとしょんぼりしたのが半々くらいの申し訳なさそうな目をした渉が立っていた。顔の半分はマスクで覆われているものの、しょげ返っていることが分かる。 「あのっ……ごめ、」 「とりあえず入れ」  泣き出しそうな目に縋られて溜め息が出る。  オレだって別に、会いたくなかった訳じゃない。むしろ会えるものなら会いたかったのだ。  とはいえ、ご時世というものがある。 「……どないした」 「……その……やっぱ……我慢できなくて」 「……」 「……稔の飯」 「…………ほんっまにお前は」  こんな時くらい嘘でも会いたかったって言《ゆ》われへんのんかと呆れながらも、変わらなさに思わず笑ってしまった。 「……とりあえず、手ぇ洗《あろ》てうがいしてこい。なんか作ったる」 「やっ……たぁ~!!」 「うるさい! 近所迷惑や!」 「いって~」  いつものノリで頭を叩き下ろしただけなのに。  渉はやけに嬉しそうに笑った。 「久しぶりだな、ホントに」 「……あほ。こんくらいで泣くな」 「……泣いてねぇよ」  冷蔵庫にあるものだけで作った適当なチャーハン2人前。2人分作るのも久しぶりだな、としんみりしてしまったけれど、顔には出さないように気を付けながら皿を渉の前に置いてやった。 「やったぁ! チャーハンも好き!」  「さよか」 「あっ、違うぞ違うぞ! 稔の飯は全部好きだぞ!」 「うるさい分かっとる」  一人暮らしの小さなテーブルだ。離れようもなく向かいの席に座る。 「いただきます」 「……いただきます」  いつもよりも嬉しそうな顔をした渉が、いつもよりも長く手を合わせてからスプーンを持ち上げる。 「ずっとさ……稔の飯、……ホントにめちゃくちゃ食いたかったんだよなぁ……」 「お前な。せめてオレに会いたかったとか言われへんか……」 「何言ってんだよ。稔の飯と稔に会うのはセットじゃん」 「……なんじゃそら……」  もぐもぐといつも通りに大きな一口を頬張った渉が、うめぇ、とほとんど泣いている声で呟く。  もっふもっふとリスのほっぺを作ってふにゃふにゃと笑った渉を、久しぶりに真正面から見つめて、──ふと首を傾げた。 「…………お前……なんかちょっと痩せたか?」 「……だって……。……飯、美味くねぇんだもん……」 「……はぁ?」 「食ってるよ? ちゃんと食ってるけどさ……一人だし、ずっとコンビニ飯も飽きるし……食う量が減った。……ちょっとだけ」  もにょもにょとばつの悪そうな顔で呟かれて大袈裟な溜め息が漏れる。 「お前な。この免疫力がどうのこうの言われてるご時世に飯食わんとか、」 「だから! 食ってるって! 減っただけ!」 「……」 「……──もうさ……限界。……一人で飯食うのってさ、あんな淋しかったっけか……」 「……渉……」   スプーンを置いた渉が、ずび、と水っぽい音を立てる。 「なんで……一緒に暮らさなかったんだろ……嫌とか言われてもいいから、一緒に暮らしとけば良かった」 「渉……」 「一緒に……! 一緒にいたい……! 飯食う時も、寝る時も! 朝から晩まで! ずっと一緒にいたい!」 「……」  小さな子供みたいに俯いたままで泣く渉が絞り出す声に胸を抉られる。 「ちゃんとするから……! 家事とか、家賃とか、ちゃんと半分やるから……! 一緒に住みたい。……一人でずっと家にいてさ……たまに電話したって淋しいだけだよ……っ」 「──どあほが。オレがどんだけ我慢しとったかホンマに分かっとんのか」  呻く声は、渉に届いているだろうか。  ゼロ距離で強く──力一杯抱き締めて腕の中に閉じ込めた渉に、こんなにも小さく震えた声は、届いただろうか。  あの日、大の字ですっ転んだまま駄々っ子のように泣いた渉を、説得したのはオレだった。ゆっくりちゃんと恋人になろう、なんて大人の余裕をかましたつもりで。  友達と恋人の間みたいな、境界線の真上でジタバタするんじゃなくて、ちゃんと恋人として一緒に暮らしたいんだと。──あの日の自分の言葉を後悔しているだなんて、口が裂けても言えなかった。  こんなことになる未来が予測できていたなら──きっと、あの日から一緒に暮らしていたに違いない。  こんなことになって、どれほどあの日を後悔したことか。一緒に暮らしていれば、電話越しに寂しそうな声を聞いてもどかしさを噛み締めることもなかったし、「腹が減った」と空元気で笑う声を聞いて「オレもや」と同調することしか出来ない悔しさを飲むこともなかった。  同じだ、ずっと。どっちが淋しかったかなんて、決まってる。どっちも淋しかったし、どっちも辛かったし、どっちもいつも空腹だったのだ。二人で食べる食事の幸せを知ってしまったら、一人で食べることの味気なさに耐えられるはずがない。 「……食うぞ、飯」 「……みのる?」 「食うて食うて食いまくって、腹一杯なったらぐっすり寝て、朝起きたらまた食うて寝る」 「……?」 「そんでしょーもないことで笑って喧嘩して仲直りで1発ヤッて、風呂入って飯食って寝る」 「……みのる? 何言ってんの?」 「免疫力様々やな。二人でおったらウィルスなんぞくそ食らえや」 「……」  ポカンとして口を開けたまま首を傾げている渉の、唇の端にキスをする。 「っな!?」 「口開いたままやぞ」 「だっ、て……稔が急に意味わかんねぇこと……っ」 「意味分からんか? 一緒におったら免疫力が上がるっちゅう話や」 「…………いっしょに……?」 「飯食うて、運動してよぉ寝る。免疫力アップの鉄則やろ」 「なる、ほど?」 「食え、とりあえず。お前は体型が元に戻るまで食え」 「いや、そんな急に食えねぇだろ」 「抱き心地の問題とイコールやねんぞ。大至急じゃ」 「抱き心地……?」 「なんや、分からんか? 試すか今から」 「ばっ!! 飯が先だ!! オレは! 稔の飯がずっっっと食いたかったんだからな!! 邪魔すんな!!」  頭のてっぺんから湯気が見えそうなほど顔を真っ赤に染めた渉が、皿を抱え込んでオレからそっぽ向く。  しばらくカチャカチャと食器の擦れる音と、まるで咳き込むようにガフガフとがっつく音が響いた後で、こちらを窺う目が一瞬だけ向けられる。 「…………でも、その……これから毎日、3食……絶対稔の飯が食えるんだったら……その……ちょっとだけなら、邪魔しても許す」 「だから、……素直にイチャつきたいて言えんのかお前はホンマに可愛いな」 「かわっ!?」  可愛いってなんだと言いたかったに違いないチャーハンまみれの口を塞ぐ。有り合わせで適当に作ったわりには悪くない味のチャーハンを味わったら、目を白黒させている渉の手から皿とスプーンを取り上げて机の上に置いた。 「……お前とする時、なんでこう毎回色気がないんやろな……」 「っ、悪かったな!」 「いや、まぁ……悪ぅないと思てるで」 「……は?」 「飽きへんわ、お前は。ずーっと一緒におっても、全然飽きん」 「……それ、誉めてんの?」 「当たり前やろ」 「……あっそ」  照れ臭そうに顔を逸らした渉の耳に唇を寄せて、耳の形を舌でなぞる。  ふるりと震えた肩を抱き締めたら、一回しか言わんぞ、と耳元に囁く。 「今日から家族、っちゅーことで」 「かっ!?」 「……嫌か?」 「嫌、ってか……その……急過ぎっつーか……でも、まぁ……うん、悪くねぇかも」 「さよか」  にひひ、と笑ったくしゃくしゃの顔に口づけを贈る。 「誓いのキスな」 「……だったら、……こっちだろ」 「んっ!?」  胸ぐらを捕まれた、色気の欠片もない喧嘩みたいなキスが。だけど幸せに満ちてるんだから自分も焼きが回ったんだろう。  ゆっくりと離れていく、照れ臭そうでだけどこっちを窺うような視線に笑って見せる。 「……いつまで経っても上達せんな……」 「るっせぇな……」 「どうせ家から出られんのやし……時間かけてゆっくり教えたる。オレの気持ちえぇとこがどこで、お前の気持ちえぇとこがどこなんか、な」

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