1 / 1

22歳と27歳 定食屋にて

 いつもの定食屋で、週に一度くらい彼をみかけていた。 駅前通りの、昔ながらの定食屋。引き戸を開けて入ると、右側のテーブル列と左側テーブル列があって、僕はいつも左の壁を背にして座った。 彼は、右の壁を背にして座っていたから、たまに目があった。 お互い時々店で見る顔で、それなりに社会性もあるから軽く会釈くらいはした。 いつだって元気そうで、金色に染めた髪と半袖のTシャツが目印だ。冬でも、ダウンジャケットを脱げば案外薄着で、食べっぷりと合わせて運動をしてるんだろうなと想像できた。店の看板娘との会話から、うちの大学の学生なんだなとわかった。それなりに、受験で努力したらしい。 その彼が、ある日髪を黒くした。食べながらも、しきりにスマホを気にしている。 ああ、就職活動が始まったのかと合点した。皆が通る道とはいえ、がんばれよと思ったことを覚えている。 そして、秋には黒髪はさらにさっぱりと短くなり、スーツを着て店にやってきた。 嬉しそうに、少し得意げにカツカレーを注文して、ビールも一杯飲んでいた。 きっと、内定式だったのだろう。 ゆるやかな変化を、見るともなしに見ているうちに、つい親近感がわいていた。 それは、席をたった後がきれいだったり、会計の時の明るい「ごちそうさまでした!」の声が心地よかったりしたせいだろう。  そして、卒業式をあと一週間後に控えた金曜日。また、彼がいつもの席に座っている。 髪はぼさぼさで、ひどく疲れているらしい。 彼に何があったのだろう。僕は、声をかけずにいられなかった。 「ここ、いい?」 突然頭の上から声がして驚いたのだろう。彼は、え?と小さく呟きながら顔をあげた。 大きな丸い目が、自分を映している。両の目尻に黒子が見える。 「あ、ええ、と、はい。あの、いい、ですけど、どうして?」 「ちょっと気になって」 色々考える暇を与えないとばかりに、強引に向かいの席に座った。元々四人掛けだから、二人で使っても問題はない。 「何か、用ですか?俺、今あんまし他人に優しくできないんですけど」 「そうらしいね。この店でずっと飯を食ってきた顔見知りが、そんな様子じゃ気になるに決まってんだろ。注文した?」 「これから」 「カレー?」 「今日は、チャーハンで」 「そういう気分?」 「いや、金が」 「カレーが食べたくないわけじゃない?」 彼は、小さく頷いた。 「すみません」 僕は、看板娘を呼んで、カレーライスとカレーライス大盛を頼んだ。 「大盛なんて、食べるんですね。あと、俺はチャーハンだって言いましたよね」 不機嫌そうに彼は言った。 「大盛は、君だよ。大丈夫、チャーハンとの差額は僕が払う」 勝手に半分おごると言ったら、みるみるうちに、彼の眉間に深い皺がよった。 「何で?」 その位で、僕も怯んだりしない。 「若い子がお腹すかせてる時は、大人が食べさせるのが世の習いだって、うちの教授が言ってた」 しゃらっと言い放つと、彼は一瞬ぽかんと口を開けて、それから小さく吹き出した。 「なんだよそれ」 「知らない?理工学部の名物教授」 「俺、経済だから」 「そう」 そのまま言葉が途切れて、出てくる予定のサラダを待った。 彼はやっぱり疲れているのか、反論してこない。ただ、ちびちびと水を飲んでは溜息をついている。 「もし、内定を取り消されたなら」 「倒産」 もうすぐ4月の入社式のはずなのに、内定を取り消されたのかと思った。そうしたら、もっと状況は悪かった。倒産したのだという。 「倒産?破産?そういうやつ。だから、内定取り消しの文句を言おうにも、取り消しを取り消してもらおうにも、どうにもしようがないんだよ」 彼は、泣きそうに眉をしかめてそう言うと、また水を飲んだ。グラスは空っぽだ。 「ごめん」 「あんたが悪いんじゃないよ」 それでも何か言葉をと探していると、お待たせしましたとサラダがきた。 「あれ?」 「今日は、ポテサラ付きなんです」 店の看板娘、80歳を過ぎたおばあちゃんはにっこり笑った。 目の前の彼は、おばあちゃんに深く頭をさげて、サラダを掻きこんだ。 「まずは、食べないと」 独り言のつもりだった。でも、丸い大きな目がみるみるうちに波立って、ぽとぽと落ちる滴がテーブルを濡らした。 「あ、あの、」 「いいよ。食べよう。ほら大盛カレーきたよ」 それから二人で、だまって食べた。 ☆  その人のことは、俺が先に気が付いた。いつもの店にカレーを食いにいったら、反対側の壁を背にして、すらっとした人がやっぱりカレーを食べてた。 頼んでるのは、カレーが多いかな。真冬はシチューを食べてることもある。よくこぼして、テーブルをせっせと拭いている。その様子をちらちら盗み見てたら、目があった。 嫌がられるかなと思ったら、小さく目で挨拶してくれた。 少し釣り目なのかなと思ったら、目じりがきゅっとさがって可愛くなった。 いつもジャケットを着てるから、ちゃんとした大人なのかなと思ってた。本当はどんな人かまるで知らないけど。 そのうち「いつもの人」になって、店に行く楽しみの一つになってた。 通い始めて4年が過ぎようとした3月。俺の人生は、降りだしに戻った。いや、マイナスかな。 まさか、内定の出ていた就職先が潰れるなんて。 どうしていいかまるでわからない。親にも申し訳ない。大学の就職課に相談に行ったら、今から慌てるより4月からの第二新卒を狙えとか言うし。 もうすぐ卒業式なのに。 考えれば考えるほど焦るばっかりで、家にいたくなくていつもの店にきた。 引き戸を開けると、いい匂いが流れ込んでくる。なのに、食欲がわかない。何か頼まなくちゃここにはいられないのに、溜息しかでない。 そしたら、あの人が目の前に立ってた。 勝手に目の前に座って、勝手に料理を注文し始めた。しかも、大盛カレーライス。 わけがわかんないけど、嬉しくて。泣きながらサラダを掻きこんで、カレーを半分くらい食べたところで、やっと落ち着いた。 「あの、失礼な態度で、すみませんでした。俺、林昇汰っていいます。やっぱりカレーで正解です。ありがとうございます」 「勝手にやったことだから。僕のほうこそ、悪かったね。少し元気になったみたいで、よかった。僕は、板垣靖史です。理工学部地学科で非常勤講師をしてる」 「地学系の講義は、取った事なくて。でも、いつもこの店で、会ってた。っていうのも変だけど」 「そうだね。近距離で遭遇してた」 「俺が、先に板垣さんを見つけたの、知ってます?」 「え?そうなの?僕が先かと思ってた」 板垣さんは、そうだったかなって言いながら、ふふって笑った。やっぱり、目じりが下がると可愛くなる。 じっと見てるのも悪い気がして、思い出したようにスプーンを動かして大げさに食べてみせた。 そうしたら、板垣さんはまた笑ってくれて、この店の好きなメニューや揚げ物トッピング、ごくたまに食べられる刺身定食の話なんかで盛り上がった。  もう、コーヒーしか残っていない。 俺は、もう少し板垣さんを引き留めたくて、言ってもしかたがない愚痴を言い始めた。 「運が悪かったんですかね。倒産した会社の他に3社内定もらって、さんざん考えて決めたはずなんです。断った会社にも悪いことしたし」 「どんな仕事?」 何か力になれることがあれば、そんな顔をしてくれる。でも、板垣さんとは多分無縁の仕事かな。 「インテリア関係。将来的には、ホテルの部屋をデザインしてみたいんです」 「そうか。その方面は、力になれない」 やっぱり。そう言って、板垣さんも肩を落とす。いいんです。気にしてくれただけで嬉しいんです。そう思いつつ、盛大に溜息をついて少し甘える。 「でも、もうダメです」 「何が?」 俺の様子に、板垣さんは怒ったように眉間に皺を寄せて体を前のめりにする。少し哀れを誘いすぎたか。 「俺がですよ。卒業するのに、仕事がない」 だから、なるべく軽く言ってみた。 ほら、あなたがそんなに気にしなくてもいいんですよって。なのに、板垣さんは諭すように言葉を重ねる。 「君が就職するはずだった会社が倒産してダメになったことは、君の実力には関係ないんじゃない?君がダメになったわけじゃない」 「俺の実力?」 「そう。合計4社も内定を提示したんだろう?なら、自信を持たなきゃ。君がした努力も身に着いた能力も、何も減ってないんだから。君がお客さんに提供したい空間、くつろげる部屋?が、どこでなら実現できるか。もう一度、探してみようよ」 親切にしてもらったついでに、ちょっと甘えたかっただけなのに。板垣さんは、真剣に俺のことを考えてくれている。 それがありがたくて、甘ったれな自分を反省した。 「ありがとうございます。このままぐずぐずしててもしょうがないし、動いてみます。本当に今日は、ありがとうございました」 その言葉を潮に、俺たちは席をたった。  結局、板垣さんは二人分払ってくれた。 「君が元気になったんなら、それでいい。僕も余裕があるわけじゃないから、店のランクアップはできないけどね」 いたずらっぽく笑ってくれたから、少し距離が近づいた気がした。 やっぱり、また会いたい。 そう思ったら、俺の口は止められない。 「また、会ってもらえませんか。就職が決まったら、お知らせしたいんです」 え?と少し驚いたように目を丸くして、今度は三日月のように目を細くして笑ってくれた。 「いいよ。じゃ、これ」 そう言って、鞄のどこかから名刺を一枚取り出してくれた。 「ありがとうございます!」 喜んで、俺が間合いを詰めすぎた。板垣さんの手から名刺が滑り落ちて、慌てて二人で地面に向かって頭を下げた。 板垣さんのジャケットの襟元が、俺の鼻先をかすめたその瞬間。甘い爽やかな花の香りが、胸いっぱいに広がった。 「うわっ、いい匂い!板垣さん、すっげーいい匂いしますね!」 それは、可愛い人の胸元から立ち上る香り。何の香りか、教えてほしい。下心を押し隠して、キラキラした目で板垣さんを見上げた。 そうしたら、照れ臭そうに何度も瞬きしてる。えー、そうかなぁ。なんて言ってる。そんな姿も、可愛い。 だから、もう一度押してみた。 「ほんとですって。で、これ何の匂いですか?」 板垣さんは、恥ずかしそうに目を伏せて、「バラ」とだけ言った。  ちゃっかり手に入れた名刺とバラの香りを力にして、俺は絶対にまたあの人に会う。

ともだちにシェアしよう!