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起の章【1】
つけ麺屋の長テーブルにずらりと並んだリーマンの群れ。
その顔ぶれに混じる見憶えのあるツラに、矢嶋 恭介 はふと目を留めた。
知り合いってわけじゃない。この巨大なオフィスビルに居を構える他社の社員で、ここで見る日もあれば他店のテーブルに見ることもある顔。通路でスレ違うこともたまにある。
もちろんそんな存在は彼に限ったことじゃなく、この時間ともなれば地下にあるレストランエリアを埋め尽くす、見渡す限りのスーツ姿の1人に過ぎなかった。
ビルの中には女子社員も相当数いるはずなのに、ここに詰めかけるのは大半が野郎だ。
まず建物内全体で男の絶対数が多い。しかも大手企業の本社が同居してる関係上、オッサンの割合が高いせいか、特に若い女子はここでの食事を好まない。
で──そうして並み居るリーマンの中、何故その顔だけが目に止まるのかと言えば、だ。
ソイツはいつ見ても半端ない無気力感を撒き散らしていて、果てしなく億劫そうに食い物を口に運ぶさまは、ついつい箸を止めて眺めずにはいられないのだった。
それはもう、この上なくカッたるそうにダラダラとメシを食い、同僚らしきツレが話しかけても投げやりにひとこと返す程度。まるで刑務所の臭いメシでも食わされてるかのような風情は、食い物屋にしてみれば不愉快この上ない客だろう。
ただ、これがいかにもって感じのナリなら、ここまで気になることはないのかもしれない。
しかし、その男は背負ってる空気とは裏腹に会社員としての身なりは意外にきちんとしていて、そのちぐはぐな違和感が余計に神経を刺激してる可能性はある。
さらに、だ。
つるんでるツレというのがどういうわけだか、こんな野郎に心酔しきった態度で接するもんだから、とにかく目についてしょうがない。
おそらく年齢的にも階級的にもそっちがいくらか下で、まだ30手前といったところ。無気力のほうは32歳の矢嶋と同年代に見える。2人ともIDカードホルダは胸ポケットに突っ込んでるが、ネックストラップの色で十中八九ライバル会社だろうと見当はついていた。
隣から満面の笑顔で何か言われた無気力野郎が腕時計に目を遣るのが見えたとき、同僚の岩本がハンバーグ定食のトレイを手にやってきた。
「レジが新人みてぇで、すげぇ時間かかってよう」
このレストランエリアのランチタイムはフードコート的なシステムで、ツレ同士が各々別の店のメシを選んでも、いずれかの店内にトレイを持ち込んで一緒に食うことができる。
「あぁ、そういや見慣れない顔がいたよな、あそこのレジ」
おかげで岩本が来るまでの間、向こうの2人をゆっくり観察することができた。
「まぁ慣れてねぇのを怒ってもしょうがないけどさぁ、いくら何でも遅すぎだっつーの」
「とりあえず食えよ、時間なくなっちまうぞ」
濃厚な豚骨魚介スープの香り漂う店内に、デミソースの甘みと酸味がふわりと分け入ってきて、ハンバーグでも良かったなと、ふと思った。隣の芝生は青く見える。
長テーブルの奥では、彼らが席を立つところだった。
気のせいかもしれないが、毎度メシが終わる頃にはあの不景気面が多少マシになって見えるから不思議だ。食い終われば午後の仕事が待ってるだけだというのに──そんなにもメシを食うのが面倒なのか、もしくは職場によっぽどいい女でもいて、早く戻りたいとか?
しかしどんなに謎だらけではあっても、だからどうってこともなく、次に見かけるまでは思い出しもしない程度の存在だった。
確かに、次に見かけるまでは思い出しもしないというのは間違いなかった。
その、次というヤツが予想外にすぐやってきたというだけの話であって。それも意外な形で。
つけ麺屋で昼メシを食った当夜、残業で遅くなった矢嶋は帰宅途中の乗換駅で外に出て、適当に目についた焼き鳥屋に入った。
時刻は22時の一歩手前、入口から見る限り店内はほぼ満席。木曜の夜とはいえ、ピークの時間帯を過ぎてるにしては思いのほか混んでいた。
炭火の匂いと熱気がこもる空間に、炙られる食材が放つ香ばしい煙とリーマンたちの喧騒が満ちていて、そういえば給料日だからかと思い至った。
かろうじて空いていたカウンターの一席に案内され、沁みついた脂で僅かにベタつく椅子の木枠を引いて腰を落ち着ける。
「生ひとつ」
おしぼりを受け取りながら注文して、胸の裡で己にツッコんだ。1人なんだからひとつに決まってる。それでもつい数を言ってしまうのは、飲みの場に馴染んだ習性なのか。
どうでもいいことを考えて煙草の箱を出した矢嶋は、何気なく右隣を窺った次の瞬間、思わずその横顔を二度見していた。
この世の終わりかという風情で焼酎らしきグラスを傾ける隣のリーマンは、更にダメ押しで三度見しても昼休みのあの野郎にしか見えなかった。
──なんだ、この偶然?
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