2 / 106

第2話

―なんで、ヤツがここに.....―  今の俺は丸腰だ。しかもこの身体は大怪我を負っている。一発ぶちこまれたら終わりだ。が、次の瞬間、ふと気づいた。今の俺は俺じゃない。こいつとは何の関係もない、たぶん堅気の普通のガキだ。  俺は、布団の隙間からそうっ.....と顔を覗かせた。ヤツは、ベッドサイドに置かれた椅子に腰を下ろし、こちらを見ている。相変わらず無表情で、感情の読みづらい野郎だ。 「気がついたようで何よりだ。怪我は軽くは無いが、しばらくすれば良くなる」  流暢な日本語に、俺は眼を見張った。が、考えてみれば、こいつは表向きは国際的な企業グループのCEOだ。いわゆる企業ヤクザで、アジアの金融市場を握ってデカくなった。  だが、なんでこいつがここにいるんだ。 「日本の医療技術は大したものだが、いつまでもノンビリしているわけにもいかない。明日は私の自家用機で祖国に発つ。君の親類の承諾も取り付けた。いいね、高瀬 諒君」  俺は耳を疑った。この身体の持ち主だったガキとヤツの間にいったいどんな関わりがあるんだ? 「何のことですか?」  俺は努めて平静を装って、訊いた。 「忘れたのか?ご両親の多額の負債を肩代わりするかわりに君は裏組織に売られた。そして私が君を買った。......君がビルから飛び降りて意識を失っている間に....だがね」  平然と当たり前のように言うミハイルに俺は言葉を失った。   「男娼になって見ず知らずの男相手に身体を売るよりはマシだろう?」。  世間の裏ではその類いの人身売買が密かに行われていることは知っていた。そうやって目をつけた若者を拘束して、暇と金をもて余したセレブ連中相手に身体を売らせて荒稼ぎしている連中がいることも承知している。俺のいた組織では、そこまでえげつないことはしてはいなかったが.....。こいつ自身にまでそういう趣味があるとは知らなかったが.....。  だが、よりにもよって俺はなんでそんなガキの身体に入っちまったんだ?!  ヤツは俺の枕元の計器に目をやるとニヤリと口元を歪め、椅子から立ち上がった。 「今日はゆっくり休みたまえ。明日、迎えをよこす」  そしてヤツの唇がごく小さな声で呟いた。 ―覚悟しておけ。.....存分に楽しませてもらう―  ロシア語が分かる筈の無い少年の俺は、聞こえない振りをして布団に踞った。だが全身が総毛立ち、思わず身震いをしていた。  ヤツは、くくっ.....と喉を鳴らすと静かに病室から立ち去っていった。  次の日、まだ立つことも歩くことも儘ならない俺は睡眠薬を投与され、恐怖に戦きながらストレッチゃーに乗せられて病室から運び出された。  どれくらい眠っていたのかはわからない。  目が覚めても相変わらず、点滴はぶら下がっていたし、パルスチェックも枕元に据えられていた。違っていたのは、ふっと目をやった窓の外。いわゆる街中の風景はそこには無く、高層階から見る切り取ったような空でもなく、淡い影を落とす若木の枝と....おそらくは海であろう青々とした水面だった。 ―何処なんだ.....ここは―  かろうじて身をもたげて外の眺めを確かめる。風景的に日本でないことはわかる。香港のような雑多な気配もない。ヨーロッパ的なリゾート地のような、そうでないような気もする。  もう一度、部屋の中を見回す。殺風景は殺風景だが、病室にしてはやけに重厚な造りだ。分厚いマホガニーの扉だの腰高な飾り窓なんぞ病院にあるわけがない。それに、ベッドが広すぎる。V I Pならともかく、ダブルサイズのベッドなど普通の患者に用いる筈もない。  一通り辺りを見回す俺の目が見覚えのある顔をとらえ、再び俺は硬直した。 「お目覚めかな、坊や」  猫脚のベルベットのひじ掛け椅子にゆったりと身をもたせて、そいつは冷たい微笑みを浮かべていた。  俺はごくりと唾を飲み込み、あくまでも初対面のような口振りで尋ねた。 「ここは、何処なんですか?あなたはいったい.....」  ヤツの唇が...笑った。    

ともだちにシェアしよう!