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第4話 突破口

生きて帰るか白木の箱か どちらに転ぶか時の運 明日さえ知れぬ大陸 侠心の薔薇が咲く 戦況厳しくなる中、龍一と昭雄は大作戦へと駆り出される。二人に明日はあるのか?  月もない闇夜に曳光弾(注1)が激しく交差し、火薬と血の臭いが立ち込める。ここのところ昼も夜もなく、連隊のどこかの部隊は常に戦闘を続けていた。 「高松がやられた」 「駄目だ。イチコロだ」  昭雄も龍一もどこか生死に関する感覚がマヒしつつあった。自分は生きて帰りたいとは思っていても、その一方でもはや顔見知りの兵隊が死んでも驚かなくなっていた。  敵と味方の間で大爆発が起きた。後方にいる砲兵が支援砲撃をしてくれたのだ。 「バカヤロー!外すならせめて敵の後ろにしろ!」  龍一は殺気立った声で無線機相手に怒鳴りつけた。部下の一人や二人はあれで靖国神社へ行ってしまったはずだ。慌てて照準を修正させ、どうにか二発目は敵陣の真ん中に落ちた。  そのまま夜明けまでかかってどうにか夜襲に来た敵を撃退した。しかし、五人の戦死者が出た。砲撃で粉々になった一人は骨も残らず、代わりに落ちていた石を骨壺に納めて届けなければならなかった。  そうして戦死した部下の代わりにやって来る補充兵はどんどん質が落ちていく。もはや日本中で若い男は不足しつつあった。 「兄貴、この戦争はダメなんじゃないですか」 「馬鹿、憲兵にしょっ引かれるぞ」  二人は毎日酒保や町の酒場で飲んだくれた。日に日に酒の量は増えるばかりだった。「いいよなあ、お前はあと一か月で除隊なんだから」  龍一はビールを瓶でそのままあおった。昭雄は兵隊なので二年で除隊だが、自分はそうはいかない。内地に戻れる見込みは甚だ不透明だし、弾の当たらないところまで下がって指揮をできる階級まで出世する頃には戦争は終わるだろう。そもそも連隊長クラスでも弾が当たる時は当たるのが大陸の現実であった。 「いっそ逃げますか?」  昭雄はとんでもない事を言った。「将校なら簡単でしょ?」 「そんなことしたら家族に顔向けできねえだろ」  龍一は懐から届いたばかりの家族からの手紙を取り出した。実家の定食屋が龍一が出征しているお陰で繁盛していること、ムッソリーニ人気の高まりでローマ生まれの母親のイタリア料理がにわかに流行っている事などが書かれていた。まさか将校が脱走したなどという不名誉は被せることができない。  結局二人は時が解決してくれるのを待つしかないのだ。時々内地から届く手紙と酒と、日に日に爛れていくセックスだけが二人の心をどうにか支えていた。  激しく雨の降る野営地の天幕の中で、昭雄と龍一は激しく交わっていた。周りにはきっと聞こえているだろうが、もはや二人の仲は公然の秘密であり、誰も咎めようとはしなかった。それに、連隊には他にも何組か居るようだった。 「ほら、もっと締めて!」  天幕の中では昭雄の吸っている煙草の火だけが腰の動きに合わせてぼんやりと光っていた。煙草も近頃は兵隊には十分に行き渡らなくなりつつある。俺は何と恵まれているのかと昭雄は快楽を貪りながらちょっとした特権意識を感じることがあった。 「おお、いいぞ!もっとだ!」  一方正常位で昭雄に掘られる龍一は部下の命を預かる重責に疲れ切っていた。死ぬとわかっている任務に兵隊を赴かせることも経験したし、自分でも何人か敵を殺していた。死なない程度の喧嘩は何と楽なのだろうと思う事さえあった。  二人が過酷な戦争稼業を本当に忘れられるのは、こうして交わっている時だけだった。快感で脳をマヒさせる、これは一種の麻薬である。もはや二人は人目を気にする余裕のない中毒者になりつつあった。 「そら、イクぞ!」  最後の仕上げとばかり昭雄は煙草を消し、体中の力を振り絞って龍一の秘壁をこすり上げ、龍一は思わずうめき声を漏らした。真っ暗な天幕の中で二人の心だけが激しく燃えていた。  もうすぐ射精に至るという時、天幕の扉がわずかに揺れた。どう忍び込んだのか、一人の少年が銃剣を手に我を忘れて快楽に耽る二人に忍び寄った。  外も真っ暗だ、しかし、その瞬間雷が近くの木に落ちて外を照らした。少年の姿が一瞬昭雄の目に映った。 「手前!」  昭雄は射精を迎えた肉棒を龍一から取り出しながら枕元の服から素早く銃剣を取り出し、一か八かかで襲ってきた少年の右肩を突き刺した。少年は何か中国語で叫び声を挙げ、銃剣を取り落としてその場に崩れ落ちた。 「兄貴、このガキ何て言ったんです?」  昭雄は慌ててランプに火をつけ、褌を付けた。 「…お母ちゃんだとよ」  龍一は昭雄の精液と少年の血を手拭いでふき取って、少年の銃剣を手に取った。「クソッタレ!こいつはイタリア製だ」(注2)  呉海月は龍一に現地の農民が一生遊んで暮らせるほどの賞金を懸けていた。少年は賞金欲しさに野営地に忍び込んだのだ。  龍一は血の気が引く思いであった。こんな子供さえもが自分の命を狙いに来るのだ。 「このガキ、いっそ火あぶりにでもしますか?」  野営地に生えた木に縛り付けられた少年に昭雄は恐ろしい表情を向けた。少年は恐怖のあまりに泣き出した。 「よせ、離してやれ」  龍一に命じられて縄が切られ、衛生兵から簡単な手当てを受けた少年は足早に夜闇の中へと消えていった。 「いいんですか?見せしめに殺した方が…」 「やめろ!」  龍一はつくづく戦争が嫌になった。「今夜の事は忘れたい。無茶苦茶にしてくれ」 「…そういう事なら仕方がねえ」  二人は天幕の中に消えた。しかし、一晩中交わっても龍一の心のもやは消えることがなかった。  上層部はこの事件を受け、準備不十分ではあるが軍閥を完全に掃討しないとこの地域の安定はあり得ないという結論に至った。しかし、軍閥の本拠の城砦はほとんど要塞化され、連隊挙げての大仕事になることが予想された。  出発の前夜、二人はもう狂ったように夜を徹して交わり続けた。生きて帰れるか甚だ怪しい作戦であることを龍一は知っており、昭雄もまた知ったからだ。  何度達したか分からなくなった頃二人は眠りに落ち、起床ラッパで目を覚ました。 「これが聞き納めかもしれねえなあ」  龍一は枕元に残った一升瓶の酒を呷った。 「じゃあ、こっちはヤり納めだ」  ひと眠りしてもう一発の元気を取り戻した昭雄は、そのまま龍一にのしかかった。 「こら、点呼に遅れるぞ」 「兄貴が責任者でしょうが」  龍一も強くは抵抗しなかった。誰ももうこの件を追及しようとはしなかった。  その夜始まった攻城戦はそれも無理のない壮絶なものであった。高く分厚い城壁が張り巡らされた城砦を、十分な砲撃や航空支援もなしに殆ど歩兵だけで落とそうというのだ。ひき肉機の中に飛び込んでいくに等しい作戦であった。 「ロシアとの戦争がこんな感じだったと聞いたことがありますね」  銃弾が飛び交う中、窪地に隠れた昭雄は、隣にいる龍一に嫌味を言った。 「それより酷い。敵の装備がロシアより上等だ」  龍一は小隊の指揮に忙しい。指揮官は先頭に立つのが日本陸軍の伝統だが、この地獄の一丁目のような場所に居てそれを守れる龍一を昭雄は改めて見直した。 「趙小隊長殿、連隊長より伝言!爆薬で城壁を爆破して突破口を作れとのことです!」  若い少尉が本部から伝令に飛んできた。一番城壁に近いのは龍一の小隊である。その距離は10メートルとない。 「バカヤロー!そんなのは工兵の仕事だろうが」 「しかし、工兵隊は先ほど砲撃を受けて全滅しました」 「何?畜生!内地に帰ったら俺は軍を辞めて定食屋を継ぐぞ」 「兄貴、食いに行きますよ」  しかし、危険な任務だ。城壁と言ってもごく古く、爆弾を満載した破壊筒で穴をあけることは可能だが、その破壊筒は何人かで城壁まで運んで行って点火しなければならない。 「志願する者は?英雄になれるが、無理強いは出来ん(注3)」  龍一の声に小隊の兵士は顔を見合わせた。無理もない。あと一月で内地へ帰れるのだ。 「俺が行く!」  業を煮やした昭雄が手を挙げた。あるいは侠客として義侠心であったのかもしれない。しかし、龍一は内心狼狽えた。こんな危険な任務に出来れば昭雄を付けたくなかったからだ。  おずおずと何人かの兵が続いて手を挙げた。しかし、こうなると昭雄を陣頭に立たせないわけにはいかない。  昭雄を先頭に四人で破壊筒を持ち、決死隊は城壁へと突進した。5メートル、3メートル、弾の飛び交う中を四人が進むのを見守る時間は、龍一には信じられないほど長く感じられた。  天祐としか思えないが、一人も撃たれることなく城壁に四人は取り付いた。小隊は龍一以下思わず歓声を上げた。  昭雄は導火線に火をつけ、先頭に立って陣地へと駆け戻ろうとした。しかし、次の瞬間昭雄の脇腹を敵兵の銃弾が貫いた。昭雄は勢い余って横に飛び、斜面を転がっていって小隊の視界から消えた。 「鉄谷を救え!」  龍一はそう叫びたかった。しかし、軍人としての責務上も、昭雄の義侠心に報いるためにもそれは許されなかった。  破壊筒は派手な音を立てて爆発し、明の頃に作られたという城壁に馬一頭は通れそうな穴をあけ、敵兵をひるませた。 「鉄谷に報いるぞ。突撃!」  龍一は軍刀を抜き、城壁の穴を指し示して檄を飛ばし、進軍ラッパと共に窪地を駆け出た。あたりの兵が一斉に城壁の穴へと殺到した。  しかし、敵兵にも勇気ある男が居た。城壁の陰から狙いを定め、龍一が指揮官であるのを確認して銃口を向けたのだ。  敵兵の銃弾は龍一の胸元に飛び込んだ。龍一は痛みを感じる暇もなく、昭雄の転がっていった斜面に崩れ落ちた。 「俺に構うな。突撃だ」  公式にはそれが龍一の最期の言葉であった。  龍一は自らの運命を悟りつつ、斜面を転げ落ち、斜面の下に横たわる昭雄の上に重なるようにして止まった。 「兄貴…」 「そんなところに居たのか」  薄れゆく意識の中で、二人は今生の別れをした。 「上手く…上手く行きましたかね」 「分かり切ったことを聞くな」 「嬉しいよ。死ぬ時も一緒だぜ…」  二人は手と手を取り合い、静かに息絶えた。  龍一と昭雄が身を挺して空けた穴が突破口となり、城砦と軍閥の命運は尽きた。二人の死は英雄的最期を遂げたとして華々しく全国を駆け巡り、歌が、芝居が、小説が書かれ、映画にさえなった。 「艶子、昭雄は、お前の兄貴は、最後の最後に男を見せて死んだんだぜ」  その第一報、号外と戦死広報を手に昭雄の兄貴分である寿太郎は涙ぐんだ。 「二階級特進(注4)だとよ。侠客の鏡だぜ。けどよ、俺は帰ってきたお前に跡目を譲るのだけが楽しみだったんだ!」  昭雄の親分である彦三郎の悲痛な叫びに、今や立派に黒澤組を姐さんとして取り仕切るようになった艶子は、とうとう耐え切れずにその場に泣き崩れた。  龍一の実家の『水月楼』は連日繁盛していたが、その日ばかりは早仕舞いをした。涙ながらに店仕舞いの支度をする両親と、滝丸だけが店に残った。 「私の千人針、効かなかったね…」  滝丸は店の隅のテーブルで、今や貴重品となった酒を無茶苦茶に飲んで、龍一の両親に詫びるように言った。しかし、二人に滝丸を責めることなど出来ようはずがなかった。「二人とも分からずやよ。どんなにみっともなくても、生きて帰った奴の勝ちなのにさ…」  三人の泣き声だけがいつまでもがらんとした店の中に響いていた。 注釈 注1:曳光弾 「えいこうだん」と読む。暗中でどこを撃っているのか確認するため、機関銃の弾に何発かおきに混ぜ込んである光る弾のこと 注2:中国軍の兵器 ドイツやイタリアは当時中国に武器を盛んに輸出していた 注3:破壊筒と英雄 昭和8年、上海事変で同様の作戦を成功させつつ自爆した三人の兵士は「爆弾三勇士」と称され、国民的英雄となった 注4:二階級特進 戦死=二階級特進と誤解されがちだが、実際はよほど英雄的な戦死を遂げないと二階級特進は行われなかった。

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