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第1章 お客様に夜の楽しみを提供するお仕事⑪
数時間後、はな六は上から下まですっかりユユ色に染められていた。髪を切った後、髪型に似合う服をと、そのまま服屋に直行させられた。
「振り回しちゃってごめんね」
「別にいいよ」
買い物の後、一休みするためにカフェに寄った。ユユはクリームがたっぷり載ったアイスラテを、はな六はただのミネラルウォーターを飲んでいる。
「むしろユユには感謝しているよ。おれ一人じゃ髪の毛切る注文だって、満足に出来ないし。服だって、自分じゃどうしたらいいのか、わからないんだもん」
はな六がそう言うと、ユユは照れ臭そうにえへへと笑った。
「でもちょっと要領悪かったんだ。まずお洋服買いに行くのを先にすればよかった。キシモトさん、はな六ちゃんが男の子っぽい髪型が良いって言ったらちょっと困ってたでしょ?」
「うん」
「あれねー、はな六ちゃんがぶかぶかな服着てたから、女の子みたいに見えたんだと思うよ」
「んー、そんなに女っぽかったかな?」
はな六が着ていたのは、ただのサイトウのお下がりのTシャツとジーンズだ。Tシャツは指に色とりどりのペンキをつけて出鱈目に描き殴ったような模様が描かれているもので、ジーンズは膝に穴が空いたただのジーンズだった。そんな、有り体にいえばただの粗末な格好が、どうして女の子っぽく見えたのだろう?
「なんていうか、彼シャツ的な? ぎゃはは!」
ユユは手を叩いて笑ったが、はな六には何が面白いのか全く分からない。
「はな六ちゃんはスタイルが良いから、今みたいな格好が似合うわー」
「んー」
はな六は襟足を刈り上げられてすっきりとした項に手を当てた。ぶかぶかな服で女の子に見えるというなら、今着ている上着だってぶかっとしている。サイトウのお下がりとの違いがよくわからない。
クマともタヌキともつかないぽんぽこりんなアンドロイドだった頃から、はな六は男だ。無性別にも見えるぽんぽこりんとは違い、今のボディは明らかに男の身体なので、ちゃんと男の格好をしたいと思った。ただそれだけだ。だが、やはり顔の造形はどちらかといえば女に近く、マサユキにしろサイトウにしろはな六を買った客にしろ、はな六を女の子として扱いたがる。
(お店に合わないって言われたらどうしよう)
今更心配してもあとの祭り。男の格好をしたいと言ったのも、ヘアスタイルや服を選ぶのをユユに丸投げしたのも、自分自身だ。
「もしかして、店長に嫌われたらやだな~とか、心配してる?」
「いや、別にそんな心配はしてないけど」
「ぶっちゃけ、店長はガッカリすると思うけどさぁ。でもはな六ちゃんははな六ちゃんの好きな格好すればいいと思うよ?」
その通りなので、返す言葉がない。
「意外と気にする方なんだねぇ、はな六ちゃんは。わが道を行くタイプかと思ったら、好きな人には弱いんだ? でも、オトコの言いなりになんかなっちゃダメだよ。アイツらすぐに付け上がるんだから。それくらい反骨精神出してこ」
「んー」
ユユと別れ、街を一人でぶらぶらと歩く。ビルの谷間はもう暗くなりはじめている。サイトウの家に戻ってからマサユキの事務所に出勤するには、時間が半端だ。少し時間を潰してから、直接事務所に行こうと考えた。
駅前の大型書店に入ってみた。つい癖で、足は趣味・実用書のコーナーを向く。この書店はボードゲームの棚が充実していた。
普段は、早くペーパーレス社会にならないかな、と思っているはな六だが、碁の教本や問題集、棋譜だけは別で、紙の本を好む。久しぶりに囲碁専門誌を手に取った。表紙にはスーツ姿のジュンソ。人差し指と中指で碁石を挟んで構え、鋭い眼差しでこちらを射抜くように見据えている。女性誌のグラビアとはまるで別人のようだ。
巻頭特集は彼とジャパン最強棋士との対局譜。昔のはな六ならすいすいと総譜を読めたのに、今のはな六には分割譜すら、石がごみごみと混み合っているように見えて読めなかった。一生懸命数字を追うものの、脳内で棋譜を再現することができず、ただただ数字を追っているだけになってしまう。複雑怪奇な石の並びを見ていると目が回ってきた。ぐらりと僅かに身体が傾ぐとまず膝が悲鳴を上げ、次に足首が、そして腰がと、たちまち姿勢が崩れてよろめいた。
「んわー!」
「おっと」
強い力でしっかりと抱き止められ、はな六は顔を上げた。ぽろりと雑誌が落ちた。その表紙の当の本人が、はな六を見下ろしている。つば付きの黒い帽子を目深に被り、眼鏡をかけている。昔、身長が六十センチしかないクマともタヌキともつかないぽんぽこりんだったはな六にとって、彼はいつだって大きかったが、今のはな六よりも大きかった。
「大丈夫ですか?」
急なことだったせいか、足に上手く力が入らない。
「大丈夫です、ありがとう」
彼は細くて切れ長の目を少し見開いた。
(あぁ、そうか。おれが麗凰 に似てるから)
彼ははな六が自分で立てるのを確認すると手を離し、床に落とした雑誌を拾って差し出して、にこりと頬笑んだ。その時、
「ねぇ、あれってジュンソじゃない?」
「ほんとだ!」
彼の存在に気付いた若い女達がどよめいた。数人が騒ぎ始めると、他の人々まで足を止める。何だ何だとこちらに注目が集まって、はな六はしどろもどろになった。ジュンソを見ると、彼もまた困った様子で眉をハの字に下げたが、ふと何か思い付いたように、はな六に耳打ちした。
「笑って、あの子達に手を振って」
はな六ははっと彼の意図に気付き、満面の作り笑いで手を振った。するとこちらにわらわらと寄ってこようとしていた女の子達はぎくりと立ち止まり、苦笑いで手を振り返してきた。彼女らははな六のことをジュンソの恋人の張麗凰と見間違えて遠慮したのだ。
ジュンソは無言ではな六の肩に腕を回し、さっさと歩き始めた。
「んあっ、どこ行くの?」
はな六は両手で雑誌を抱え、足がもつれないよう頑張って彼に歩調を合わせた。フロアの端まで行きつくと、ジュンソははな六の手からさっと雑誌を取り上げて自動レジで素早く精算した。レジを過ぎてすぐのエレベーターホールへ。エレベーターの扉が開き、はな六が乗るのを見届けると、
「ありがとう、じゃあね」
ジュンソはエレベーターには乗らず、足早に去っていった。
ドアが閉まった。
(こっちこそ、本のお礼を言わなきゃだったのに)
はな六は上着の袖をくんくんと嗅いだ。まだジュンソの匂いが残っている。淡い香水の匂いに、人の匂い。大人の男の匂いだ。
(なーんか、変な感じ)
はな六の知っているジュンソといえば、泣き虫で弱虫な小学生の男の子なのだ。
ある意味初仕事よりもドキドキして、はな六は懸命にほっぺたを揉みほぐして臨んだ。が、やはり……。
「チェンジ!」
開いたばかりのドアはすぐに勢いよく閉められた。張麗凰オタクな客には、やはり男の子っぽくなったはな六は受け入れてもらえなかった。
(予想通りとはいえ、へこむなぁ……)
はな六は大通りに出て迎えの車を待った。まだ七時半を少し回ったところなので、人通りがある。往来の人々ははな六には無関心で通りすぎていく。
夕方、事務所に一番乗りをしたはな六は、マサユキに新しいファッションを披露し、案の定、いくらなんでもイメージを刷新し過ぎだと苦言を呈された。それでも、マサユキは新しいはな六も可愛いと言ってくれ、短時間だが蕩けるようなセックスをしてくれた。
せっかくマサユキに愛してもらって上がった気分が急転直下で冷え込んでいく。はな六は首を横に振った。
(あんなヤツに拒否られたからって、何だっていうんだ)
“レオちん”オタクの部屋にナイフで留められていたジュンソの写真のことを思った。あんな陰険なことをする奴、こちらの方こそ願い下げだ! と、わざと斜に構えたようなことを思ってみる。そしてまた首を横に振った。
(やや、そんな考えはカッコ悪いぞ。そもそも、お客さんを楽しませるのがおれの仕事なのであって、ちやほやされるのが仕事ではないんだ)
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