14 / 63

第2章 はな六の独立宣言①

「んっ」  脱衣室で服を脱ごうとしたとき、ふと洗面台の鏡を見れば、自分の表情がやけにこざっぱりとしている。サイトウとセックスをした後は何故かいつもこうだ。 「めっ!」  はな六はぺちんと自分の頬を叩いた。なんて破廉恥なこのボディ(レッカ・レッカ)。叩いた頬は少し赤くなった。眉間に深いシワが寄って、いつものはな六フェイスに元通り。ふぅ、とため息が出てしまう。不機嫌そうな顔が自分の素だなんて。かつてクマともタヌキともつかないぽんぽこりんだった頃のはな六には、表情というものがなかった。それはそれで苦労の種だったが、こうも機嫌が顔に出やすいというのも困りものだ。  はな六はもそもそと服を脱いだ。 「あいたたた」  少し屈んだだけで腰、というよりは尻に響いた。無茶苦茶に突きまくってきたサイトウのせいだ。  裸になって寒さに足踏みしながら、シャワーのヘッドをホースから外す。今日は整備工場(クリニック)を受診するので、マナーとしてお腹の中は綺麗に洗い流しておきたい。先ほど、サイトウにやめてと言ったのに中に出されてしまったのだ。 (なぁーにが愛だ。お腹の中に臭いねばねばを出して汚すことが?)  震えながら蛇口を開け、ホースから出る水が温水になるのを待つ間、椅子に腰をかけようとしたが、座面に腰をおろした途端痛みが脳天まで突き抜けて、はな六は「ひゃん!」と飛び上がった。  ヘッドのないシャワーホースの先端からほかほかの湯気を上げてお湯が溢れ出てくるのを、しばらく見詰めていた。早めに中を濯いだ方がいいというのは分かっているが、座っただけで飛び上がるほど痛いのだ。洗う気がどうしても起きなかったので、しぶしぶシャワーヘッドをホースに着け直し、身体を流すだけに留めた。  中途半端な時間に眠ったせいで、中途半端な時間に目が覚めてしまった。それでも世間的には朝寝坊の時間帯だ。はな六は部屋の掃除をしてから出掛けた。  外は晴れており、建物の合間の空は秋らしく高く抜ける空だ。吹き抜ける風にぶるりと身震いする。本格的な冬に向けて、そろそろ服を買い揃えなければならないだろう。またお金がかかりそうだ。  午前中は特にやることがない。午後は|整備工場《クリニック》の受診を予約してある。これまで利用していた工場とは別のところだ。  これまで利用していたクリニックは、診察料は安いがサイトウが勝手に選んだところだし、医師との相性が悪かった。身体のあちこちを壊しては週に何度も受診するはな六を「仕事を辞めればこうはならない」「新しいボディに替えればいい」と医師は叱責した。治療を受けながらネチネチ正論の小言を言われるのは耐え難かった。  今度のクリニックは診察料は高いがネットでの評判はいい。嫌味な医者でなければいいなとはな六は願うばかりだ。  はな六はぶらりとコンビニに入った。店員達はゴミの片付けや品出しに勤しんでいた。はな六が冷蔵庫から水のペットボトルを取り、レジに向かうと、店員が素早くやって来た。 「二百二十円になります」  携帯端末をレジにかざして支払った。 「ありがとうございました、またお越しくださいませ」  店を出たとき、はな六は出入口近くの窓に求人広告が貼られているのに気づいた。  “未経験者歓迎! 誰にでも出来る簡単なお仕事です。時給(人間)九〇〇円、(アンドロイド)一〇〇〇円”  はな六が一時間で稼ぐ金額を、ここでは十時間以上かけないと稼げないわけだ。その代わり、腹の中を無茶苦茶に弄られて壊されることもない。が、きっと他のパーツが消耗するに違いない。  しばらく歩いていくと小さな公園があった。その敷地内にある小さな東屋のベンチに腰掛け、ポケットからペットボトルオープナーを取り出して水のボトルを開けた。  枯れた芝生と古びた遊具しかない、うらぶれた景色を眺めながら水を飲む。水は喉を滑り落ち、胃で吸収される。そして電熱器で温められて身体の隅々に送られ、人間味のある肌の温もりを作る。一部は下腹に溜まり、薬液と混ざり合わさって貯えられる。薬液は昨夜の行為で使いきってしまったので、受診のときに補給しなければ。 (めちゃめちゃ人扱いされている……!)  はな六は感激のあまり身を震わせた。お金の力恐るべし。 「あ、痛かった?」 「いえいえ、痛くないと言えば嘘になりますが、今のはその、痛いからではなく」 「ごめんなさい、痛いよね。でもちょっと力抜いててね、すぐ終わりますからね」  処置は慎重に進められているのはわかるが、痛いものは痛いので、はな六は歯を食い縛り、思わず腰が浮きそうになるのを堪えた。 「こんな酷いことになるまで我慢してお仕事してたなんて、きっと深刻な事情があるのね……」  そうも同情的に言われると後ろめたい気がしてしまう。はな六はただ金を稼ぐのを焦っただけだ。そして、この様に高級なクリニックにこんなにも人の良い医師がいるなど……と、つい驚いてしまった自分を、はな六は恥じた。 「ここにはあなた以外にも、“お客様に夜の楽しみを提供する”のがお仕事の子達が来るのよ」  だから対応には慣れている、と言いたいのかもしれないが、それにしてはピュアに同情してくれる。 「麻酔針を打つので、しばらく下半身が痺れますよ。でも針を抜けば痺れはすぐに消えますからね」  医師の指示通り、身体を横向きにして膝を抱え、背中を丸めた。針が背骨に刺された瞬間は痛かったが、医師が言った通りすぐに腰から下が痺れだし、痛みが嘘のように治まった。  身体の力を抜き、狭い個室の中を見回す。壁や間仕切りやカーテンなど、全てが暖色系の色合いに揃えてある。プライバシーは腹のちょうど上辺りに提げられたカーテンで守られ、更に膝には膝掛けまで掛けられていた。以前かかっていた格安クリニックとは待遇が大違いだ。  久しぶりに痛みから解放されたのと、室温がぽかぽかと暖かいのとで、はな六はうつらうつらと微睡み始めた。まるでマサユキの布団に入れてもらった時のような心地好さだった。 「さぁ、終わりましたよ。神経に保護カバーをかけて傷をパテで埋めました。とりあえずの応急措置よ。詳しい説明は診察室でね」 「ありがとうございました」  医師ははな六の膝頭を撫で、立ち去った。はな六は処置台から降りて下着とズボンを身につけ、個室を出た。   「……ということで、応急措置はしましたけれど、パーツ自体が劣化しているので、無理をすればまた破損してしまうでしょう。出来ればパーツの交換をおすすめするわ。はい、これパンフレット」  はな六は医師から厚みのある冊子を受け取った。 「ありがとうございます」 「何か質問はある?」 「えっと、あの……質問ではないのですが。おれ、こんなに人扱いされると思ってなくて。こんなことならもっと早くに病院変えれば良かったです。アンドロイドは痛くても、ちょっとくらい壊れても死なないから、これくらい我慢しなきゃいけないのかなって思ってました」 「前のお医者さんにそう言われたのね」  はな六は頷いた。 「そんなことないのよ。お医者さんによって考え方は違うけど、少なくとも私は、そんなことないと思っています」 「そうですか、どうもありがとうございました」 「何か気になることがあったら、またいらっしゃいね」  医師は裏表の無さそうな笑顔ではな六を見送った。高額報酬の対価としての笑顔というより、この人は根っから人柄がいいのだろう、と思ってしまう自分は甘いのだろうか、とはな六は思った。  受付で会計の順番待ちをしているとき、受付カウンターに“応急手当てキット”なるものが陳列されているのを見つけた。会計ついでに受付係に聞いてみると、肌の細かな損傷箇所を自分で手当てするための道具一式だという。はな六はそれも購入することにした。仕事の際によく膝や肘をシーツで擦りむいてしまうからだ。  診療費とキットの購入費の合計は、思わず金額を二度見してしまうほど高額だった。  クリニックを出たあと、出勤まではまだ時間があるがやることが何もないので、はな六はぶらぶらと街を歩き回り、そして先日古い知り合いを見かけた書店につい足をむけた。だがいざ書店の目の前に立つと、入ってみる気は急速にしぼんでいった。またジュンソに会ってしまったら? 出入口の前で三回くらいぐるぐると行ったり来たりしたあと、結局駅の方へと歩き出した。と、その時、 (ジュンソ?)  はな六は振り返った。黒い帽子を被った後ろ姿。だがよく見れば彼とは別人だった。    夕方、はな六はマサユキの事務所に赴いた。 「おはよう、六花ちゃん。今日はまたずいぶんお早い出勤で」  のっそりと出迎えたマサユキの胸に、はな六は飛び込んだ。 「ねぇマサユキ、ちょっといい?」 「何でしょう」 「これ」  はな六はパンフレットを差し出した。 「一緒に選んで欲しいんだ。おれ一人じゃ、どれが良いのか分からなくて」  マサユキはそれを受けとると、パラパラと捲り、うーんと唸った。 「なるほど、お腹の、男の人を受け入れるところの部品を交換する、と。でも僕が口を出してもよいのでしょうか? 六花ちゃんの身体のことだし、お金を払うのも六花ちゃんでしょう。なので六花ちゃんの好きにするべきだと、僕は思いますけれども」 「その“自分の好き”がよくわからないんだよね。それに、おれ一人で勝手に決めてさぁ、幻滅されたらやだし。前より気持ち良くないとか……」 「ほぉ……、なーる。仕事に差し支えては元も子もない、ということですね」 「いや、それもあるけど、そうじゃなくて、おれはマサユキにがっかりされたくないの」

ともだちにシェアしよう!