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ティファニー

TIFFANY -ティファニー- 起-introduction- 「リツ」  子供の頃お隣同士だった幼馴染から電話がかかってきたのは、ひどい雨が止んだ後の夕方だった。幼馴染の、ハンサムで背が高くて酔うと時々ハスキーになるキョウちゃんは、彼女と別れるたびに電話をかけてくる。どうせすぐに次の彼女ができるんだけど、僕に電話することが一つの区切りになるらしく、毎回電話してくる。  キョウちゃんからの電話が随分と久しぶりで、今回は長く続いたな、と思ってたんだが、やっぱりだめになったのか、とか考えながら電話を受けた。 「リツ、久しぶり。昨日、五木と喧嘩別れみたいになった。そっち行くかも。」 五木は、キョウちゃんと同じ顔をした双子の弟の方。 「わかった。キョウちゃん、元気にしてるの。」 「うん。」と短い会話をして僕は電話を切った。 五木は、僕がずっと好きな双子の弟の方。  キョウちゃんの予想通り、夜遅くに五木がうちにやってきた。  僕の祖母が亡くなって、介護していた母親が東京に戻って、そのすぐ後に父親も東京に戻って、結局うちは僕一人だから、酔っぱらって大声を上げて玄関を叩く五木が来たところで、困るのは僕だけだ。 「リツ、おるん?」と大声を上げるから、僕は大急ぎで玄関を開けた。そこには、酒に弱いくせに、よく飲んでつぶれる五木が立っていた。昨日は、「久しぶりにキョウから電話あった。明日東京行ってくるわ」とノリノリだったのに、今日ははこの状態か。 「東京どうだった」と言うと、「最悪」と言って僕に抱きついてきた。  僕が東京から関西に引っ越してきたのは小学校4年生の時だ。僕の母の強い言いつけで、僕は関西弁を話すことを許されておらず、標準語を話し続けた結果、お約束通り、「話し方が変」といじめられた。関西弁は方言なんだよ、と言いたかったが、元来いじめられっ子体質だった僕にそんなことが言えるはずもなく、いじめはエスカレートする一方だった。  そんな時、僕の家の隣に住んでいたキョウちゃんと五木が「リツは俺らの友達やから。」と言ってくれた。それから、僕を取り巻く環境は一変した。当時からキョウちゃんと五木の二人は、背も容姿も抜きんでていて、子供にもその威力は半端なかったのだ。  僕の母は姑を介護するために関西に連れてこられ、一日中、姑の世話に明け暮れていた。結果、聞き分けの良い子供だった僕は、ずっとほっておかれる状況になってしまった。キョウちゃんと五木の母親はそんな僕を見て、いたたまれなくなったのか、夏休みだ、クリスマスだ、と何かイベントがあるたびに家に招いてくれた。自然と僕ら三人はいつも一緒にいることになった。  中学2年の時、キョウちゃんに彼女ができた。その時の五木の落ち込みようはひどかった。もともと五木はひどいブラコンなのだ。ブラコンというか、五木はナルシストなのか、自分と同じ顔をしたキョウちゃんをひどく慕っていたから、彼女ができて、五木はキョウちゃんの一番じゃなくなって、ショックだったのかもしれない。そのころから、僕とキョウちゃんと五木の3人は別々の道を歩み始めることになった。  キョウちゃんは、彼女が切れることはなく、早い話がものすごくモテたわけだが、五木にとって、そんな双子の兄の姿が情けないチャラい奴に見えて耐えられなかったのか、五木とキョウちゃんの間には深い溝ができてしまった。その溝を埋められないまま、キョウちゃんは東京に行ってしまった。  でも、これは内緒だけど、キョウちゃんが東京に行った本当の理由を僕は知っている。 「これ以上、五木の側にいることは辛い。同じ顔をしてるやつが俺に対して毎日毎日敵意むき出しなんだ。なんで、あんなにあいつ俺に突っかかるんだよ。」  五木のキョウちゃんへの想いと、キョウちゃんの五木への思いはカタチの異なるもので、どうしてもこうしても相いれない状態なんだ。僕の勝手な意見だけど、この二人は少し距離をおいた方がいいと思う。その点ではキョウちゃんの選択は正しいと思う。  五木が本棚に並べていたCDを手に取って「リツ、ヒップホップ好きだよな。どれ聞けばいいの?」と、若干ろれつの回らない口調で聞いてきた。 「どれ聞いても、いいよ」とコップに水を入れて五木に渡した。五木は寝転がって咥えたハイライトに火をつけようとしたから、「危ない」と言ってライターを持った彼の手をつかんだ。その時、五木の目が赤くなってることに気付いた。キョウちゃんが彼女作るたびにこれだ。五木はすぐに泣く。正しくは僕の前でだけ泣く。 「キョウちゃん、また新しい彼女できたの?」僕は彼の咥えたハイライトを取り上げて言った。でも、どうせまたすぐに別れる。キョウちゃんと付き合うのは難しい。キョウちゃんは心に闇を持っている。見た目の華やかさと全然違う大きくて深い闇。 「彼氏」と五木が両手で目を覆って言った。彼氏?キョウちゃん、ゲイだったっけ?  五木はかなり前から自分がゲイであることに気付いていた。五木の彼氏はだいたい、いわゆる顔だけのチャラい奴が多くて、完全にキョウちゃんへの当てつけだったことは明白だ。 「彼氏だからって長続きするとは限らないだろ。」 「ちゃう、ええ奴やねん。顔とかじゃなくて性格、全部。俺、勝てん。」 手の隙間から涙が流れていくのがわかる。毎回、五木がキョウちゃんにフラれて流す涙を見て、自分の心の汚さに気付かされる。僕はほっとしてる、キョウちゃんが彼女作る度に、五木が僕のところに来てフラれたって泣く度に、彼が僕のもとに戻ってきてくれたようで、彼の戻る場所は僕のところだと思って、僕は安心している、最悪の人間だ。こんなんだから、根暗だとか、陰キャとか言われるんだ。 「いっちゃん」と昔みたいに呼んでみた。五木は手で顔を隠したまま、「あー、懐かし」と笑った。僕はもう一度、「いっちゃん」と言って、彼の髪を少し撫でてみた。 「リツ、俺泣くと、いっつもそうするのな」ともう一度笑った。そう、五木が泣いてるときだけ五木に触れることができる。君が弱ってる時しか君には触れない、僕は弱虫で卑怯だ。  そのまま五木は黙ってしまって、そのまま寝入ってしまった。毛布を掛けて、横になる五木を見ていて、もう10年以上好きだという気持ち、僕は五木を、五木はキョウちゃんを、キョウちゃんは僕の知らない誰かを。なんでこんなに蜘蛛の糸、なのかな。  それから1週間たって、また夜に玄関を叩く音がして、急いで玄関に行ったら、また酔っ払った五木がいた。 「今度は何だよ。」 「ティファニーらしい。あいつ何やってんねん。」と訳の分からないことを言い出した。  僕は、僕より背の高い五木を抱えてリビングに運んだ。どんだけ飲んだんだよ。コップに水を入れて、テーブルの上に置いた。そこで五木は盛大に泣き出した。 「ティファニーのリング渡してんて。ティファニーは特別やねん。親父がオカンに贈ったのがティファニーや。今回は本気やねん、あいつ。」 「新しい彼氏作って、忘れたら。」 「なにしても、キョウは俺に何も思わへん。無駄や。」 最初から、ずっと一方通行のこの想い、重すぎ。痛い程わかるだけに、僕の心も冷えていくことがわかる。自分の好きな人が目の前で他の誰かを好きだと泣くのは、堪える。 「五木、帰れよ。」 僕は、何を言ってるんだ。  五木が僕の顔をまじまじと見つめた。酔っぱらって少し頬が紅潮してて、目が潤んでる。口元が少し開いていて、驚いたような顔。10年以上も見てきた。子供から大人になっていく過程をずっと、笑ってる顔も泣いてる顔も、驚いた顔も呆れた顔も、全部全部。僕は本当に五木が、スキ、だ。気が付くと僕は五木と同じぐらい涙を流していた。愛の狂気は凶器だ、自分の心を切り裂き続ける。  まだ何も終わってない、始まってもいない。もし、そこに何か愛らしき、恋らしきものがあるのなら、紡ぐ糸はまだ、どこにも、ない。 承-development-「五木」  キョウが「リツは俺たちの友達やから」と言ったとき、正直驚いた。確かに、俺らと話し方が違うというだけで一緒に遊ばない、ということには矛盾を感じる。でも、いじめられてる奴をかばうとか、俺にはできない所業だった。それを、さらっとやってのけるキョウを、俺は誇らしく思ったし、同時に俺はこいつに勝てないと思った。  その頃から、俺は、越えられない俺の双子の兄に対する劣等感を隠すために、キョウを慕い始めた。俺と同じ顔をしているキョウ。でも、よく見ると、キョウの方が少しだけ背が高いし、目も切れ長ですっきりしてる。声も俺よりセクシーだし、キョウと俺は全然違う。キョウは俺の理想だった。  中学に入ってキョウに彼女ができた。今思うと、大した問題じゃないのだけど、その頃の俺にとっては衝撃だった。俺は、女の子と付き合うとか、チャラい奴がすることだと勝手に思い込んでた。それまでは俺とキョウとリツの三人でいつも遊んでいたのに、キョウは俺たちより女の子の方を優先した。多分俺は嫉妬してたんだよな、いつまでもキョウにとっては俺、俺にとってはキョウが一番であると思い込んでいた。そうなると、スキだった分、憎しみが増して、俺はキョウに対して反抗的な態度を取り始めた。  和解しないまま、キョウは俺のもとから離れていった。単に就職して自立したわけだが。  女の子と遊ぶやつはチャラい奴、という勝手な考えのもと、俺はキョウへの当てつけで、顔が良くてチャラい奴とつるむようになった。キョウが女の子と付き合い始めてすぐの頃に、俺にも彼女ができた。でも、直感的に「違う」と感じた。女の子の口唇とか、ふわふわの髪とか、柔らかい手とか、そういうのに俺は全然何も感じなくて、どっちかというと、ヤロウの骨ばった指とか、首筋とか、そういうのに惹かれる傾向がある。  幸い、俺は女の子にモテるのと同じように男にもモテたから、相手には困らなかったけど、いつも、誰といても感じる、「違う」感。  キョウに東京まで呼び出されて、大喜びで参上して、今まで以上にしっかりきっちりフラれて、もう本当に辛くて辛くて、とにかく何も考えたくなかった。  一人で飲んでたら、女の子からも男からも声を掛けられる、それがもう鬱陶しくて鬱陶しくて、フラフラになりながら家まで帰ってきた。  こういう時は、リツの家に行く。リツの家にはリツしかいなくて、しつこく「何かあったの」と聞いてくる奴はいない。俺がキョウを好きで、キョウにフラれ続けいることをリツは知っている。リツは何も聞かず、ただ、俺を静かにほっておいてくれる、でも、俺を一人にはしない。  おとなしくてまじめで勉強ができて、頭の良い大学に入って、資格取って、いわゆる「士業」と言われる仕事に就いている、リツは俺の大事な友達だ。俺には彼氏も友達もたくさんいるけど、リツは俺にとって、友達で、家族で、同志で、もしかするとキョウにフラれ続けても俺は生きているが、リツがいなくなったら俺は耐えられないかもしれない。  でも、俺がキョウに完全にフラれて、リツが俺に帰れと言って泣き出して、俺は混乱した。俺は甘えていた。リツは、多分、、俺が誰を好きになってもどこに行っても、どんだけ時間が過ぎようとも、無限のパワーで俺を愛し続けてくれると勝手に思い込んでいたから、リツの「帰れ」は俺を打ちのめした。  俺はほとんど意識のとんだまま家に帰り、自分の部屋で、かつて俺とキョウの二人の部屋であった空間に一人でいる。もう俺は一人だ、誰もいない。つらい、もう消えたい。  でも、案外生きてる。リツがいなくなったら死ぬと思ってた。キョウが東京に行った時も死ぬかと思った。が、案外生きてる。  俺はシャワーを浴びて、明日の仕事のことを考えるふりをしながら、リツの言った「帰れ」の意味を反芻していたら、急に腹が立ってきて、って自分にね、自分が何をしてたのか誰を想って何をしていたのか、なんでこんなに俺は頭が悪いのか、と思って携帯を見ると、今付き合ってる男からの着信が数えきれないほどあることに気付いた。ティファニーのキィホルダーに自分の家の合鍵つけて渡した男。  俺は誰を想って泣いていたんだろう、俺は誰を想って恋やら愛やらの糸を紡いでいたんだろう。でも、多分俺はもう全部、全部全部がわかってて、知らないふりをしている。  俺の頭の悪いところは、そういうところ。 転-twist- 「イチ」  俺はバイセクシュアルで、今は彼氏持ち。彼氏にしてはいけない三つのうちの一つ、美容師の彼氏。確かに彼氏にしない方がいいと思う。  初めて五木に会ったとき、五木が名前教えて、というので俺は持ってた名刺を渡した。そしたら、五木は「スカスカやんっ」と言って笑いだした。何を言っているのかわからなかったので、「どういうこと」と聞くと、画数が少ない、と答えた。「竹内一彦」確かに画数は少ないが、笑うほどのことか、と訝しんでいたら、五木が「イチ」と俺のことを呼んだ。  貞操観念ゼロの五木は、俺以外にも何人オトコがいるのかわからない。  最初は、本気になるつもりなんてなかった。俺は彼女と別れたところで、意外にも深く傷ついてて、もう一人で静かに暮らそうと思っている時に五木に出会った。一目ぼれとか、恋はするものじゃなくて落ちるものよとか、そんなものではなくて、一瞬で歯の根が合わないほどの震えと、落ちていくようにのめりこんでいく自分を幽体離脱で眺めているような、そんな感じだった。映画みたいに、五木の吸うハイライトに火をつけて、「俺、フラれたとこやねんっ」と満面の笑みでいう五木の目に、自分の情けなく崩れ落ちていく姿を見た。  でも、五木は俺の想いがここまで深いことを知らない。知られてはいけない。きっと、彼は重い男はお断りのはずだ。五木は他に本当に愛してる人間がいるのだから。  五木が、野良猫みたいにいなくなって、何日も連絡も取れなくて、俺は嫉妬で夜叉のような顔になっていたころに、ふらっと五木から連絡が来た。 「もう、アカン、かも」 俺は車のキーを取って五木のいる場所、飲んで酔っ払っている場所に行った。指定された店の外の近くの自販機の側でハイライトを咥える五木を見つけた。 「イチ、久しぶり」 そういう五木の頭を抱きしめて、どこ行ってた、何してた、食ってるのか、なんで連絡しないんだ、と矢継ぎ早に質問したら、五木は酒臭い息で「意外と死なない」と言って俺に寄りかかってきた。酔っ払いの五木を車に押し込んで、俺は家に帰ることにした。  ダイニングテーブルに突っ伏して、寝てるのか、起きてるのかわからない状態の五木が「水」というから、俺はコップ半分ほどに水を入れて彼の側においた。  五木は俺の方に顔を向けて、 「1週間前にずっと好きだった奴にフラれて、昨日信頼してた奴に帰れと言われた。おまえならどうする」 と言った。俺は、この美しい顔の男を振ったり帰れと言ったりする奴の気持が全く理解できない。 「俺はオマエが笑っていてくれたらそれでいい」と答えにならない言葉を返した。 五木は小さな声で「なに、それぇ」と笑ったけど、俺は聞こえないふりをした。 わかってる。俺がお前を好きになっても、一方通行の気持の奴が一人増えるだけで、何も解決しない、うまく、いかない。  机に突っ伏したまま寝てしまった五木を担いで、ソファーで寝させて、毛布を掛けて、俺は彼の寝顔を見ながら大きな決断をすることにした。  朝、五木が起きてきて、「コーヒー」というから、俺は自分のためにコーヒーを注いだマグカップを彼に渡した。五木は頭痛ぇと言いながら、ダイニングの椅子の座ってコーヒーを飲み始めた。 「五木」 俺は泣きそうな自分を必死に奮い立たせて言う。 「五木、帰れ」 五木は俺がそういうのをまるで分っていた、知っていたみたいに、微動だにせずにコーヒーを飲み続けていた。猫舌なんだよな、だから熱いコーヒー飲むのには時間がかかるんだよな、と俺は彼の好きなところをいくつも心の中で列挙しながら、俺は自分に言うように五木に言う。 「五木、もう決めろ、フラフラすんな。」 俺はお前が好きだ、晴れた日も雨の日も風の強い日も雪はめったに降らないけど、でも俺はお前と過ごした宝石のようなキラキラした日を忘れないし、きっと、もう、それが二度とこないとしても、なくなってしまうとしても後悔しないし、そういうもんだろう人を好きになるということは。  五木は半分ほど飲んだマグカップを机の上に置いて、ジーンズの後ろのポケットからカギを取り出した。俺の渡したティファニーのキィホルダーのついた合鍵。  鍵を机の上に置いて、黙って彼は立ち上がり出て行った。  俺はしばらく彼の残したコーヒーを見つめながら、俺の目からこぼれない涙の訳を必死に探っていた。  彼と俺の間には恋も愛もなかったのかもしれない、美しい映画を見ていたようなそんなものだったのかもしれない、と思ったとき、俺の手の中に、恋とか愛とか、そういった、これからの俺の人生を紡ぐ糸が見えたような気がした。 結-conclusion- 「キョウ」  五木に電話が繋がらないのはいいとして、リツに繋がらないのは非常事態だと感じた。  俺はコウさんから「ゆっくりしておいで」と言われて、何年振りかに帰阪した。 何度かけてもリツは電話に出ないし、五木に至っては携帯の電源さえ入っていない。その五木に自宅の前でばったり出くわした。同じ顔をした俺の双子の弟、五木。 「生きとるんやったら、電話ぐらいでろや。」俺は昔に戻っていた。やっぱり俺は、ここの人間なんだ、と感じる。  五木は、なんでお前ここにいるの、という目で俺を見て、ジャケットのポケットに無造作に放り込んでいる携帯を取り出し、「あ、充電切れてる」と言った。  俺はカバンから自宅の鍵、今は二本付いてる鍵のうちの一つで実家のカギを開けた。 「ただいまぁ、オカン」と言って靴を脱いで家の中を見回したが、家の中は無人でシンとしていた。こういうのが嫌なんだよ、家に帰ったら一人。五木が後ろから、ついてきた。 「オカンは?」と聞いても五木は無愛想なままで、「知らんわ」と言って台所に行ってコップに水を入れて一口飲んで、ふぅっと一息ついて俺を見た。 「新婚さんが、何しに帰ってきてん。ダンナほっといて、ええんか」 こいつは俺に突っかかることしかできないのか、まあいい、俺はもう昔の俺じゃない、こいつの悪態ぐらいうまくかわせる、はずだ。 「リツ、どうしてんねん」そう言うと五木は固まってしまった。なんかあったな、帰ってきてよかった。俺には、リツに五木を押し付けて、一人でとっとと逃げ出してしまった、そんな罪悪感がある。俺は、リツは五木のことをずっと好きで、それを分かってる五木はリツに甘えてる、と思っている。そんな偏った関係が、いつまでもうまくいくはずがない。  俺も五木も変に歪んでて、自分に恐ろしく自信がない。自分のことを好きになれないから、自分を好きと言ってくれる人間にめっぽう弱いのだ。誰かに好きと言われると舞い上がってしまい、自制心が効かなくなる。だから、次から次へと誰とでも付き合ってしまい、一人の人間とじっくり向き合うことができない。でも、俺はコウさんに出会えた。そして、五木にはリツがいる、でも五木はそれに気づかないふりをしている。向き合うのが怖いんだ。 「五木、リツは」と言うと、五木は「うっさい」と叫んで自分の部屋に閉じこもってしまった。いくつになっても、拗らせすぎかよ。  夕方になって、リツの家に行ってみた。リツは帰ってきていて、俺の顔を見て驚いた。 「キョウちゃん、いつ帰ってきてたの。」 「今日。リツ、電話かけてんけど、出ぇへんから、なんかあったんかと思って。」 「あ、ごめん」と言って、そこから会話が途切れてしまった。 俺は、なんとかしなくては、という長男の使命みたいなもんが芽生えてきて 「ピザ、取ろう、俺がおごるわ」と言った。ピザで状況打破できるんだろうか。  ピザと缶ビールを前に、男三人でひざを突き合わせて黙ったまま座っていた。不意に五木がハイライトに火をつけようとしたから、俺は「飯食う時はやめろ」と取り上げた。五木は不貞腐れて、黙ってピザを一枚とって食べだした。それに続いて俺、リツと食べ始めたのだが、どうにもこうにもお通夜のように静かで、居心地が悪い。  五木はさっさと一枚食べ終えて、ビールを開けて一口飲んで、またしてもハイライトに火をつけようとした。俺が「やめろ」と言うと、 「俺はもう、ごちそうさま、やねん。うるさい、黙れ」と言ったので俺もカチンときて 「いちいち、突っかかるな。あのな、前から言おうと思っててんけど、なんでお前、そんなに俺に反抗するんや」 五木は黙ったまま、寝転がって背中を向けてしまった。俺が「五木」と声をかけようとするとリツが制止した。  リツは寝転がってハイライトを吸い続ける五木の背中に話し始めた。 「キョウちゃん、電話取れなくてごめん。仕事が立て込んでて。今ある仕事を片付けていて、しばらく忙しいと思う。五木、キョウちゃん、僕は東京に戻る。父さんの調子が悪い。」 五木はハイライトを咥えたまま起き上がって、あたふたと火を消した。五木が何か言おうとするのを遮ってリツは話し続けた。 「東京での仕事は、なんとか見つけた。今月中には引っ越す。」五木は呆然としていた。俺も青天の霹靂だ。リツは話し続ける。 「それで、今日は、きちんと二人と話したいと思う。キョウちゃん」と言って俺の方に向いた。 「キョウちゃんは、何も五木に話さずに逃げたのが悪い。五木がキョウちゃんを慕ってたことはわかってたはずだ。なのにキョウちゃんは、そんな五木のことが怖くなって、逃げ出すみたいに五木から離れていった。で、いっちゃん」と言って、今度は五木の方に目を向けた。 「五木は、いつまでもキョウちゃんにこだわって、だらしない生活送ってるのが悪い。いい加減成長してほしい。五木は、キョウちゃんと自分の境界線がわからなくなってる。キョウちゃんと五木は全然違う人間だということに、気付かないふりはやめろ。それで僕は、」と言って、缶ビールのふたを開けて一口で半分ぐらい飲んで、「僕は」ともう一度言って、また黙って残りのビールを飲みほして、 「五木、一緒に東京に行こう。」と言い出した。  え、なにそれ、と俺は呆然とした。なんで俺と五木はリツに怒られて、リツは、しれっと五木にプロポーズしてんねん、話が全然合わへんやん、と、思っていたら、いきなり五木が笑い出した。五木は笑い出すと止まらなくなる。俺も馬鹿らしくなって、一緒に笑って、つられてリツも笑い出した。それから、三人で下らない話をしながら、一晩中酒を飲み続けた。  次の日は三人とも見事に二日酔いだったけど、五木とリツは新幹線のホームまで見送りに来てくれた。 「上京したら、連絡してな。コウさん、料理上手いねん。」 と言って俺は2人を置いて東京に戻った。  僕は五木を見ることができなかった。短期間にいろいろありすぎて、混乱してる。  五木は黙ったまま去り行く新幹線を見ていた。やっぱり、目立つよな、五木とキョウちゃんは。まわり、みんな見てたよな、本当にかっこいい。  2人で並んで、黙ったまま線路を見下ろしていた時、五木がジーンズのポケットから小さい青い箱を取り出した。五木はその箱を僕の左手に握らせて、背を向けて歩き出した。僕は自分の手の中にある箱を見た。そこには、「TIFFANY」とあって、開けて見ると小さなハートのペンダントがあった。僕は背を向ける五木を追いかけた。五木、と呼ぶと五木は立ち止まって「親父がオカンに渡したのはリングと違う。オープンハート。」と言って僕の方を振り返って見て、また前を向いて歩き出した。 「さき、行くで」 僕は五木の背を追いかけた。

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