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エピローグ

 電話を切った後からドキドキが止まらない。とうとう言ってしまった。ずっと言いたくて。ずっと言えなくて。今まで一度も、自分から要求したことなどなかった。  でも、最後のチャンスだと思った。ここで自分の気持ちを伝えなかったら。洋介は遠くへ行ってしまう。  昔からずっと好きだった。洋介が男だろうと、自分が男だろうと関係なかった。だけど。洋介にはいつも可愛らしい女の子が傍にいて。  幼馴染みで家が隣同士なのに。洋介の隣に立っていつも笑いかけていたのに。洋介との間にどうしようもならない距離があって。物理的には隣にいられても。自分が望む意味での洋介の隣はずっと空かなかった。  そっと、自分の唇に触れる。  文化祭の時、洋介にキスされたことを思い出す。洋介とのファーストキスだった。目が覚めたら唇を塞がれている感触がして、目を開けなくてもそれが洋介だと分かった。  あの時。このままどうなってもいいと思った。それくらい、嬉しくて。  あの後、由美と別れたことを聞いた時。自分のせいで洋介が由美に愛想を尽かされたのかと洋介にも由美にも罪悪感があったのは確かだけれど。でもその一方で、少しだけ期待した自分もいたのだ。  もしかすると、洋介の気持ちは自分の気持ちと一緒なのかもしれないと。  なのに、突然洋介に突き放されて、わけが分からなかった。本当に辛かった。『幼馴染み』としても洋介の傍にいられなくなるなんて思ってもいなかった。でもあんな風に言われたら、もう傍にいることはできなかった。洋介の嫌がることはしたくなかったから。 『お前が困るから』  洋介の言葉が蘇る。  本当に、洋介は自分勝手だ。自分の基準で全てを決めてしまう。そうだと思ったらそれが正解なのだ。洋介にとって。 「困るわけないのに」  そのくせ、自分が知りたい答えは求めようとするのだから、やっぱり自分勝手だ。 『お前に聞け言われた』  洋介が付き合ってきた彼女の中で、由美だけは印象が違った。静かで冷静。それ故に冷たい印象を与えてしまうが、本当は優しさを秘めていて。洋介と似たもの同士の彼女。その彼女が自分に興味があったなんて、不思議な感じだった。 『お前は分かってるはずやって』  きっと由美は気づいていたのだろう。洋介の隣でいつも洋介を友情なんていう視線でなどこれっぽっちも見ていなかった自分の気持ちを。  そういう意味では、自分も嘘つきだ。『兄弟みたいに』なんて洋介に訴えたりして。  握り締めたままだった携帯にふと目が留まる。  これは賭けだ。洋介が、あの言葉の意味を調べるのか、理解するのか、それは分からない。このまま何も起こらず、あっさりと洋介は家を出てしまうのかもしれない。  本棚へと近付いて、1冊の本を取り出した。母親が昔プレゼントしてくれた花言葉の辞典。何度も開きすぎてクセが付いてしまっているページを開いた。 『亜貴。クローバーの花言葉って知ってる?』 『知らへん』 『クローバーにはね、「幸運」とか「約束」とか色々な意味があるんよ』 『こううん?やくそく?』 『おん。でね、クローバーの中でも四つ葉のクローバーにはもう1つ意味があんねん』 『何?』  母親がニコリと笑って内緒話をするように耳元でその言葉を囁いた。 『ビー? なにそれ? にほんご?』 『ふふ。英語。亜貴にはまだ意味は分からへんかもしれへんね』 『おん。よう分からへん』 『いつか。亜貴がずーっと一緒におりたい、大事な人が見つかったら、四つ葉のクローバーをあげてもええかもしれへんね』 『そんなんもうおるよ』 『もうおるん?』 『おん』  ヨウちゃん。満面の笑みで母親に伝えると、母親は優しく笑い返して、そうか、ええ人見つけたね。と言った。  四つ葉のクローバー、と記載されている箇所へと視線を移す。  気づいてくれるだろうか。応えてくれるだろうか。怖いけれど。もう、自分の気持ちを隠すのは嫌だったから。たとえ、この最後の賭けに勝っても負けても。  ずっと見つめていたその言葉を、わざと声に出して読んだ。 「Be Mine」  洋介。俺のもんになって。洋介がおってくれたら、傍におってくれたら。  もう他にはなんにも要らない。  玄関のチャイムが聞こえた。母親の対応する声がする。目を閉じて耳を澄ませる。靴を乱暴に脱ぎ捨てる音。少し床をこするように廊下を歩く音。一歩一歩踏みしめるように階段を上がる音。何年も聞いてきた音を聞き間違えるわけもない。  そして。亜貴だけが分かる、甘い花の匂い。  コンコン、とノックの音が後ろから聞こえた。泣きそうになる気持ちを必死で堪える。  自分にできる精一杯の笑顔で、ゆっくりと振り返った。 【完】

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