葵が祖父から受け継いだ漢方薬店は田舎の都会といわれる繁華街の中でも、風俗通りといわれる一角の更に裏路地にひっそりとあった。 　一見して外観は普通の一軒家にしか見えないが、申し訳程度にかかっている「天野薬店」という古ぼけた看板がかろうじてそれと知れるものだ。 　薬店の中は棚が一つ、カウンターが一つやっと置けるような広さで、奥は全部調剤室になっている。 　一般の薬局には必ず存在する「清潔感」というものは、この薬店には皆無だ。 　生薬と「朝まで元気！」と書かれた怪しげなドリンクやら普通ではあまり見ないような色の錠剤やらが、ほこりをかっぶった状態で通路まで溢れていた。 　そんな中、葵(あおい)は朝から甘草(かんぞう)を煮込んでいた。お客さん用でもなんでもなく、完全に自分用の煎じ薬である。 　朝と言っても、場所柄この薬店の営業時間は22時～朝の５時。今は朝の５時にもうすぐなろうというくらいなので葵の感覚では深夜に近い。 　もうお店を閉めて布団に入りたい気持ちでいっぱいだが、この時間は常連客が来るのを待っていた。 「やほ～、相変わらず暇そうだね、ここは。って、うわ！またこの臭いかぁ～、俺この臭い嫌いなんだよね～。アオちゃん良く平気でいれるね」 「こら、千尋。気軽に調剤室に入って来るなって何度言えば分かるんだ。嫌なら入ってくるな。甘草の匂い、俺は気に入ってるし、この香りの為にこの薬店を継いだようなもんなんだから」 　実際、それは嘘ではなかった。葵のような特殊な性の香りを打ち消す効果があるのだと、葵の祖父がよく甘草を煎じてくれた。 「だって、ここ調剤室のが広いし、涼しいし、椅子もフカフカだし、気持ちいいんだもの。俺、さっきまで客が帰んないで、尻がヒリヒリしてるのよ。フカフカの椅子に座らせて♡」 　そう言いながら千尋は許可もなく、葵の一番のお気に入りの、背もたれがついたレザーの椅子にドカッと座りこんだ。 　そんな千尋にため息をつきつつ、葵は冷蔵庫からフラスコ型の瓶を取り出す。そこに入っていた黄金色の液体をヤカンで少し沸かしてから蜂蜜を注いだ。 「しょうがないな。保健所が来たら凶悪犯に脅されたって突き出すからな。ほら、これだろ」 「へへ、いつもあんがと」 　千尋は液体を受け取って、美味しそうに飲みだした。 　この液体は、葵が千尋用に作り置いてる煎じ薬だ。 　自宅で煎じるのが面倒だというので、葵が煎じておいて保管している。 　千尋でも飲みやすいように、棗や枸杞子などの甘みのある生薬をふんだんに使って、最後に蜂蜜を入れてやる特別仕様だ。 「これのおかげで俺の発情期周期完璧じゃん？薬のおかげで疲れもすぐとれるから発情期以外でお店に入ってる時は、バンバンお客さんとれるし。同じ店の子にすげえ羨ましがられるよ」 自慢げに言う千尋は確かに以前よりは体調が良さそうに見えた。だがーー。 「男オメガは妊娠適齢期が女オメガより低いから、子供欲しかったら今のうちに稼いでおかないとね。俺も今のままトップはれるのなんて、あと一年かそこらだから……」 「そうかもしれないけどーー。だからと言って今無理をしすぎると、子供産むときも大変だぞ。男オメガの出産は、ただでさえ体に負担がかかるんだ。そんな目の下にクマ作って常に貧血みたいな顔してる奴が出産なんて、無謀すぎる」 「大丈夫大丈夫。アオちゃんの薬飲んでから本当に調子いいんだ！このクマだって、たまたまさっきの客が絶倫すぎただけ！」 　 　この世界には男女の他に、アルファ、ベータ、オメガの３つの性が存在する。 　人口の大多数を占めるのは一般人であるベータで、アルファとオメガは人口の10％に満たない。 　ベータは女性のみ妊娠する事が可能だが、オメガは男女ともに妊娠する事が出来る。更にオメガは発情期が存在し、発情期がくるとアルファに性的興奮を催させる。発情時の性交は通常より高い妊娠率があり、能力は高いが妊娠率の低いアルファはオメガと番うのが一般的だ。 　だが、男性のオメガの出産適齢期は女性よりだいぶ早い23歳までとされている。男オメガも女性オメガもアルファの子供を妊娠する事が可能だが、男オメガの場合、オメガのホルモンがピークに達しているときに出産しないと、産後のひだちが悪く死に至るケースが多い。 　ただでさえ男オメガは発情期が不安定になりやすく、出産計画が立てにくいので、男オメガの大半は十代で結婚して早々に子作りをするケースが多いし国もそれを推奨している。 　少子化対策の一つとして、税金をたっぷりつかって国をあげてアルファとのマッチングを行っているのだ。 　また、オメガとアルファが一度番うとオメガは番ったアルファ以外に誘引フェロモンを出すことが無くなるため、不幸な性犯罪防止の為にも、学生のうちに経済力のあるアルファと番う者が殆どだ。 　ただしそれはきちんと税金が払えている家庭のオメガに限った話だ。 　税金が払えないような家庭に育ったオメガは、そもそも国から貰えるオメガ専用のコードナンバーも発行されない。98％が裕福層のアルファとはなんの接点もなく育ち、アルファとの出会いなど夢のまた夢。 　そんなオメガは闇オメガとして、身体を売る事が殆どだ。 　発情期に理解がある職場など限られているし、オメガは見目麗しいものが多く、性交に適した身体なので、日に何度も稼げる。そういったお店もオメガを大事にするし、需要も多いので給料もなかなか高い。 　こんな片田舎でもオメガの専門店が存在して、風俗店の中でも高級店の部類だ。 　千尋が在籍しているのは男オメガ専門店のお店だが、そこも連日予約でいっぱいとなっている。 　短めのホットパンツの下にすらりと伸びた足を無造作にぷらぷらさせて、ふわふわで淡い髪色の長めの前髪をピンでとめている。 　その下からどんぐりのような瞳で、キョロッとこちらを上目遣いしてくる様は十代と言っても差し支えないが、千尋はこの間の２月で22歳になった。 　今は６月なので、出産年齢的にはかなりギリギリといえた。 「店の子にもこの店教えてあげたいんだけど、あおちゃん嫌がるんだもんな。アオちゃんの漢方薬クソ高いけど、その分めちゃめちゃ稼げるからいいんだけどなぁ。当の本人が全然やる気ないんだもん」 「あたり前だ。前にも言ったが紹介してくれるなら本当に体調悪くて困ってる奴だけにしろよ。俺はこれ以上、客を増やしたくないんだよ」