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第1話
『雪路 は、フルーツカクテルが似合いそうだな』
『何でですか?』
『お前の唇、甘そうだから』
鬼島 を思い出し、ほうっと甘いため息が漏れた。イモムシのような太く節くれ立った指が唇に、触れた。コワレモノを――果実に触れるみたいに。
そうっと唇に指を這わせると、あの時の熱や記憶が鮮明に思い出し、顔が真っ赤になる。
どうしようもないくらい鬼島が好きだ。知らず視線で彼の姿を追っているし、授業中に、彼に名指しで回答を求められると、黒板に書きに行く苦行さえも気にならない。
鬼島の都合などお構いなしに、わからない問題を業後に訊きに行くのが、日課になった。勉強熱心な生徒から、今では他愛もない会話をする仲になった。
「先生、今日の業後…」
緊張し過ぎて震えている雪路の言葉尻にかぶせるように、
「ちょっと待っててくれ」と言い、大きめの付箋に何やら文字を書き、テキストに貼り付けた。ニッと笑った後、
「バックレるとか、あり得ねえからな」
熱い。軽口をたたいているような口調なのに、見つめる視線が熱くて肌が焼けそう。表情も真剣で、囚われたように視線を、外せない。
視線をそらしながら、小さく頷くだけで精いっぱいだった。もしかして、自分の思いがバレているのではないのか。
背中にひやりとした汗をかきながらも、彼とどうにかなれるわけじゃないと割り切る。端から諦めているのに、鬼島は時々おちょくってくる。酷く腹立たしいのに、構ってもらえて嬉しいと考えてしまう。
ふと黄緑色の付箋に視線が行く。大きめの丁寧な字で、住所と時間が書いてあり、親御さんには連絡をしておくと書き残してある。鬼島のほうが、公私混同しているワルい先生じゃないのか?
生徒と教師という壁を越えてはいけないと知っていても、どうしようもなく惹かれてしまっている自分がいる。
「きーちゃんにゴマすらないと、成績危ないの?」
「…………そういうわけじゃなくて、わからない問題があって」
ぼうっと物思いにふけていて、話を聞いていなかったせいで、沈黙が答えになってしまっている。慌てて言い訳しながら、視線が泳ぐ。
どうしても内申点を上げたい生徒にとって、教師と仲良くするのが必須条件となる。教師に顔を憶えてもらい、やる気満々で興味を持っているとアピールする機会が、問題を教えてもらうという行為だ。点数を上げるためには、やれることはすべてやる生徒も多い。雪路も例外ではない。
「さっすが! 室長」
笑顔でごまかし、リュックを背負う。
「先生に呼ばれているから」と言い訳をし、足早に教室から出た。
§
「お邪魔します」
服を選ぶほど枚数がなく、一番新しい服とジーパンに着替えた。労働者階級が着用していただけあり、地も厚いし破れるまで気潰せるのが、利点だ。新品の服なんてすぐに買ってもらえないから、なるべく長持ちする服を選んでいる。
「憶えていてくれたんですか? 本当にありがとうございます」
この前、話題に上っていた映画を一緒に見られて、高額当選したみたいな気分だ。
「当たり前だろ」
鬼島の手料理はすごくおいしかった。小柄だけれども、不規則な食生活のせいで、二人前は軽く食べる雪路の食べっぷりを見て、口角を上げている。
ウイスキーの樽を再利用した木のぬくもりあふれるハイバックソファーに、横並びに座る。ローテーブルもそのシリーズらしく、ウイスキーで色に深みが出ている部分がある。
「悪いな。仕事終わりの一杯がやめられなくてな」
鬼島が飲んでいるのはハイボールで、自分はルイボスティーだ。
「量を減らしてくれればそれでいいです」
映画を見ながら、左横を見ると、節くれ立った手でグラスをつかみ、飲んでいる彼の姿がかっこよすぎる。それに、とやかく言う資格はない。
映画そっちのけで、凝視していると、視線が絡み合う。数センチ距離が近づけば、簡単に触れられる距離。
「ザルだから、酔っぱらうこたあねえと思うがな」
「あのっ、ハイボールっておいしいですか?」
「気になるか?」
「いや、その……そんな……」
グラスを珪藻土のコースターにそっと置いた後、頤 に指を添えられ、上を向けさせられる。鬼島の顔が近づき、いぶした匂いとアルコールの匂いが鼻孔をかすめた。映画の音がBGMになる。
見開いた目に、鋭い視線を彼の顔が映った。
妄想をして、抜いたこともある。鬼島が思いっきり優しくしてくれたことを思い出して、自分に都合のいいように考えてしてしまった次の日には、彼の顔が正視できなかった。
唇に弾力のある柔らかな感触が伝わる。そっと離されて寂しいと目で訴えかける。鬼島が微笑を浮かべ、
「口、少し開けられるか」
ひどく熱っぽい視線にさらされ、何度も感触を確かめられる。言われた通り、薄く口を開けると、ぬるりと肉厚な舌が入ってきた。探るように、口内をまさぐられる。
木材をかじった味と正露丸みたいな苦くて独特の風味。アルコールの苦くてびりびりとしたなんとも言えない味がして、最後にふんわりと甘い。正直、おいしくない、大人の飲み物だ。
息が吸えなくてもがきながら、鬼島のシャツを引っ張った。途端、くすりと笑った振動がした後、
「鼻か口の隙間で息、できるか?」
息を荒らげた鬼島の低い声が、耳朶をくすぐる。 頭がぼうっとして、いぶした匂いとびりりと舌が、脳がしびれる。キスのせいなのか、アルコールのせいなのか。わからないまま快楽に翻弄される。
こくりと頷くと、頭を撫でられ覆いかぶさられた。そっと触れてみる。剣道部の顧問をしているだけあり、筋肉質で肩幅が広くて、寄りかかりたくなって彼の肩に腕を回した。
息継ぎが下手な自分のために、角度を変えたり、時たま隙間を確保したりしてくれる彼の余裕げな様子に、子どもなんだなと改めて実感させられる。
舌を絡められるのも気持ちがいいし、口蓋を尖らせた舌先でくすぐられるのも、ひどく気持ちがよくて、腰の奥に熱が貯まっていくような感覚がして、それをのがそうと腰が揺れる。全部彼に探られて、変わっていく感覚。
「ちがっ……」
感じちゃいけない。恥ずかしくてたまらないのに、どんどん気持ちよくなっていく。
「恥ずかしいことじゃない。ただの生理現象だ」
優しく諭す彼の声に、慰められた気がした。
「……あっ」
鬼島の手が頤 から下に下がりながら、内股のきわどい部分をさする。鬼島の手を握って阻止しようともくろむが、握っただけにすぎず、ごつごつとした手の感触に体温が上がる。この手が、今、自分を触っているのだ。
もう少し横、もう少し強く…。熱を解放することだけしか考えられない。
「ほっそいな。ちゃんと食べてるか?」
何を言われたのかわからず、ほうけた目で彼を見つめた。
ベルトのバックルを外された、金属が擦れる音がし、慎重にチャックを下ろされる。びくびくと身体が震えて、舌までも震えている気がする。
「やめっ……、鬼島……せんせい」
「すっげー、あふれてくる」
じかに触られ、くちゅくちゅと水音が漏れる。どこを感じるのか熟知した手つきで、擦られたら我慢などできるはずがなかった。
我慢しなくていいと、耳朶に吹き込まれ、恥ずかしくて頭の中が沸騰しそうだ。
「あああっ、せんせい……」
背中をかき抱き、閉じることができない口端から、だ液が滴れ、節くれ立った指がそれをぬぐい、唇を撫でる。
この手が、雪の日に自分を助けてくれたのだ。男らしくて、指先がわずかに冷たい指先に。
「イけよ」
自身の先端を指の腹で強く擦られた瞬間、脚がピンと伸び、つま先が丸まった。ひときわ甲高い嬌声を上げた。
白濁液が零れ、ソファーと鬼島の手を汚した。
「お願い、秘密にしてください」
雪路の体液にまみれた手を拭いている鬼島に、そう懇願した。
「当たり前だろ」
「あの、すみませんでした」と言おうとした雪路を制して、
「高校を卒業するまでは、返事を出さない。できれば、業後に会わないほうがいいかもしれないな」
せっかく、恋人みたいなことをしたのに、冷たすぎないか。否、鬼島したら迷惑極まりないだろう。捕まるのは、鬼島なのだ。それでも……。
「嫌です。会うくらいは赦してください」
「わかったよ。だから、もう二度としない」
雪路は口をつぐんだ。濡れた瞳に、苦い顔をした彼の顔が映った気がして、うつむいた。
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