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第1話
ネオン輝く酒場の前に、一人の小奇麗なビジネスマンが立っていた。
薄汚れたアタッシュケースを片手に持つ彼は、神経質そうな目元にかけられた銀縁眼鏡をくいっと持ち上げた。
「お邪魔します」
酒場らしからぬきびきびとした所作で、彼は入口のドアを引き開ける。ギイギイと油不足の蝶番が鳴り、お客たちの騒々しさの中から女店主が振り向いた。
「なんだトジマ。またか」
「はい、またです。毎度ご迷惑をおかけします」
ジョッキを回収してカウンターに戻っていく女店主とすれ違いに、トジマは店の奥へと進んだ。
奥に行くにつれ、お客の密度は増していた。アルコールとタバコのにおいに顔をしかめながらトジマはすたすたと進み、片隅にあるテーブルに突っ伏した男に歩み寄った。
「おい」
トジマは泥酔したその男の肩をゆする。男はもごもごと唸るだけで、目を開こうともしない。
「おい、ルディ。起きろ」
強くゆさぶっても反応しないルディに、トジマは冷たい印象を与える目元に青筋を立てた。
「なんだ兄ちゃん、そいつの連れか?」
「実は俺たちそいつに金貸しちゃってさあ。お兄さんが返してくれないかな?」
不機嫌そうにルディの頭を見下ろすトジマに、二人の男が歩み寄ってくる。見覚えはない。ここの常連ではないようだ。
「結構高い酒も飲んじゃってんだよ」
「お兄さん、見たところお上品な会社勤めだろ? 全部とは言わないから財布の半分ぐらい置いていってくれよ」
高圧的な物言いをする男たちに一瞥をくれると、トジマは動かないままのルディの胸倉を片腕でつかみ上げた。
「テメェ、俺に迎えに来させて寝てんじゃねえぞカス」
アタッシュケースを机にドカッと乗せて、そのまま流れるようにルディの顔をぶん殴る。ルディはぱちぱちと目を瞬かせた後、とろんと溶けた目のままトジマを見た。
「んあ、ダーリン?」
「そうだよ、ハニー。次、外でダーリンとか抜かしたらぶっ飛ばすぞ」
言いながらもう一発ルディの顔に拳を叩き込む。
「えー、もう殴ってんじゃんー」
「うるせえなカス。テメェに発言権はない」
「ひどいよ、ダーリンー」
胸倉から手を離し、上品なスラックスに包まれた膝で腹に一撃。急に目の前で始まった暴力沙汰に、絡んできた男二人は思わず数歩遠ざかった。
ルディは床に膝をつき、ごほごほと咳をする。
「うえ、吐いちゃったらどうするのさ!」
「テメェが掃除して帰るだけだろうが」
「手伝ってよ! 恋人でしょ!」
「知るか。マスター、会計をお願いします」
トジマはルディの懐を漁ると、呆気にとられる周囲を無視してカウンターに向かった。
「あーっ! 俺の金で勝手に払うなよー!」
「もとはと言えば俺の金だこのヒモ野郎」
店主からおつりを受け取り、アタッシュケースとルディを回収してトジマは去っていく。
まるで嵐のように出口に消えていった二人に、トジマにからもうとしていた男は呆然と呟いた。
「……何だったんだ」
「あー、お前ら常連じゃないから知らないのか」
近くのテーブルでジョッキを傾けていた男が苦笑いする。
「ここの恒例行事だよ。何時に迎えが来るか賭けてる奴もいるぐらいな」
ガヤガヤとざわめく店内で、どうやら賭けに負けたらしい男が、不機嫌そうに紙幣をテーブルに放っている。
「厄介事に巻き込まれたくないならあいつらに関わらないほうがいいぜ」
へへっとアルコール臭い息を吐き出しながら男は言う。
「あれは面倒を巻き起こす天才だからな」
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