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焔の記憶 0
それは苦く、
壮絶で、
忘れ去ってしまえたらどんなに心が軽くなろうかという記憶だ。
だが、同時に決して忘れてはならないものともいえる。
なぜなら、今の倖せがあるのはあの頃の出来事があって故のことなのだから。
かれこれ十余年も昔の遠い日々は、まるで烈火の如く熱くて熾烈で堪え難かった。
そんな焔 のような記憶でも、
俺たちを繋ぐ為に必要な、
尊いものだったのだと――今ならそう思える。
◇ ◇ ◇
小高い丘の上に建つ墓前で手を合わせた。
隣には穏やかな表情で共に手を合わせてくれる人――。
この世で唯一無二と云える伴侶だ。
名を紫月 という。俺たちは男同士だが、互いを必要とし、惹かれ合って人生を共にしようと誓った仲だ。
「もう十七回忌になるんだな。親父さんとお袋さん、天国で幸せにしてくれてるといいな」
心あたたまるひと言をつぶやいた彼の瞳の中に、丘から見下ろせる港の景色が小さく映り込んでは、太陽の陽射しがユラリと弧を描いている。
「ありがとうな、紫月 。今年もまた、こうして一緒に墓参りをしてくれて」
「ん――」
当たり前だろうというように紫月 はやわらかい笑みをくれた。
両親を亡くしてから十数年、俺はとうに三十路 を越した。次の二十三回忌を迎える頃には当時の親父にもそろそろ届く年齢になっているのだろう。そう思うと、年月の流れの儚さが胸を揺らした。
供えた線香が灰となってポトっと散る。それを見るともなしに視界に映しながら、そろそろ行こうか――と立ち上がった時だった。背後に人の気配を感じて振り返れば、そこにはまた俺と紫月 の心をあたたかく灯してくれるような見知った顔が二つ。
「周焔 ! 冰 も――! 来てくれたのか」
二人は俺たちにとって大事な存在であり、仲間でもある親友だ。
「親父さんには世話になった。ガキの頃、よく遊んでもらったものだ」
二人の内、長身の方の周焔 が手にした供花を供えてくれる。ヤツよりは華奢な体格の冰 は、その隣で手を合わせてくれた。
「すまねえな、周焔 、冰 。お前さんたちにまで足労かけて。両親もきっと喜んでくれてると思う」
礼の言葉を言いながら、感慨深い思いが込み上げる。ああ、こんなふうな台詞を口にできる日が来ようとはな。あの頃は思いもしなかった。俺が今、心穏やかで過ごせているのは伴侶の紫月 と、この友たちのお陰だ。
墓前を後にし、四人で肩を並べながらゆるやかな坂道が続く丘を降った。
「な、お前ら、ウチ寄ってくべ?」
晩飯を一緒にどうだと紫月 が二人に笑顔を見せている。
「うん、実はそのつもりで来たんだ。ね、焔 さん」
冰 が背の高い周焔 を見上げながらにっこりと笑む。元々紫月 と冰 は幼馴染みでいて、俺と出会うずっと前からの友だった。俺がこいつらと出会ったのが高校三年の時だったから、それよりはだいぶん長い付き合いの二人だ。わちゃわちゃと互いの肘を突っつき合うようにして戯れながら、晩飯の段取りについておしゃべりを交わしている二人の背を見つめては自然と瞳が細まってしまう。俺と周焔 は特には会話のないままに微笑みだけを浮かべていた。
俺と紫月 同様に、この周焔 と冰 も互いを唯一無二とし合った伴侶でいる。二人がそんな間柄になったことを知ったのは、高校を卒業して数年後のことだった。今となっては本当に懐かしい当時の思い出だ。
俺は現在、墓所のあった丘から車で三十分ほどの川べりの街で紫月 と共に暮らしていた。
純和風の門構えの邸は紫月 と暮らし始めて三年ほどで手に入れた。世間からすれば、三十路 過ぎの若造には身の丈に合わない立派な豪邸と映るだろう。現にあのウチは何をやっているんだろうとか、堅気じゃない危ない稼業の連中だとか、そんな噂話が耳に入ってくることも少なくなかった。だが、それもここ二年ほどはぱったりと聞かれなくなった。それどころか昔気質の任侠の心意気を持った極道さんだとまで言ってもらえるほどだ。その理由は紫月 が進んで自治会にも参加をし、持ち前の明るく懐っこい性質で地域の皆と交流を深めてくれたからだった。
友の周焔 が口癖のようにしていつも言っている。お前さんはいい嫁を持ったな――と。
同じ台詞をそっくりそのままヤツに返している俺も、焔 と冰 はよくよく似合いの夫婦だと思っているのだ。
玄関脇に車を着けるや否や、笑顔で出迎えてくれた男が一人。俺にとって親父も同然といえる人だ。名を東堂源次郎 といった。
「若 ! 姐 さんもお帰りなさいやし!」
周 様と冰 様もようこそおいでくださいやしたと満面の笑みで迎えてくれる。
「お夕膳のお支度が整ってございますよ」
板貼りの廊下を進み、中庭を抜けて更に奥の部屋へ。
「しかし――いつ来てもえれえデケえ邸だ」
修業当時からは考えられんなと言いながら、『お前は大したもんだ』と言いたげに周焔 が不敵な笑みを浮かべている。『大したもんだ』というなら、そっくりそのままてめえに返すぜという意味を込めて、俺も口角を上げて応えた。
俺は今、親父の稼業を継ぐ形でこの地に組を構えて暮らしている。世間からはいわゆる極道と認識されている。組の看板は『鐘崎 組』だ。
生前の親父と組んで仕事をしていた東堂源次郎 ――俺と紫月 は源 さんと呼んでいるが――彼もまた、俺の歩む人生 に理解を示してくれて、組を立ち上げる際について来てくれた有り難い御仁だ。
組員もいる。人数としてはそう多くはないが、皆、周焔 や冰 同様に友とも家族ともいえる大切な面々だ。年齢的には俺よりも随分上といえる者もいるが、そんな彼らでもこんな青二才の俺を『組長』と慕ってくれることには頭の下がる思いでいっぱいだ。そもそも親父が生きていたなら組長は親父だった。だからさすがにそう呼ばれるのは抵抗があって、今は『若頭』と呼んでもらうよう皆に頼んだ次第だが、こんなふうにして俺は大切な家族と仲間たちと共に倖せな日々を送っている。
そして友の周焔 だが、ヤツもまた豪邸を遥かに超える高楼のビルに社屋を構えて商社を起業。上場企業にも顔を揃えて順風満帆なCEOとなっていた。
元々ヤツの生家は香港の裏社会を治めるマフィアのファミリーでいて、親父さんはその頂点に立つ頭領 だ。ヤツは庶子の次男坊ゆえ、香港には嫡子の長男――つまり腹違いの兄貴――が頭領 の次代継承者としてファミリーを支えている。継母とも兄貴とも仲睦まじくしているようだが、後継者争いという要らぬ心配を掛けない為にもヤツは敢えてファミリーを離れたこの日本の地で起業し、少しでも役に立たんと奮闘しているデキた男だ。友として、同じ男として、俺はそんな周焔 のことを心から尊敬している。
誰もが皆、成功と幸せにのみ包まれているわけじゃない。順風満帆に見える周焔 も、任侠の心を持った極道などと言ってもらえているこの俺も、そしてそんな俺たちと人生を共にすることを選んでくれた紫月 と冰 にも、それぞれ胸に秘めた苦い思い出や辛辣な過去が存在したのは事実だ。
だからこそ、いまこの一瞬一瞬を大事にして生きていきたい。
いつの日か、今は亡き親父とお袋にあの世で再会できたその時に、胸を張って『精一杯生きたぜ』と云えるように――今この時を大切に生きていく。焔 の記憶を疎むことなく、忘れることなく、それさえも糧にして生きていきたい。俺はそう思うのだった。
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